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下総香取郡多古郷・頼義、小次郎と酒を酌み交わすの事(その三)

「愚か、その名を出さずんば長生きもできたものを……」



千葉小次郎(ちばのこじろう)の目に殺気が(はし)る。その勢いはそのまま光の束となって頼義に突き刺さりそうなほどだった。金平と穂多流(ほたる)は頼義を守ろうと全身に緊張を走らせる。頼義はそんな二人を押しのけて、



「まあ飲め」



と言って盃を差し出した。



「…………」



小次郎……平良門(たいらのよしかど)の怨霊を宿した分身の男は盃には目もくれずに頼義を睨みつける。彼女の方はその殺気にまるで臆することもなく



「飲め」



とさらに盃を突きつけた。



「……飲まぬか?なら勿体無い。この酒は私がもら……」



そう言って差し出した酒を飲み干そうとする頼義を後ろから金平と穂多流が二人掛かりで必死に止めた。さっきのような醜態を二度目にするのは真っ平御免という風だ。


その三人のドタバタする姿を見て、小次郎が笑い声を上げた。先程の殺気は微塵も感じられない。



「おかしな奴らよのう、貴様らは。ははは、いかにも、俺は新皇将門が長男、良門その人よ。(たばか)るつもりはなかったが結果そうなってしまったことは俺としても不本意だ。その事については無礼の段、許されよ」



豪快に笑うと小次郎はその場に()()()と座って胡座(あぐら)をかいた。



「どれ、せっかくのご厚意だ、一杯いただこうか。実は俺も酒には目がないクチでな。クチなのに目がないとはおかしなことよ、ははは」



これまた上手くもない冗談を口にして自分で大笑いする小次郎に、頼義は盃を渡した。小次郎は一息に盃をあおった小次郎は片目を大きく見開いて



「ほう、これは……美味いな」



と、さも美味しそうに笑顔を浮かべた。



「白酒よりも()()()()な。これは良いものだ、さっそく都から取り寄せるとしよう。なに、金なぞ腐るほどあるからな」



小次郎は当たり前のように二杯目を所望する。頼義は見えぬ目で器用に酒を継ぎ足しながら言った。



「また、『鉄妙見(くろがねみょうけん)』を使って罪もない人々の生き血を捧げて得た金で富を(むさぼ)るおつもりで?」



口調こそ穏やかなものの、その言葉には千本の針ほどの重みと鋭さを含んでいた。



「……ほう、知っておったか、その事を。で、そのことで俺を非難するか?ふふ、俺は『鬼』ぞ、そのような事に罪悪感なぞ感じもせぬわ。貴様らとて夕餉(ゆうげ)の汁に入れる菜っ葉を切り刻むのにいちいち念仏を唱えるような真似などすまい?」


「……するべき、なのでしょうね。少なくとも、己が命を永らえさせるために犠牲にした他の命に対する感謝の念を忘れることはあってはならないと思います」


「ふむ、殊勝よの。貴様はどこまでも『人間』であるな。まこと、『鬼』と『人間(ヒト)』とを隔てる一番の境は()()につきよう。なるほど、慈しみか、俺にはとんと縁のなくなった言葉よ」



小次郎は二杯目の盃はじっくりその美味を堪能しようと大事そうにチビチビと飲み始めた。



「酒の(さかな)がわりにひとつ昔話をしてやろう。先帝将門(まさかど)公は確かに藤原秀郷(ふじわらのひでさと)らによって討たれ(たお)れた。だが戦は終わることは無かった。俺がそうさせなかった。俺は父と同じ具足をつけ、父と同じ顔を作り、父の名を名乗り、父の遺志を継いで朝廷への反攻を続けた。西国の藤原純友(ふじわらのすみとも)(よしみ)を結んだのも俺よ。まあ上手くは行かなかったがな」



確かにあの当時坂東で平将門が「新皇」を名乗り朝廷に反旗を翻したのと時を同じくして瀬戸内から九州にかけて勢力を張っていた豪族藤原純友もまた都に対して堂々と叛逆の意思を示し、朝廷軍と凄絶な争いを繰り広げていたのだった。思わぬ二方面からの同時蜂起に、当時から将門と純友の二人が互いに連絡を取り合って計画的に事を起こしたのではないかという噂が根強かった。



「だが時勢は俺に(くみ)せず、『鉄妙見』を平良文(たいらのよしふみ)めに奪われていた俺の軍はたちまち勢いを失い、ついには滅亡の段となった。追い詰められた俺は姉の五月(さつき)と共に人払いをした空の妙見堂に篭って腹を切った。そこに現れたのが『肉芝仙(にくしせん)』と名乗る()()()()()だった」



肉芝仙の名を聞いて金平はあのちびっこい巫女姿の不思議な少女(?)の姿しか思い浮かべなかった。小次郎の前ではあの仙人は老人として現れたらしい。もっともそれが金平たちが出会った少女(?)と同一人物だったのかどうかは確かめようもない。



「肉芝仙という名は俺も知っていた。父上の側近で不思議な仙術を使う軍師の名としてな。俺も顔を見たことは無かったが、そいつが今まさに死なんとしている俺に囁きかけた。『自分にその身を実験体として捧げる意思があるならば、お前に復讐する力とその機会を授けよう』とな」



小次郎の顔が曇る。当たり前のことではあるが、自分が死する場面の思い出語りである。当然気分のいいものではないだろう。



「初めは俺もその申し出に躊躇した。仙人などという胡散臭い奴の力にすがるのも嫌だったし、何よりその申し出が突拍子も無さすぎてにわかには信じられなかったのだ。だが姉は違った。姉の五月姫は一瞬の迷いも無く肉芝仙に己の魂を売り渡した。姉は自らを『滝夜叉』と名乗り、父の無念を必ず果たすと誓って喉をついて自害した。そして俺は見た。姉の清らかだった魂が肉芝仙の仙術によってみるみるドス黒い闇色に染まり、『鬼』となって行く様を。俺は咄嗟に理解した。この仙人の力が本物であり、その力は到底『聖なるもの』から程遠い、という事を……」



小次郎が残った酒を飲み干し、三杯目は自分で勝手に注いだ。小次郎は話を続ける。



「肉芝仙は姉に『七星転生』の術を施した。鬼となった姉の魂は平氏の血脈の中に溶け込み、いつしか適合者が現れる時を待って再び復活すると。俺はあの時のあの仙人の顔を忘れん。まるで今施した『実験』が上手く行くのかどうか待ち遠しいというふうだった。俺は覚悟を決めた。姉が落ちた地獄に俺も共に落ちると。同じく『鬼』となってこの国の全てに復讐すると心に誓ったのだ。そして俺もまた肉芝仙に魂を売って『七星転生』の輪廻の洗礼を受けた」

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