4話
「それでは猪熊さん、亜子さん。わたしが責任を持って鈴木はなさんをおなかの子の父親の家に連れて行って認知してもらいます。あなた方はそろそろ帰られた方がいい。あまり長くここに居ると、わたしのように出られなくなりますから。元の道を辿れば帰れますので。それではごきげんよう」
秋田さんに見送られ、わたしとイノッチは元来た道を帰っていった。
「イノッチ見た? 道端のテーブルで日本酒飲んでたのって、マッカーサーと大女優じゃない?」
「マドロスパイプにグラサン……確かに似てたけど……2人とも死んでるだろ?」
「うん……でも、ここって不思議な場所だから、そういうのもアリなんじゃない?」
「そうか……そういうもんか……亜子ちゃんは若いから頭が柔らかいけど、おじさんは付いていかれんのだ! アーア! どうなってんだ、いったい!」
「急におじさんぶっちゃって! まだ30代でしょ? サッサと行くわよ!」
わたしはイノッチを引っ張って新宿の歩道の下まで戻った。名残惜しくて振り返ったときにはもう、元の朽ち果てたアーケードに戻っていた。あーあ。つまんないの。また、退屈な現実世界に逆戻りかあ~。
「亜子ちゃん、すっかり夜が明けてるな……夜明けのコーヒーでも飲むかい? おごるよ」
「はああ……急に眠くなっちゃった。いいわよ! 行きましょう!」
イノッチと色気の欠片もない夜明けのコーヒーを飲み、わたしたちは帰途についた。
――翌日。
「亜子さん! 今は入らないほうがいいっす!」
『ムーンマジック』の裏口を入ろうとするわたしを、榮太郎がトウセンボする。なんだと! わたしを締め出そうなんて、百年早いんだよ! この、ひよっこがあ!」
「どうしてよ?」
「それが……イノッチ先輩が……」
「イノッチ? いるの? そうだ! バイト代、もらわないと!」
「ちょっと! ダメですってば!」
わたしを制する榮太郎を避け、さっさと着替えてお店に出た。いつものカウンターにイノッチがいた。
――隣には。
「ああ!」
「お! 亜子ちゃん! こんばんわ!」
「イノッチ! そちらの方は……もしや」
「ああ! 亜子さん! 見ちゃったんですか! もう~! イノッチ先輩! デリカシーなさすぎー!」
榮太郎がなにかわめいているが、無視だ、無視。あいつには一生、誤解させておけ。
「こんばんわ。どうしても亜子さんにもお礼が言いたくて……猪熊さんに連れて来ていただいたんです。注文してもいいですか?」
イノッチの隣りには、鈴木はなさんソックリな女性が座っていた。ふむふむ。あの人が化粧して現代の服を着ると、こうなるのか。
「どうぞ」
わたしはバーテンダーに徹した。
「では、猪熊さんと同じ物を」
よかった! それなら、毎日作っているから得意中の得意だ! わたしはすぐにイノッチ特性ギムレットを作った。女性だから、甘くても全然、大丈夫だろう。
「どうぞ」
スッとギムレットを鈴木はなさんの子孫の女性に差し出す。改めて、本当にわたしとイノッチってタイムスリップしちゃったんだと実感する。こんなことってあるんだ~。
「おいしい。亜子さん、いい腕してますね」
「へ? あ、ありがとうございます!」
さすがお嬢様! わかってらっしゃる!
「亜子ちゃん。鈴木さん、先祖の遺品整理してたら、ひいおばあさんの手紙が見つかったんだって。おれたちにお礼を言ってくれって書いてあったそうだ」
イノッチが説明してくれた。
「はい……祖祖母の手紙に、不思議な2人の男女がルビーの指輪を届けてくれたので、よくお礼を言っておいて欲しいと書かれていました。たぶん、未来から来た人たちだと……」
「ええ! なんで、わたしたちが未来人だってわかったの?」
「亜子ちゃん。たぶん、秋田さんじゃないかな? 説明してくれたんだよ」
「そんなこと、ばらしちゃっていいわけ?」
「あそこの空間全体が不思議だったからな」
「う~ん。ややっこしいわね。でも、わたしたちが時空をいじってしまったってことはないかしら?」
「さあ……タイムトラベルは門外漢だからわからないな」
おっと。バーテンダーがこんなにしゃべりすぎてはまずいわ! わたしは黙った。
「猪熊さん、亜子さん、本当にありがとうございました。祖祖母に代わってお礼を申し上げます」
鈴木さんが丁寧に頭を下げてくれた。
「そんな! おれは仕事をしたまで、です」
「そうです。わたしたちは好奇心で頭を突っ込んじゃったようなものだから! 気にしないでください」
「いいえ。祖祖母の手紙からは、本当に感謝の気持ちが溢れ出ていました。あなたたちのお蔭で、私も今ここにいられるんだと思います」
鈴木はなさんの子孫の女性は、そう言って笑うと、ギムレットを飲み干した。
かなりの酒豪とみた。
彼女はその後、わたしの常連さんになってくれた。
「めでたし、めでたし……っと。イノッチ、バイト代、まだもらってないんだけど!」
「亜子ちゃん……事務所の借金返したら、手持ちがなくなっちゃって……今、猫探しをしているから、トラちゃんが見つかったら、渡すよ……」
「なに、それ? イノッチいつから何でも屋になったのよ! 人間の依頼はないの?」
「亜子……大目に見てあげろよ。金が欲しいのなら、バイト料を上げてやるぞ? イノッチさんは大事な常連さんだろう」
「マスター……だって、イノッチわたしのツケで飲んでるんですよ? ハイ、ハイわかりました。はなさんの子孫を連れて来てくれたのはイノッチだから、今回は見逃してやるか」
「亜子ちゃん、悪いな……。大きな仕事が入ったら、おごるから!」
「イノッチってば……調子いいんだから。ところでイノッチ! あれからあのアーケードに行ってみた?」
「え? 行かないよ。恐いじゃん。行くなら亜子ちゃんと一緒に行くよ」
「なんでわたしが一緒なのよ! まったく……実はわたし昨日の夜中にあそこに降りてみたんだけど……」
「ええ! 恐くないのかよ? それで?」
「何もなかったよ……イノッチが一緒じゃないとダメみたい」
「そうだろ? やっぱり、2人で1つなんだよな~」
「何言ってんだろ。ああっ!」
ガッシャーンッ!
「す、すいませんっ!」
「亜子ちゃん……また、シェーカーぶっ飛ばしちまったのかあ~?」
「だって……」
「亜子! もう1度……」
「はい……おしぼりですね? もう、握ってます……」
トホホホ。
またマスターに怒られちゃったよ。
「亜子ちゃん、どんまい! がんばろうね?」
「ひとみ先輩……」
ひとみ先輩のようになれるのは、まだまだ先だわね。
「亜子さん……やはり、イノッチ先輩の前だと緊張しちゃいますか? かわいいとこあるんですね」
「おめえは黙ってろ……」
榮太郎のヤツ、すっかり誤解してんな。変なうわさ、立てないでよね?
でも、あのGHQの通りは本当に不思議だった。またいつの日か、異次元に迷い込むことがあるのかもしれない。そのときもイノッチと一緒なのかな?
今日もギムレットばかり飲んでいるイノッチを見つめた。誤解して真っ赤になって下を向いて照れてるよ。やれやれ。
わたしが本物のバーテンダーになるのはまだまだ先だけど、今日もがんばってシェーカーを振るわ。
『ムーンマジック』の夜は、今日もこんな風に更けていくのだった。
(おわり)




