スタートにも立ってない4
巨大蜘蛛、アラクネに一応話は聞いてもらえることになったはいいものの"家"に上がるわけにもいかず(絶対食われる)、森に挟まれた狭い小道でいびつな円を描いて腰を下ろした。
アラクネは大っぴらに股を広げて胡座をかいており、その動きからしても男性に近いように思う。
碧斗は未だにビンタされたことに不満を持ちながらも怖くてなにも言えずにいた。
この判断は間違っていない。
碧斗の危機回避能力は確実に上がっているのである。
「シェルに言われて……」
ミーシェがアラクネに説明してくれている間、碧斗はぼーっとしていた。
シェルの話が出てきて、改めて目的を思いだし、それに伴い今の状況を考えると何か不思議な感覚がした。
ミーシェは自分が助けたから着いていくと言ってくれているが、自分も既に十分助けられている。猫は人でなく家につくと言うが、そうでなくともここまでしてもらっていいのだろうか。
ティアラとサーラはシェルの話を詳しく聞くのが初めてだったため、アラクネと一緒にミーシェの話に耳を傾けている。
サーラは何故か自分にべったりだし、ティアラはそのついでだけど、絶対に着いてこなければならない理由はない。
そしてリャオは、俺の側に居るもアラクネの様子を伺いながらそわそわしている。
しかしそれは恐怖心からくるものに思えない。
何故かリュックを背負いたがったこの子は何故今もこうしてここにいるのか。
それは同時に、
誰のことも、何も知らないということだ。
何故こんな気持ちになるのかわからない。
アラクネが現れたときの恐怖心から何かが芽生えたのかもしれないし、蜘蛛の巣の隙間から見える崖の向こう側にビビっているのかもしれない。
恐怖を知って感じたのは、自分の"無力さ"だ。
そう、シェルの元を発ってからまだ二日目なのである。
あまりに濃密な一日に忘れかけているが、まだ自分はほとんど経験値がない。
ろくに剣を振っていない。
アラクネが現れた時、自分は何をしていた?
ただ突っ立っていただけだ。
剣も抜かず、構えもせず、何も考えず、逃げようともしなかった。
こんなことを考えていて繋がることはただ一つ。
━━本当にこのままで目的を達成できるのか?
もしアラクネが他人の話も聞かずすぐに襲ってくるような奴だったら、自分はどうなっていただろう。
そしてこのお人好しの仲間は、自分に巻き込まれて傷付いていたのだろうか。
「━━と言うわけです」
「……ふぅん」
ミーシェの話が終わったようで、アラクネは一つ気のない返事をした。
碧斗がぼーっとしていると真っ赤な目と合い、ふと我に帰った。
アラクネは静かに手を顔の前まで持ち上げ、人指し指を立てる。
「一つ、わしはあいつの友人などではない」
あ、それは薄々感じてました。と思うも、続く言葉に血の気が引いた。
「たがらお主らを喰わない理由はない」
アラクネは硬直した碧斗を見ると口の端を吊り上げて笑ったが、笑い返す余裕などあるはずがない。
先程考えていたことが的中したと思った。
続いて中指を立てながら、アラクネはまた不機嫌な表情に戻る。
「二つ、わしは研究などしておらんわ」
「……え」
「すなわち、グリフォンの爪など欲しゅうない」
「てことはここに来たのは?」
「全くの無駄だったということじゃ。気の毒にのぅ」
カッカッカッ、とアラクネは高らかに笑った。
いやいや、笑えない。
もしアラクネが爪を欲しがっているのが事実なら、まだここで見逃してもらえる可能性はあった。しかしその切り札とも言えるものが今無くなった。
それはつまり今すぐここで喰われても仕方ない状況にあるということで。
シェルはそれを狙って俺をここに向かわせたということか?━━━全くもって笑えない。
「あのクソ狸に関わったのが運の尽きじゃったのぅ。それゆえ、少し同情してやろう」
アラクネはゆっくりと立ち上がり、碧斗に詰め寄る。
目の前まで来ると腰を下ろし、ヤンキー座りで少し高い目線から碧斗を見下ろすと低い声で言った。
「今すぐにここを立ち去れ。クソ狸の元へ帰り、一刻も早く元の世界へ帰るんじゃ」
「え、」
「言っておくが、これはお願いなどという生易しいものではない。命令、あるいわ脅しじゃ」
その鋭い視線と圧力に、何も言い返すことが出来なかった。
しかし頷くことも出来ずただ見つめ返す碧斗に、アラクネは立ち上がってもう一度言った。
「早く立ち去れ」
そしてリャオを一瞥すると、顎をクイッと使って言い切る。
「リャオミセンド・アゲストラーチ。こいつらはもういい」
「……はい」
まるで知り合いのような口振り。
そしてそれは事実だった。
リャオは立ち上がり、碧斗の側から離れてアラクネの元へ行った。しかしそれにはいつもの軽快さがない気もする。
ミーシェもサーラもティアラも何も言わない。
高い位置で束ねられた黒髪を揺らしながら離れていくアラクネの背と、それに俯いて着いていくリャオを見て、碧斗の頭は意外と冷静だった。
その冷静な頭で考えた結果、まずしなければならない事に浮かんだのは、
リャオを助けなければ、だった。
会ってたった2日。
それでも分かる。こいつはこのまま別れてアラクネに着いていくことを望んでいない。
だってそうだろう。
そうでなければ、何故あんなに悲しそうな目で振り返る?
碧斗は側に放置されていたリュックを引っ付かんだ。
「!……碧斗……」
「どういうつもりじゃ、小僧」
リャオの呟きに振り返ると、人間の、それも先程散々脅した奴が再び自分に干渉してきていた。
自分のものであるリャオの腕を掴んで引き留めている腕を切ってやろうかと思ったが、アラクネはリャオのためにそうはしなかった。
碧斗はえーっと、と視線を泳がせるも、ひきつった笑みを浮かべてしっかりとアラクネの目を見た。
「こいつはちょっと、そう、そのーリュックを背負って貰わないといけないので、置いていって下さい」
「……お前、リュックも背負えんのか」
「そういうわけではない、んですけど」
「なら、自身で背負え」
何も言い返せないくせに、人間はリャオの腕を離さない。
何がしたいんだ、こいつは。
「一刻も早く立ち去れと言ったはずじゃが」
「そのことなんですけど!」
碧斗はリャオの腕を離すと肩を引き寄せ、自分の後ろへと押しやった。
目を見開いたリャオの顔は見ず、しっかりと立つと自分より目線の高いアラクネへと向き直る。
アラクネの機嫌がすこぶる悪いことは見ての通り明らかで、それを恐れていないはずがないのに、碧斗はしっかりと立っていた。
「どうしてそんなに急がせるんですかね」
「お主らが目障りだからじゃ」
「なんかそれだけじゃない気がするんですよね」
「……なんじゃと?」
「今あなたは何処かへ戻ろうとしたじゃないですか。じゃあ俺らがここにいても居なくてもどうでもいいですよね」
「なにをっ……」
「それに!あのシェルって奴が俺を無駄にここに向かわせたと思えないんですよ」
怒りを露にしたアラクネが何か言いかけたのを塞ぐように、被せて碧斗は続けた。
リャオの、アラクネの、シェルの何を知っているのかと聞かれれば、何も知らない。
しかしこれは確信とも言える思いだった。
アラクネは今すぐにでも食えるのに食わない。
シェルは武器まで自分に渡した。
これには何か意味があるのでは?というか、何か隠している気がしてならない。
碧斗は自分のなかの違和感が言葉にしたことで確かになったことに少し満足していた。
しかしすぐに、後悔することになる。
目の前の女は少し俯き、ボソッと何か言った。
反射的に、え?と聞き返すと、プルプルと肩が震え始めた。
「えっと、アラクネ、さん?」
「この、人間風情がっ、」
髪が逆立ち、目の赤さが濃くなったように錯覚した。
歯を剥き出しにして碧斗を睨み付けたアラクネの体は再び光り、むくむくと膨れ上がり、巨体な蜘蛛の形へと変化する。
「黙って従っていればいいものをっ!」
咄嗟に、碧斗は腰の剣を抜いた。
先程は本当に何も出来なかった。しかし今は自分の確かな意思がある。
事実を聞きたい。そして、
リャオにリュックを背負ってもらいたい。
こんなもので抵抗できるかは分からないが、汗ばむ手でしっかりと剣を握った。
しかし蜘蛛はその剣を見て、動きを止めた。
糸でも吐き出してくるか、またはその足で潰されるかと思っていたが、ただ剣を見つめるだけだ。
しかしまた、その硬直も一瞬にして終わった。
さっきより毛を震わせ、体を揺らすと地団駄を踏む。
「あいつぅあぁあっ!その剣までこんな奴に持たせたのか、クソ野郎がぁ!!!」
「へ?剣!?」
思いもよらない怒りの矛先に面食らい、剣と蜘蛛を交互に見る碧斗に蜘蛛は最後の警告をしようとした。
「あと一秒でも長くここに居てみろ、お前の命はないと……」
ピューーールルルルル……
遥か上空で聞こえた鳴き声が、アラクネの言葉を遮った。




