決意
ゴーンと鐘の音が時を告げている。私はルナのノートを広げたまま茫然としていたようだ。時計を見る12時をまわっていた。私はセンのところへ行かなくては。という思いの反面、ルナの言葉のことを考えると恐怖で動けなくなってしまった。
自分はどうしたらいいのか。自分自身の足下の床がすべて崩れてしまったような気分だった。
13時をまわるころ、私は意を決してセンの待つ研究室の扉の前に立った。手に持った鞄を握りしめる。
鞄の中には私の全財産とルナのノート、そしてルナからの手紙が入っている。扉をノックするとセンが出迎えてくれた。
「待ちくたびれたよ、コウ。どきどきして寝坊したんじゃないのかい?」
いつものセンのようにへらへらと笑っている。けれど、次の瞬間には真剣な顔になって、私を部屋の中へ招き入れた。
私は研究室の中にはあの事故依頼入っていなかったが、爆発の後があちらこちらに残っている。ガラスは割れたままベニヤ板を打ち付けてあり、煤けた壁もそのままだ。
センは私を研究室の中央に誘うと中央に置いてある試験管を示した。
「これが不老不死の薬だよ。まだ5本分しかないけどね。病気が治り、誰も老いることもない。もちろん死ぬこともね。最高の薬だよ。」
センは熱狂的な様子で続ける。
「このうち2本を飲んで試すべきだと思うんだ。残りの3本は既に買い手がついたよ。」
「ちょっと待って。」
私は思わずセンの言葉を遮った。まだ、効果を確証していないのにもう売るといのだろうか。そもそも、そんなおかしな薬が認可されるわけがない。私のその疑問を予測していたように、センは笑った。
「心配しないでくれ。これは政府の要望を受けた研究だ。」
センの自信満々の言葉に私は声を失った。政府の要望ということは、この研究のことは教授はもちろんこの研究院の院長も知っているということになる。
「学会で発表したあとにルナとコウに説明して発展研究にすることにしてたんだよ。ルナや君が反対すれば僕だけで発展させようと思っていた。」
その言葉が本当であれば、ルナの死後すぐに研究室に閉じこもったセンの行動にも納得がいった。
けれど、私はルナの想いを無駄にすることはできなかった。私はセンを突き飛ばすように保管庫へ走った。あの植物がなくなれば、これ以上の研究はできない。そして、保管庫の中の植物をすべて鞄に入れると窓の外に躍り出た。幸いにもここは一階だ。
「おい、コウ!!何するんだ!大事な資料だぞ!!!」
センの怒鳴り声がする。私は振り向きもせず、正面門に向かって走り続けた。このまま外にでれば私は二度とここに戻ってはこれない。それでも、ルナの意志を継ぎたかった。正面門までは400メートルほどあるが、正門に面して正面には研究院の本館があり本館と門の間は庭園となっている。庭園は垣根の迷路のようになっており私はその中に飛び込んだ。
この迷路はルナが大好きだったので、よく一緒に中でくつろいでいた。一気に駆け抜け、反対側にでるとそのまま門の外へと駆け出した。ちょうど、呼んでおいた車が到着したところだった。
「このまま駅へ連れて行って」
私は息も絶え絶えになりながら、どうにか乗車した。
運転手は駆け込んできた私に驚いたようだったが、何も聞かずに駅へと連れて行ってくれた。事情を聞かずにいてくれたことに感謝しながら私は駅へ飛び込んだ。時計の針はあと5分ほどで14時半を回ってしまう。私は東へ向けた寝台列車の切符を急いで買うと列車に飛び乗った。
14時半ぴったりに列車はゆっくりと動き出した。逃げ切れたことに安堵しながら、私は自分の手の中の切符のコンパーメント番号を確認し自分の席へと向かった。
幸いにもコンパーメントの中には誰もいなかった。ちょうど、空席だったようだ。扉を開けて中に入ると安心感からかどっと疲れが出てきた。窓の外は見慣れた街並みがものすごい勢いで後方へと流れ去っている。私は進学と同時にこの街へきた。私は片田舎の出身だったため、この街に初めてきたときは街の大きさに衝撃を受けた。そんな街をいざ離れる時になって、やっと自分の暮らしがいかに安定したものだったのか感じていた。
しかし私の決意は揺るがなかった。私の願いを聞き入れ、この街の大学に進学させてくれた両親には既に連絡を入れてある。けれど、万が一追われることになった場合には迷惑をかけないよう、具体的なことは伝えていない。きっと今頃両親は心配しているだろう。私は心の中で両親に詫びた。
座席に座って一息つくと、私は改めてルナのノートを取り出そうとした。そして、ノートを開こうとしたとき、がらりと入り口の引き戸が開いた。慌ててノートをしまい入り口に目をむけるとそこにはセンが入り口をふさぐように仁王立ちしていた。私があまりの驚きに何も言えずにいると、センはコンパーメント内に入り向かの席に腰を下ろした。
なぜここにセンがいるのか、私は驚きのあまり疑問を口に出すこととできずにいた。すると、センは足を組んで口を開いた。
「で、この列車はどこに向かってるんだい?」
「この国の東はずれよ。何も考えずに列車に乗ったの?言っておくけど、東はずれの街までノンストップよ。あと3日はかかる。」
最後の言葉は自分に言い聞かせる言葉でもあった。そう、もう引き返せない。
窓の外を見ると街並みはとっくに消え去り田園風景が広がっている。
窓に映る自分の顔は自分で思っている以上にこわばっていた。肩につくくらいの黒髪をルナはよくうらやましいと言ってくれた。私はルナのふんわりとした茶色の髪が可愛くてしょうがなかった。いつも羨ましいと言い合いながら二人で肩を並べていた。
ふと目の前に紺色のチェック柄のハンカチが差し出された。私は驚くと同時にいつの間にか頬を伝っていた涙に気がついた。この1ヶ月泣いたことがあっただろうか。ルナを失ってから私は一度も涙がでない自分の感情に恐怖さえ感じていた。何も感じられなくなり凍り付いたような自分の感情がとても怖かった。けれど、今は涙が止めどなく流れてくる。今まで凍り付いていた氷が一気に溶け落ちるように涙がこぼれ落ちてきた。
「お前があの植物を返してくれる訳がないよな。」
しばらくしてからセンが呟いた。
「たしかにルナも反対してた。俺はルナがあんな行動に出るとは思わなかったんだ。」
センのことばを聞いているうちに、私の中にはだんだん怒りがこみ上げてきた。センがルナの話を聞いていればルナは死ななくてすんだのに。そんな想いが口をついて出そうになる。私の心と中ではいろんな想いが渦巻いている。センが悪いと言ってしまいたい自分と、ルナの想いを知ることできなかった自分の罪悪感とでだんだん息が苦しくなってくる。私はすべてが入ったカバンを固く抱きかかえた。




