下総香取郡香取神宮・謎の少女、名を名乗るの事
煙の中から現れたのは先ほどみた巫女姿の少女ではなく、成人した女性だった。豊かな胸元を自慢げに反らせ、長い足を交差させて艶っぽい姿勢を見せつける。腰まわりも肉付きよく、金平を誘うようにくねらせる。
「どうだ坂田金平、私とておとなになればこれくらいにはなるぞ。そら、お前とて幾度も夢に描いたであろうこの姿を?ほれほれ」
胸を強調するように腕を組み、甘えるような物言いで金平にささやきかける女のその顔は……紛れもなく頼義のそれだった。
「……!?……??わ、わたし!?」
目の見えぬ頼義には金平の異様な反応の原因は掴めなかった。だが、いま少女の発する声を聞いて金平の動揺の理由を理解した。金平は思わず二人を見比べる。背丈はほとんど変わらぬが、化けた方の頼義は本人より幾らか年齢を重ねたものなのか、成熟した大人の色気をこれでもかと周囲に発散していた。濡れた唇が何かを含むように柔らかく動く。その奥に垣間見える舌の動きに、金平は自分の鼓動が恐ろしいほどの速度で脈打つのを聞いた。
「あはははは。これ金平、己が主人に欲情するとはこの不心得者め」
そう言って大人の頼義がその場で宙返りをする。何かがはじけるような音とともに大人の頼義はまた元の巫女姿の少女に戻った。
「この未熟者め、こんなヤツはおちおきでつ。えいっ」
少女は金平の頭をポカリと叩く。金平は呆気に取られたまま口をあんぐりと開けて、少女のされるがままになっていた。頼義にはこの少女の正体も、何が目的なのかも皆目見当もつかなかった。
「すごーい!今の何!?幻術ってヤツ?おもしろーい、きゃっきゃっ」
穂多流は金平には目もくれず大興奮で少女の周りを駆け回る。なぜ穂多流はこんなにも彼女(?)に対してカケラも警戒心を持たないのだろうか?
「幻術ではないぞよ。此奴が見たい、そう成長して欲しいと常日頃願っている姿を映してやっただけだ。私は元より姿かたちもない、概念だけの存在である故な、こうしてお前たちに私の存在を『認識させる』ために姿を見えるようにしてやっているだけよ。だから姿なぞ如何様にも変えられる。ほれ、こんな風に」
見た目は先ほどの少女と同じだが、喋り方はそれほど舌足らずではなかった気がする。あの喋り口調はわざとそうしているという事か。再び少女がトンボを切ると、今度は熊ほども身の丈のある巨大な蛙に変身した。
「はくちょんっ、この季節にカエルは寒かった」
また元の姿に戻る。金平にはもう何が何だかさっぱりわけがわからない。頼義は金平の背後から、
「私のどんな姿を想像したんです?金平」
と問い質す。返答に困り思わず口籠る金平を横目でジロリと見据えながら、
「やーらしー」
と穂多流の君が冷ややかに言う。金平は自分の顔がみるみる赤くなって行くのを感じた。
「わははは、この助平め。さて、戯れはこの辺にちておこう。今日この場にて私が姿を現ちたのは他でもない、頼義どの、そなたの力をお借りちたくてここに参上致ちたのだ」
「私の……力?」
そう言われて頼義は一層警戒の色を濃くする。そもそも何故この者は我々の名を知っている?何故千葉小次郎の名前を出す?この不可思議な術を使う、少女の姿をした何者かは、一体自分の何を知っているというのか。
「おっと、まずは己の名を名乗らねば無礼であったな。あぶないあぶない、どうも人間の習慣に疎くなってきておっていかんな」
少女はぺろっと舌を出しておどける。
「私はこの界隈では『肉芝仙』という名で呼ばれておる。まあ巷間口にされる所の『仙人』という奴じゃ」
その名を聞いて頼義と金平が驚きながら同時に叫んだ。
「にく・し・せん・だとおおお!?」
「お?その反応を見るにとうに私の事を聞き及んでおったか?さては小次郎か羊太夫あたりが口を滑らせたか。まあそれなら話が早い。如何にも、私が『肉芝仙』であるぞ。はっはっは」
「肉芝仙」と名乗った少女は高笑いをする。その言葉を言い終えぬうちに金平と頼義は少女を挟むように囲い込んでいた。
「確かに話が早えや、将門の怨念をこの世にとどめて世界の混乱を謀った張本人様よお、ここであったが百年目ってやつだ、覚悟しやがれテメエ!!」
「……」
剥き出しの刃に喉元を突きつけられながらも、少女は呆れたようにため息をついた。
「まったく、これだから源氏の連中は野蛮だ脳筋だと言われるんでつ。まずは人の話をちゃんと聞くものでつよ」
「うるせえっ!!」
問答無用で金平が突撃する。一歩足を踏み込んで今まさに斬りかからんとした瞬間、金平が急にその足を止めてつんのめった。
「なっ、なにいっ!?わわっ!!」
金平は間違いなく目の前の少女に向けて剣鉾を振りかぶった。なのに、今剣鉾の刀身の先にいるのはさっきまで全然違う場所にいたはずの穂多流だった。いきなり白刃の前にその身を晒す状況になった穂多流は大きな目を最大にまで押し広げ、大口を開けて硬直している。
金平は反射的に身をよじって辛うじて穂多流を斬る事だけは避けることができた。足を絡ませて無様に地面を転がって行く。少女はいつの間にかまた鳥居の上に腰掛けている。
「……!?」
頼義も何が起こったのかまるで予測がつかない。この少女の使う「術」は自分たちの理解をはるかに超えていた。
「やれやれ、少なくとも私はお前様たちの敵ではないでつよ。まあ味方でもないでつが。仕方ないでつここは一つ、お前様方に危害を加えるつもりはないことを証明しやるでつよ」
そう言って肉芝仙は鳥居から飛び降りると無造作にズカズカと頼義の目の前にまで近づき、包帯で固定された彼女の左肩を軽くポンと叩いた。




