常州鹿島灘鹿島神宮前・頼義、鞭声粛々、夜河を渡るの事(その三)
遠のいて行く水面のはるか向こうに欠けた月の光が差し込む。それが自分の浴びる最後の光かと思いながら、頼義は目を閉じていった。
永劫の安らぎの代わりに訪れたのは急激な寒さだった。いきなり水面上に引き上げられ、濡れたその身を寒風に晒されて、頼義の意識は一瞬にして覚醒した。何事かと思い頼義は周囲を見回す。何者かが水の中から自分の体を支えている。その人物もざばりと音を立てて顔を出した。
「金平!!」
「こんなとこで死なすか馬鹿野郎ぶっ殺すぞ!!」
金平が意味のわからない怒り方をして怒鳴りつける。流れに飲まれかけた頼義の体を間一髪掴まえた金平は渾身の力を振り絞って頼義を担いだまま立ち泳ぎで川を渡る。
「安心しろ、後続の連中は向こう岸に渡ってる。行けるぞ!」
金平は「竜宮門」の向こう岸の浅瀬にようやく辿り着き、頼義を肩車をするようにして堤状の浅瀬を渡って行く。他の兵士たちも続々馬を浅瀬に上がらせて無事に渡り切っているようだ。その報告を聞いて頼義はホッと息をつく。しかし、難所はここだけには止まらない。上陸できたらできたで、今度はまた次の困難が待ち受けているのを頼義は理解していた。
対岸の向こう、なだらかに広がる山稜に香取神宮の社屋が建ち並ぶ。そのあちこちに篝火が焚かれ、忠常軍の兵士らしき者たちが待機している。連中は恐れ多くも香取神社の境内を陣屋がわりにして頼信軍を待ち構えているのだ。
幸い彼らはまだ頼義たちの侵入に気づいていない。
寒さに歯をガチガチと震わせながら、頼義と金平はようやく対岸に辿り着いた。無事渡り切った兵士たちも疲労困憊で次々とその場にへたり込む。このまま休ませたいところだが、濡れた体を寒空に晒したままではたちまち全員凍りついてしまう。頼義は金平に辺りの状況を確認させる。案の定、鹿島側に繋留しているはずの船もみんなこちら側に止められているようだった。
「眞髪どの!眞髪高文どのはおられるか!?」
頼義は水先案内人の眞髪高文を呼び出す。気息奄々の高文がふらついた足取りで頼義の前に跪く。
「眞髪高文、そなたを臨時の『船奉行』に任ずる。こちら側の船を率いて対岸に待機している友軍を運んで下さい。ここはそなたの庭、船乗りとしての手腕、存分に発揮されよ」
「へえっ?へ、へへーっ!!」
思わぬ大役を申しつけられて高文は凍えた体も忘れて大急ぎで反転して船ぬ向かう。その間頼義は金平に命じて周囲にある布、幟、衣類など身体を拭けそうな物を片っ端から徴収させた。少しでも身体を乾かして寒さに備えねば、いざ戦闘が始まった時に身体がかじかんだままでは勝負にならない。焚き火を起こしたいが敵に露見するためそれはできない。頼義も青くなった唇を震わせながら着衣の雫を振り落とす。
「何人流されましたか?」
頼義は金平に渡河作戦の進捗状況を確認する。
「報告では十七、八人、その後は知らねえ」
「一割の損失か……痛い所だがそれも覚悟のうちです。みなの休息が取れ次第、直ちに侵入に備えての陣形を……」
頼義が言いかけた時、香取神宮の方面から大きな鍾の音が響いた。遠くで松明がチロチロとせわしなく動くのが見える。
「見つかったか……!くそっ、早えよ気づくのがクソッタレ!!」
「金平、敵の状況は!?」
「まだ遠くて見えねえよ!しかしこの刻限だ、すぐに総動員して攻めてくる事はあるめえ」
とは言えこちらは装備の大半を河中に投げ捨ててしまいほとんど丸裸も同然だ。このままではなすすべも無く蹂躙されるだろう。金平は辺りを見回す。川岸には何艘もの大小の船が停泊し、岸にも修繕のためか、木の横桁に乗り上げて陸に上がった船が二艘見えた。
「皆を船に乗せ、一旦川へ逃がしましょう。父上の本体が船で到着するまで……」
「ダメだ!まだ渡河途中の隊がいる。今も続々とこちら側に降りてきてやがるんだ。俺たちが逃げてもそいつらが狙い撃ちされる!!」
「そ、そうか……では少しでも待ち受ける事のできる場所に陣を敷きます。どこかに建屋か何かは?」
「ざっと見た所何もねえ。船着場があるだけだ」
「では船を砦がわりに!この暗闇です。敵もそう簡単には補足できないでしょう」
「わかった!全員、船着場へ急げ!応戦する必要はねえ、とにかく身を隠せ!!」
金平は頼義に変わって号令をかける。兵士たちは慌てて船の中に身を投げ出し敵軍から姿を隠す。金平は陸に上がっている船の横腹に張り付き、全身の力を込める。
「ふ……ん!!このおおおおおおお!!」
二十人乗りの大船が金平の馬鹿力で横桁から外れて横転する。周囲にいた兵士たちは金平の鬼神の如き腕力に驚愕し、同時にこれほどの剛力の者が味方にいるという事実に大いに奮い立った。
勢いに任せて金平はもう一艘の船もひっくり返す。「ハ」の字に横たわった船は盾となって兵士たちを矢の襲来から守る。松明を持った一隊はもう目近まで接近していた。金平は頼義に現在の布陣を説明し、後を託すと愛用の剣鉾を握って立ち上がった。
「金平!」
「守って耐えるなんてのは俺の性に合わねえ。お前は守備、俺は攻撃だ。なあに敵もまだ数は多くねえ、お互い数が揃う前に二方面作戦で乱戦状態を作っといてやらあ。せいぜい手柄立てさせてもらうぜ!!」
そう言うや否や金平は獣の咆哮とともに松明の灯る敵陣に単身で突撃して行った。




