3話
私はバーテンダー――見習いの亜子。今日も華麗にシェーカーを振る真似だけしてる。さっきまたシェーカーを飛ばしちゃって、マスターにシェーカー禁止令を発令されてしまったの。8の字、8の字、エアシェーカー亜子よ! 目の前には冴えない探偵イノッチ。今日はいつにも増して冴えてない。どうにかしろよ!
「亜子ちゃん、今日はついてないんだ。浮気調査で人妻を尾行してたら相手に見つかっちゃってさ。反対に脅されたんだ。浮気相手のホストがドタキャンしたから、代わりに一緒にホテルに行けってさ……。ひどいんだぜ! 依頼主の旦那さん、他にも探偵雇ってたんだよ。おれと人妻がホテルに入ろうとしたとこをバッチリ押さえられて。おれは未遂なのに、危うく旦那と修羅場になりそうになったんだ。もしそうなったらおれ、今頃ここには居られなかったよ……。ホルトをダブルで。今日はストレートでいただくよ」
「……はい」
イノッチがここに居なくても誰も困らないんだけど? お金が無いくせに毎日この店に通ってくるけど、『ムーンマジック』を実家かなんかとカン違いしてるんじゃない? それにしても、こいつ! 旦那が来なかったらその人妻と寝てたのかよ? 男ってヤツは、まったく!
わたしはオールド・オーバー・ホルトをグラスに注ぎ、ナッツと酒の弱いイノッチのために、念のため水も一緒に付けて出した。相変わらずわたしはイノッチに過保護だ。アメリカではポピュラーなドイツ移民の製作者の名が付けられているこのストレートライウイスキーは、すっきりとしてほろ苦く昔と変わらぬ素朴な味わいが特徴だ。ビールで言えば復刻版を好んで飲むって感じなのかな? ちなみにバーはお酒を飲むところだから料理は出さない。イノッチ、たまにはライウイスキーやギムレット以外の高級スコッチか複雑なカクテルでも注文してよ! まったく。このオーダー、まだフィリップ・マーロウ引きずってやがんのか? イノッチのお蔭でわたしもすっかりチャンドラー通だよ! 名探偵は浮気調査ごときで調査対象から見つからないだろ? イノッチの警視庁退職理由はクビだったことを確信した。
「イノッチ、それはついてないんじゃなくて、おいしい話って言うんだよ?」
横から常連さんの1人、永ちゃんが話しかけてきた。警視庁の刑事さんでイノッチの同僚だった人。イノッチの紹介で最近、通ってくるようになった。強面のいかつい大男だ。わたしの常連、こんなのばっかだよ! イノッチめ~!
「永ちゃん、亜子ちゃんの前でやめてよ。それより亜子ちゃん、あのルビーの指輪だけど……」
「え? どうした? 返してあげたの? 喜ばれたでしょ? イノッチでもやればできる……」
おっといけない。わたしは今、エアシェーカーを振るバーテン亜子よ! 客との会話でおしゃべりはダメ! あくまで聞き役に徹するのがサービス業の務めよ!
「どしたの? 亜子ちゃん、いきなり黙って? 指輪は返せなかったんだ」
「なんですって! どうしてよ? あんだけ大変な思いをして取って来たんじゃない!」
ああ、じれったい! バーテンダーは寡黙がモットウなのに! わたしこの職業、向いてないかも~!
「それが、依頼主が自分の指輪じゃないって言うんだ。それは新品すぎるって!」
「え? じゃあ……ホントに違ったの? どうすんのよ! また、探しに行くの? わたし、あそこには当分のあいだ行きたくないよ」
「本物の指輪はバッグの中から見つかったんだって。でも、料金は払ってくれたんだ。そうだ! はい、これバイト料。忘れてた、ごめん。すまなかったね」
「ありがと。へ? じゃあ……指輪は最初から彼女が持ってたの? ってことは……いずれにしても、またGHQに行かなきゃじゃん! 指輪、返さなくちゃじゃん!」
「そうか……そうだよね? このルビー、でっかいもんね……」
イノッチがコートのポケットからルビーの指輪を取り出した。まったく、店の中は暖房がきいてんだから、コートも帽子も取りなさいよ! おめえは寺尾聡かよ! なにからなにまで古いんだよ!
わたしはイノッチからもらったバイト料を確認した。うそっ! 3万円も入ってる!
「イノッチ、イノッチ! 悪くてこんなにもらえないよ!」
「だって……危険な目に合わせちゃったから申し訳なくて……それに、依頼人がえらい金持ちみたいで、何にもしてないのに謝礼をいっぱい払ってくれたんだよ。それでも、もし悪いと思うならもう1度、西口の歩道に付き合ってくれよ。今から」
「ええっ!」
「亜子! なにがあったか知らないが、イノッチさん困ってるだろ? 付き合ってやれよ」
マスターがアイスピックでアイスボールを作りながらわたしに指示を飛ばす。さすがマスター! 芸術的なまん丸な氷が出来上がっていく。わたし、いまだにピラミッド型から卒業できないのに――じゃなくて。
「ええっ! いくらマスターの頼みでも……」
「亜子ちゃん。行ってあげて。あのルビー、相当高価なものよ? 持ち主の方、困ってらっしゃるんじゃないかしら?」
ひとみ先輩が心配そうにイノッチを見ている。
「そうですか……わかりました。お2人がそうおっしゃるなら。イノッチ! 今回だけだからね!」
「ホントか! 亜子ちゃん、ありがとう!」
涙目になってわたしを拝むイノッチ。まあ、3万もいただいてムゲにも出来ないわね。わたしは帰り支度をはじめようと裏の控え室のドアを開けた。入れ違いに大学生のアルバイト生、佐藤榮太郎が入って来た。
「あっ! 亜子さん、おはようございます。おつかれっす!」
ちなみにこいつは1ヶ月前に入ったわたしのライバル。わたしと一緒でうちのマスターに憧れて働き始めた新参者。でもこいつ、入ってたったの1ヶ月なのにわたしよりシェーカーを振る率が高いのよね! イノッチの母校でもある優秀な国立大学に通っているだけあって、仕事の飲み込みが早い。気も利くし、掃除や後片付けも率先してやるから店の人たちに好かれている。加えて容姿がかわいい。茶髪にピアスはちゃらいけど、中肉中背で愛想のいい笑顔。大きな瞳はこぼれんばかりで、わたしにくれよ。そんなに高くない小さな鼻も口も顎も、世のおねえさま方が大好きなアイドル系だ。制服姿がさまになってるよ。どこぞの黒服みたいだ。もちろん、客からの人気は絶大だ! わたしより常連さんが付いている。うらやましい。
「亜子さん! イノッチ先輩と付き合ってたんすね? 知らなかったっす!」
突然、榮太郎がとんでもないことを言いやがった! 冗談じゃないわよ! なんでわたしがイノッチと!
「はあ~?」
「だって、イノッチ先輩の家から朝帰りしてたじゃないですか?」
「ええっ! あんた、見てたの?」
「大丈夫! 誰にも言ってないっすよ!」
榮太郎は左目でウインクすると、口元に片手を寄せてわかってますってな顔をしてる。冗談じゃないわよ!
「ちょっと! 榮太郎! 誤解しないでよね? これにはふか~いワケが……」
「わかってますって! おれ、無粋なマネはしませんから! お2人のこと、応援してまっす!」
榮太郎は笑いながら後ろ手を振って店の奥に行ってしまった。あんにゃろー! わたしの仕事を脅かすだけでなく、わたしの弱みまで握りやがって! はっ! いけない! 早く行かないとイノッチが寒い中、待ってる!
わたしはいそいで着替えて外へ出た。
「イノッチ、ごめん! 榮太郎につかまっちゃって!」
わたしは手を合わせてイノッチに謝った。今日は休日だから普段着のユニクロ仕様にスニーかで来てしまった! でもまあ、イノッチ相手なら別にいいか。
「ああ……誤解してんだろ? おれもおめでとうって言われちゃったよ。ごめんな」
「なに? 素直じゃん? いいよ、別に。榮太郎、誰にも言わないって言ってたからさ。早く行こう!」
なんだよ、イノッチ。気が抜けるじゃんか。もしかして、わたしとの仲が誤解されたら迷惑なのかな? まあ、どうでもいいけど!
昨日と同様、西口の歩道までやって来た。ゆうべと一緒で、他には誰もいなかった。
「どうしよ。昨日と同じ角度から見ても、下の歩道に何にもない。ホログラムとやらを修正しちゃったのかな?」
「そうだな……そうだ! ヨシッ!」
そう言うと、イノッチがおもむろにポケットからルビーの指輪を取り出して下の歩道へ投げ捨てた!
「ちょっと! なにすんのよ! その指輪、本物のルビーよ! たっかいんだから! 割れたらどうすんのよ!」
「亜子ちゃん! 行くぞ!」
「え? なになに、待ってよ!」
いきなり走りはじめたイノッチのあとにつき、わたしも駆け出した。突き当たりの階段を下り、下の歩道へ出たが、昨日とは違ってそこはやっぱり廃墟のままだった。灯りもついていなくて真っ暗だ。
「どうすんの! 指輪どこよ! ルビーの指輪!」
「シッ! 亜子ちゃん! 誰か来るよ……」
「え……?」
――カツーン、カツーン。
真っ暗闇の歩道の奥から足音が響いてくる。
「ちょっと、ちょっと! 恐いんですけどっ!」
わたしは思わず、イノッチのヨレヨレのコートにすがってしまった。一生の不覚だけど!
「亜子ちゃん、あの人……」
「え?」
イノッチに言われてよく目を凝らしてみたら、奥から出て来たのは昨日のめがねのおじさんだった! よかった! 知ってる人で!
「こんばんはー! 昨日の猪熊です。探偵の! すいませーん!」
「やあ! ルビーの指輪を投げ込みましたよね?」
めがねの彼は、昨日と同じグレーの背広に青緑のストライプ柄のネクタイをしている。
「はい。すみません。どうやって連絡を取っていいのかわからなくて……」
「どうしました?」
「実は……ルビーの指輪が別人の物だったのです。ですから、返しに来ました。高価な物なので申し訳なくて」
「そうなんですか? おかしいな……指輪の持ち主のお名前は?」
「鈴木幸子さんという女性です。本物は彼女のバッグに入っていたそうです。これは新品過ぎるというお話でした」
「そうでしたか……実は、この中は次元が少しおかしくなっているんです。ですから、その指輪は時間を逆行してしまったようですね」
「ええ! 時間をさかのぼったってことですか? そんなバカな!」
「そのバカなことがここでは起きているんですよ。よかったら、あなた自身の目で確かめてみては?」
「え? そんな……」
「イノッチ! この際だから、歩道の中を見せてもらおうよ!」
わたしはいきり立って提案した。だって、気になるじゃん!
「亜子ちゃん! だって、帰れなくなったらどうするんだよ? ゆうべだって薬で眠らされて……」
イノッチってば、ホントに臆病なんだから! よく探偵になろうなんて思ったよね。
「大丈夫ですよ。ゆうべのあれは睡眠薬ではありません。軽い催眠術をかけさせてもらったんです。あとはわたしたちの組織が猪熊さんの名刺にあった住所にあなた方をお送りしただけです。鍵は猪熊さんのポケットに入っていましたので。もっとも、施錠されていなかったのでしっかりと掛けておきましたが。お2人は今日も、絶対に家に帰れるように致しますから」
めがねの男性がゆうべの説明をしてくれた。イノッチ、探偵のくせに鍵かけ忘れてんのかよ! 恥ずかしいヤツめ!
「それじゃあ……お言葉に甘えて亜子ちゃん、行ってみようか?」
イノッチがこっちをチラチラ見ながら同意を求めてくる。やっぱり! 恐いんかよ!
「うん! 行こう、行こう! おねがいします!」
わたしはヤル気、まんまんよ!
「おやおや、好奇心の強い娘さんですね。では、一旦、ルビーの指輪は猪熊さんにお返ししておきますね。行きましょうか。わたしのうしろをついて来てください」
「はい」
「では、指輪はおれが持っています。よろしくおねがいします」
イノッチがルビーの指輪を受け取ってコートのポケットにしまった。よかった! 傷とかついてなさそうだ。
わたしたちはめがねの男性について下の歩道を、奥に向かって歩きはじめた。ビルの中を突っ切るカタチになっていて、以前はアーケード状の商店街があったようだ。今は真っ暗で何も見えない。だが、歩いて行くにつれ、段々と店が開きはじめた。灯りのともり出した店内では、人々が開店の準備に追われている。まるで戦後の闇市のようだった。
「ちょっと、ちょっと、イノッチ! どうなってんの? みんな時代がかった着物やもんぺ姿なんだけど?」
わたしは驚いてイノッチにコショコショ話をした。
「亜子ちゃん……兵隊さんもいるぞ。いつの時代なんだ?」
イノッチに指摘されて気がついた。ホントだ。ちらほら兵隊さんがいる。ここって戦後直後の時代なの? イノッチの大好きなマーロウのいた時代じゃない? だったらイノッチの格好、ピッタリだよね? よかったね、イノッチ! 時代錯誤が役に立つこともあるんだ。
「そうです。GHQの占領下にあったころの世の中ですよ。でも、我々の歴史は古いんです。マッカーサー元帥が下田に降り立ったときが、日本初上陸ではないんです。そのもっと前、坂本竜馬の時代から秘密結社として日本で暗躍していたのです」
めがねの男性の言葉にわたしたちは唖然とした。その話、ホントなの? 学校で習ったのとちがう!
「それが本当なら、GHQの目的はなんですか?」
イノッチが冷静に質問した。さすが大学出のことだけあるわ。
「本来の目的は洗脳です。日本という国を我々の思いどおりに動かすことを目標としていました。人々を精神から変えていく計画です」
「なんのために?」
「最終的には世界統一政府のためでした。ですが……我々はやりすぎた。次元をいじったことにより、ブラックホールが世界中のあらゆる箇所に空いてしまったのです。もはや我々の力では、コントロールが出来なくなりました。我々は世界統一の計画をあきらめ、こうやって地下世界で細々と暮らしているのです」
ええー? なんだかよくわからないんだけどー! ブラックホールってあれでしょ? X線の出処を日本とアメリカで探っていったら、白鳥座の辺りで見つかったってヤツ。最近、アインシュタインの理論を100年かけて実証したってニュースぐらいしか知らないよ! 地下で変な実験しないでよねー!
「これから世界に、何かが起きそうだってことなんですか?」
イノッチが更なる質問をする。
「それはわかりません。我々は責任を感じて、出来る限り世界の危機を阻止しようと日夜、努力しています……」
「そうですか……」
なんだかわからないが、イノッチは納得したみたいだ。なんだよ、恐い話だなあ。
「あっ! あそこです! あの質屋で聴いてみましょう」
突然、めがねの男性が左前方にある小さな店を指差した。そこには『大黒屋』とかかれた紺のノレンが掛けられていた。店は始まっている様子だ。わたしたちはめがねの男性に続いてノレンをくぐり、大黒屋という質屋に入って行った。
「いらっしゃいませ」
店の奥から初老の男性が出て来た。用心深そうにこちらにあいさつをした。カウンターから出て来ようとはしない。
「こんばんわ。この男性が持っているルビーの指輪をご存知じゃないですか? 猪熊さん、見せてもらってもいいですか?」
「あっ! はい。こちらです」
めがねの男性に促され、イノッチがルビーの指輪をコートのポケットから取り出して質屋の店主に見せた。それを見たとたん、店主は顔色を変えた。
「これをどこで? うちは盗品は扱わないよ! トットとそれを置いて行きな! 事と場合によっちゃあ、警察を呼ぶぜ!」
店主がいきなり怒りはじめた。わたしたちは慌てた。この指輪が盗品って、どういうことよ! わたしとイノッチは思わず目を見合わせてしまった。
「店主さん、そういうもんじゃないんですよ。これは持ち主から頼まれて探してきた物なんです。持ち主は鈴木さんという方ではありませんか?」
めがねの男性が店主を宥めはじめた。
「そうですけど……では、これから届けに行くんですか?」
「はい。鈴木さんのお宅はどちらでしょうか?」
「そこの路地を入ったところにある長屋に住んでる。その指輪は鈴木さんのお嬢さんがずっと探していた物だ。わたしのとこにもしょっちゅう質流れで、きていないか確認にくるんだ。大事な人がお嬢さんのために買ってくれたモノだが、その人が急死しちまって一緒に指輪も無くなったって言ってね。聞けば相当高価なモノみたいだったから、たぶん、盗まれたんだろうと質屋組合にお触れを出しておいたんだ。大きなルビーの指輪が質に出されたら、うちに知らせるようにとね。こんな大きなルビー、鈴木さんの言ってた指輪に間違いない。ちょっと、ごめんよ。やっぱり! 内側に鈴木さんのお嬢さんの名前でHANAと掘ってあらあ!」
「それはよかったです! その男性はどうして亡くなってしまったんですか?」
「出征の日に、あそこの歩道の出口付近で空襲にあったんだよ。即死だった。銀座まで行って、鈴木のお嬢さんに大きなルビーの指輪を買って届ける最中だったそうだ。銀座の店には証文がちゃんと残ってんだよ。遺体はきれいだったのに、指輪だけ亡くなっていた。ここだけの話、鈴木さんはその人の子を妊娠してるんだよ。お察しの通り、こんな長屋に住む娘と銀座でルビーの指輪が買えるほどの大金持ちの息子の身分違いの恋だった。軍需工場で知り合ってな。男は実家に娘さんを紹介する前に亡くなったんだよ。その指輪があれば、娘さんが男の恋人だったってことが証明できるんだ!」
「そうでしたか……わかりました。わたしが責任を持って鈴木さんに指輪を届け、おなかの子のお父さんの実家に知らせます。任せてください。鈴木さんの吉報を待っていてくださいね」
「そりゃあ、ホントかい? 鈴木さんの娘さんはそりゃあ、いい子なんだ。おれは幼い時分から知ってるんだぜ。どうか、たのみますよ!」
「はい。お任せください。お邪魔しました。では、わたくしたちはこれで。猪熊さん、亜子さん、参りましょう」
「はい」
「は、はい!」
わたしもイノッチに続いて慌てて返事をした。なんか、すごい急展開! でも、よかったわ。鈴木さんってことは、もしかしたらルビーの指輪を探していた女性のご先祖さまかもね?
「イノッチ! よかったね! 名探偵の出番はなかったけど、一件落着ってか?」
「亜子ちゃん……でも、こんな不思議なことってあるかな? だって、おれたちがルビーの指輪を届けなかったら、うちの依頼人の鈴木さんはこの指輪の持ち主にはなれなかったってことだぜ?」
「だって、ここって次元がおかしいんでしょ? だったら、なんだっていいじゃん! 考えるだけ、ムダムウダ!」
「そうかなあ……亜子ちゃんは気楽でいいな」
鈴木さんという娘さんがいる長屋はほんとにすぐそばだった。井戸端会議をしていたおばちゃんに聞いたら、1番奥の家に住んでいるとのことだった。
「ごめんください。わたくし秋田という政府の者ですが、鈴木さんの娘さんはご在宅でしょう?」
「はい」
めがねの男性、秋田っていうのか。彼が声を掛けると、中から声がして若い女性が出てきた。わたしと同い年ぐらいのかわいらしい女性だ。
「ルビーの指輪をお探しだったんでしょう? こちらの男性が探して持って来てくださいましたよ。謝礼はあなたのおなかの子供の子孫が、すでにたっぷりと払い済みだそうです」
「え?」
「ああっ! あなたは!」
イノッチが大声を上げた! おおかた、依頼人とそっくりだとでも言うんだろう。愚か者め! そんなこと口にして彼女を混乱させるなよ! それより秋田さん、なんでイノッチが鈴木さんの子孫に謝礼いっぱいもらったこと知ってるんだろ?
「鈴木さんにそっくりです!」
イノッチ言っちゃったよ! バカなヤツめ!
「猪熊さん、そうでしょうとも。さあ、これが指輪です。お受け取りください」
「あ……ありがとうございます。これです! これが、あの人がわたしのために……一緒に銀座のお店に行って注文した……」
あとは言葉にならなかった。はなさんは大粒の涙を流して喜んでいた。わたしたちも、もらい泣きしてしまった。
しばらくすると、はなさんのご両親も帰って来た。




