あの日
私とセンの出会いは大学生の時だった。センはいつも黒髪をぼさぼさのままにしていて、丸い眼鏡をかけていた。黒髪に痩身、色白で切れ長の眼差しは“磨けば光る”とよく友人たちに言われるほど恵まれた容姿にもかかわらず、全くと言っていいほど気を使っていなかった。今までに見た中で一番最悪な服装は肌色に近いサーモンピンクのスキニーパンツに薄いピンクのTシャツという組み合わせだった。友人関係にあった私は教授から身なりに気を使うようアドバイスしてくれと懇願されたことすらあった。しかし、服装にも気を使っている様子はなかったが、特に清潔感がないわけではなかったので、特に私から身なりのことを口にしたことはなかった。
それが心地よかったのか、よく
「君たちはありのままのぼくを受け入れている!!素晴らしいことだ!」
と言っていた。
「ありのままななんじゃなくて、あるがままなんでしょ。」
なんていい返すのが私たちのいつもの会話だった。ルナにいたっては、ぼさぼさの頭と変なファッションが少し常識と外れたセンの美的感覚であると思っていたようだ。
今日であの事故からちょうど1ヶ月だ。昨日のセンの言葉が蘇ってくる。センはルナを失ってから人が変わったかのように研究していた。1日中研究室にこもりきり、食事もろくにとっていないようだった。私は同僚と止めに入っても全く耳を貸さなかった。それどころか、私の入室さえ拒むようになった。
昨日久しぶりにセンの部屋に呼び出された私は耳を疑うような話を聞いた。センが万能薬を完成させたというのだ。そして、その万能薬は健康な人間に投与すれば不老不死になれるという。
「コウ!俺は最高の薬を開発した。」
私はぎらぎらとしたセンの瞳に射くすめられ、恐怖を感じた。漆黒の瞳が爛々と燃えている。
「この薬があれば人間は死ぬことはない。老いさえもないんだ。コウ!明日の昼もう一度俺の部屋へ来てくれ。」
私は何かとんでもない話を聞いてしまった気がした。
研究者の中で、絶対に譲ってはいけないものがある。それは死者の復活と生命の誕生。私たちはそこを侵さないという誓約の元、日々研究している。
今日の昼、センは何を私に語るのだろう。私はもやもやした気持ちと恐怖に押しつぶされそうだった。私の心の中には大きな雷雲のような暗い気持ちが広がっていた。ルナは知っていたのだろうか。私がセンのことを知らなかっただけなのだろうか。私はルナもセンも親友だと思っていたけれど、そうではなかったのかもしれない。そんなセンのことを知れなかったという嫉妬のような気持ちとともに、なぜ友だと思っていた仲間が危険な研究に手を染めていることに気がつけなかったのかという自責の念がわき上がってきた。私の胸の中にはどろどろした感情と自分を責める感情が渦巻いていて自分では抑えることができなくなりそうだった。しかし、自分自身がわからなくなりそうあっても研究者として譲ってはいけないものがあると自分の中の冷静な部分で感じていた。生と死は神の領域だ。そこに一度手を出してしまえば二度と戻ることは出来ないだろう。
朝日が差し込む頃私は部屋に戻った。すると、私の部屋の真鍮の取っ手に何か掛かっている。可愛い袋に入った表には丁寧な字で私の部屋番号と名前が記入してある。ルナの字だ。日付と時間が指定されている。荷物が出された日付はあの事故の前日だった。
あの日、ルナはひとりで研究室にいたのだ。私たちはこれからの学会の準備のため街にでていた。
世紀の大発見を世に出す学会。私もセンも心が躍っていた。でもルナは研究室に残ると言ったのだ。私もセンも真面目なルナはぎりぎりまで論文を詰めたいのだと思いルナを研究室に残した。
ルナは研究室で何をしていたのだろう。街から戻った私たちが知ったのは研究室で大きな爆発があったこと。そして、研究員が一人爆発に巻き込まれたことだった。誰もルナがどうなったのか教えてはくれなかった。ただ、教授からはルナはもう二度と会えないとだけ伝えられた。
小包の中身はルナからの手紙と映像データのカードだった。よほど大事なものなのか、研究データ等を保管するときに使用する個人認証がかかっている。手紙にはルナの懐かしい字が並んでいた。しかし、始めの文字を読んだとき私は目を疑ってしまった。そこにはこの手紙は誰の目にも触れないようにしてほしいと書いてあったのだ。
私はルナの手紙を読むとすぐに自室に入り内鍵をかけた。念のため防音壁を起動させる。この建物は改装され、外観と内装の造りは古風なままだが、設備は最新鋭のものなっている。
ここで暮らしている研究者はめったに防音壁までは起動しないが、徹夜が続くときなどは昼間でも睡眠をとれるように防音装置である防音壁を起動できる仕組みがついていた。
映像を再生する前に私は自分の個人端末に転送をかけた。おそらくこの映像は再生されればそのまま消去されるようプログラムされている。転送をかけるとパスコードを求めるメッセージが表示された。私は迷わず私達のルームコードを入力する。すると、すんなりと転送された。このコードは私とルナだけの秘密のコードだった。
私の個人端末に転送が完了したことを確認すると、私は映像を再生した。映像が再生されるとルナの懐かしい顔が表示された。
コウ。映像の中のルナが私に呼びかけてくる。私は何ともいえない気持ちでルナの映像を見つめた。
ルナはこれから話す話は絶対に誰にも言ってはいけないと言った上で話し始めた。
「コウ。私知ってしまったの。あの薬は世に出してはいけないものだったの。あの薬は人類を崩壊させる。私あの薬を消そうと思うの。」
画面の中のルナは訴えかける瞳でカメラを見つめていた。
「なんで、言ってくれなかったの?ってコウは言うよね。ごめんね。でも、私一人の心配かもって思って。あのね、あの植物はここから、もっともっと東の国で栽培されていたものがここ数年で持ち出されたものだったの。コウ。あれは薬なんかじゃない。化学兵器だったの。遺伝子構造を組み替える作用があるの。信じられないと思うけど、もともとある一族が栽培していた植物なんだって。その一族は人間ではなくて不思議な力を操っているんだって。そんなおとぎの国みたいな話あると思う?そんな一族いるなんて思えなくて、私会いに行ってきたの。実際にその人たちに会って植物の事を聞いたんだ。そしたら、その植物そのものには感覚を麻痺させて、気持ちを明るくする作用しかないんだって。その遺伝子を改良させて作られたのがあの植物なの。でも、彼らは何があったのか知らないみたいだった。ただ、わかったのは人間が人間じゃなくなってしまうかもしれないっていうだけだったの。
苦しみがなくなったら、この世の中は幸せになれるのかな。あの植物の本質は苦しみをなくすこと。だから、どんな病気でも治すことができる。でも、その効果が遺伝子を書き換えられたことで変わってしまった。
私、あの植物を全部処分しようと思ってる。ごめんね。コウ。
ただ、センはあの薬にすべてをかけてるから、私一回話をしてみようと思ったの。でも、思い込んだら一直線な性格でしょ。全然聞いてくれなかった。
明日、研究室で処分するから。
コウ。今までありがと。私、コウが大好き。」
そこで、ルナの映像は途切れた。そして、予想通りそのままデータは消去された。ルナは先々まで考えている。
私は思わず封筒を握りしめたとき封筒の内側に鍵が貼り付けてあることに気がついた。
この鍵はルナが使っていた机の引き出しの鍵だ。ルナは全てを覚悟して研究室に残ったのだ。喉のあたりが苦しくなってくる。何で気づかなかったのだろう。
引き出しを開けると地図とノートが出てきた。ノートには植物についての考察がかかれている。最後のページの言葉には
“彼らは水と土と風と光で植物を実らせる。残りは火。
火を使うことで爆発を引き起こす可能性有。”
とだけかかれている。ルナは最後の手段を試みたのだろう。




