総州香取神宮前平忠常本陣・藤原則明、再び参上するの事
混乱の自陣を背後目に大将常陸介頼信が撤退して行く。先程急ごしらえでしつらえた川船の砦が幸いな事にここでも上手く機能し、押し寄せる千葉小次郎の異形の騎馬軍団を掻い潜って船を出すことが出来た。その馬群を追い返すように碓井貞光の部隊が一斉に矢を仕掛ける。
「父上、貞光様に援護を!」
「無用。彼奴もそれを望んではおらぬ。我らの採るべき手は速やかに常陸国領内に戻り、態勢を立て直す事である」
「でも!」
「信じろ、頼義。彼奴もまた『鬼狩り四天王』の一角、そう容易く命を散らすほどヤワな人間ではない。歴戦の勇者の実力を信じるのだ」
「は……」
朋友貞光の命を賭してのはからいに、父はあえて背中を向けて一顧だにせず、対岸へ向かう事でその信頼に応えようとしている。互いの絶大な結びつきの硬さに、頼義は眩しいものを感じていた。
「金平、アレをどう思う。アレは人間か?それとも違う何かなのか?」
頼信は傍にいる金平に先程襲撃を受けた異形の人馬武者の事を尋ねた。
「聞くまでもねえでしょう。アレもまた『八束小脛』……『土蜘蛛』と呼ばれた異形の鬼のその成れの果てってヤツでしょうよ。長い年月をかけて、その場その場に適応するように様々な手管でもって人ならざるものとして改造して行った、その結果の一つでさあね。上野じゃあ『鳶』に変化して襲って来る奴らもいましたぜ」
「……今、何と?」
「いや、だから鳥の鳶に姿をやつした八束小脛がですね……」
「それは……まずいな」
頼信はそう言って空を見上げる。金平も釣られて空を見上げると……そこには無数の「鳶」の群れが不気味な鳴き声を立てながら旋回しているのが見えた。
「なあっ!?いつの間に……!?」
「総員、戦闘態勢!上空の鳥に気をつけよ、敵は空から襲って来るぞ!!」
頼信の怒号が轟く。しかしそれを聞いても兵士たちはポカンとした顔で空を見上げるだけである。無理も無い。この時代に空を移動手段として攻撃を仕掛けて来る戦略なぞ想像もしていなかっただろう。たちまち急降下してきた鳶の八束小脛たちは次々と舞い降りながら元の姿に戻り、対応の遅れた兵士たちを撫で斬りにし始めた。
「慌てるな!!敵の数はまだ多くねえ、落ち着いて対処すりゃあ追い返せる!!怯むなあ!!」
金平の怒声も兵士たちには届かず、一方的に斬り殺されて行くばかりである。金平は頼信親子に向かって襲いかかって来る連中を薙ぎ払った後、意を決して隣の船に飛び移った。
「大殿、ウチの殿さん任せたぜ!!」
そう言って金平は船に備え付けてあった櫂を手にすると、それを木剣のようにして振り回しながら八束小脛たちに襲いかかった。
「……まったく、無茶を言う」
そう言いながらも頼信は手慣れた剣さばきで頼義を守りながら八束小脛たちを巧みに払いのける。頼義は先の負傷で右肩から左腕全体に副え木を当てられ包帯でがっちりと固定されている。片手ではこの乱戦に対応できない。二人を守る兵士たちも一度押し返してはその度に幾人かが傷つき、倒れるの繰り返しで、次第にその人数も削られて行った。
八束小脛はその姿を鳶に変え人に変えと繰り返しながら船の漕ぎ手を集中的に討って行く。漕ぎ手が代わってもまたその漕ぎ手を執拗に狙う。おかげで船はいつまでたっても遅々として進まなかった。
度重なる襲撃で流石に練達の頼信もその猛攻を捌き切れずに二度、三度と刀傷を負った。額を血に染めながらも、それでも頼信は我が子を守らんとその剛腕を存分に振るい回す。頼義も懐剣で身を守るが、それでも限界はもう目に見えていた。
八束小脛の必殺の一刀が頼信に迫る。
「!?」
その危機を救ったのは一羽の鳶だった。海面スレスレに滑空してきたその鳶は頼信を襲う小脛の目を貫き、そのまま上空へと飛び立つと、すぐさま反転して船上にいた小脛たちを挑発するようにその頬をかすめて通り過ぎて行く。
「クッ、また彼奴か!?」
そう口走りながら八束小脛の何人かが再び鳶の姿に変化して先ほどの鳶を追いかけて上昇して行く。船上が手薄になったおかげで頼信たちも一命を取り留め、態勢を持ち直すことが出来た。
その二人の頭上を飛び越えて、何者かが八束小脛たちの前に舞い降りた。頼信たちがいたのは船尾のどんづまりである。その「後ろ」から飛んできたということは、この者は海から飛来してきたということになる。さしもの頼信も突然の襲来者に目を丸くしていた。
「大殿さま、ご無事で!!」
金平は隣の船からその闖入者の来訪を目の当たりにしていた。顔は頭巾と覆面に覆われていて伺えないが、背は低い、おそらく女性である頼義よりも更に小さいだろう。先ほど放った声も甲高く、まだ声変わりもしていない少年のようである。左手には厚手の鹿革の手袋が肘まで巻かれ、肩も同じ鹿革の肩当てで覆われている。どうやら例の鳶はこの少年(?)によって指揮されているものらしい。あの手と肩の部分はおそらく鳶が羽根を休めるための部位なのだろう。
「そなたは!?」
「手前、藤原則明と申す者、我が盟主頼義さまの御為に馳せ参じましてござりまする!!」
藤原則明と名乗った少年は諸刃の短剣をふた振り逆手に構え、素早い連撃で八束小脛たちを急襲する。逆に反撃する小脛たちの攻撃はヒラリヒラリと舞うような軽業で次々とかわして行き、一向にかすりもしない見事なまでの身のこなしである。
今、少年(?)は間違いなく頼義のことを「我が盟主」と呼んだ。彼女自身にはこの少年(?)の名前も素性もまるで聞き覚えがない。それでもこの小さな鳥使いの剣士は頼義の身を守るために危険を顧みずに自ら死地に飛び込んで来たのだ。
「ええい、ちょこまかと小賢しい!!」
「!?」
単独では捉えきれぬと業を煮やした小脛たちは、呼吸を合わせて一斉に飛びかかった。




