スタートにも立ってない3
突如上から降ってきたように現れた巨大な黒蜘蛛。土煙の合間にたくさんの赤い目がそれぞれ碧斗達を捕らえていた。
ティアラは思わずリャオを落とす。落とされたリャオはというとすかさず飛び起き、サーラと共に碧斗へと駆け寄り、背後に隠れた。
ティアラも咄嗟に反応して駆け寄ったが、そのことにより碧斗は後ろに下がることが出来なくなってしまった。
内心では悪態つきまくりである。
━━なにわざわざ近づいてんだよ、馬鹿か!と。
「何時ぶりじゃろぅのお。獲物が自ら近寄って来ようとは」
直接響かせるような声に、体は硬直した。
自分達は今、エサとして見られているのだ。声を上げることすら出来ない。
今なにか言ったところでどうにかなるとも思えないが。
しかしそんな中、至って平然としている者がいた。
碧斗の肩から飛び降りるとテケテケと蜘蛛に近寄っていく。
「ミーシェ!」
怖いもの知らずにも程がある。
車のことといい、今回のことといい、巻き込まれるこっちの身ももう少し考えてくれ!
そう思うも虚しく、碧斗の決死の叫びは軽くスルーされ、ミーシェは蜘蛛の数メートル手前で止まると前足を折って軽く低頭した。
「お初にお目にかかります、アラクネ」
ミーシェの何十倍もの大きさがある蜘蛛のたくさんの目が全てミーシェを捕らえ、凝視している。
碧斗は息を殺してその光景を見ていたが、ふと思考が正常に働いた。
━━ミーシェはこの蜘蛛を知っているのか?
まぁ出会って早々、この世界のことは知り尽くしてしまったと断言したのだ。もしそうであっても不思議ではないが、『お初に』と言うことは面識はないということだ。
以前、碧斗達を狙うことに変わりはないのではないか。
「あなたは、そんなことはしないでしょう」
ミーシェの語りかけを、蜘蛛は黙って聞いていた。襲いかかる素振りはない。
「シェルの友人とのことで来たのですが……まさかあなただったとは」
「……あんの、狸じじいがっ」
それを聞いて、蜘蛛が怒りを露にした。
細かな体毛が逆立ち微かに震え、足先が地面にめり込み数十センチ削られる。
「ちょこまかと余計なことばかりしおって!もう許さん!次会ったらぶっ殺してやる!」
それからも辛辣な言葉を吐き続け、ようやく落ち着いても碧斗達は放心状態だった。自分が怒られている訳でもないのに恐縮し、動けずにいる。座り込まなかったのが凄いくらいだ。
その様子に気づくと、蜘蛛は一つため息をついてミーシェを見た。
「で、お前は?」
「猫又のミーシェと言います。しかし私は只の付き添いであちらの……」
ミーシェが碧斗を見ると、蜘蛛の目が全て碧斗の方へギョロっと動いた。
猫の二つの金色の瞳と蜘蛛の多くの赤い眼に見られ、丸裸にされたような感じがした。
「久坂碧斗。あの人間がシェルの頼み事を引き受けました」
「人間だぁ!?」
再びその怒鳴り声に大地が震えた……ような気がした。
今や碧斗の五感は全て蜘蛛に支配されているも同様。体も動かず、声も出せず、息をするのもままならない。
蜘蛛は『人間』と聞いた途端、その細い八本の足を器用に動かし、登場した時に反して実に静かに、しかし巨体に似合わない素早いスピードで碧斗へと歩み寄った。
ミーシェは蜘蛛の道を塞がないよう数歩立ち退き、ティアラは蜘蛛が見ていないのを見計らってミーシェの元へ向かった。
サーラは表情は見えないものの相変わらず腰にしがみついているし、リャオは先程からチラチラと様子を見てはまた引っ込んでいる。
つまり、誰も助ける気がない。
「人間だと?またあのクソ野郎は面倒事を……問題が起こって対処するのは誰だと思っておるのだ、ターバン親父め。あの腹が立つ顔、一度ドロドロにしてやろうか」
「アラクネ」
トテトテと側に寄ってきたミーシェに半分だけ眼をくれて、蜘蛛はなんだ?と簡単に聞く。
「不本意であるのは分かりますが、どうか人化してもらえませんか。これでは碧斗さんが意志疎通できません」
「……なんじゃと?意志疎通くらいこうして話せば、」
出来んことはないじゃろうが、と続けかけて、蜘蛛は口をつぐんだ。
目の前の人間は確かに話せる状態になかったからだ。
碧斗は立ってはいるが、少しの衝撃で倒れそうだったし、目は焦点が合っておらず蜘蛛越しに遠くを見つめていた。
あまりの感情の渦にこれ以上無いほどの無表情。
「めんどうなガキじゃのぉ」
しぶしぶ了承して蜘蛛は前足を擦った。
すると体表が眩しく輝き、形がゆっくりと変化していく。
碧斗の数センチ前には三十代前半ほどの美しい女がいた。
真っ黒の踵が高いブーツのせいもありスラリと身長は高く、ピッチリとしたくれまた真っ黒な服が凹凸の激しいボディラインを写し出している。
黒く艶のある長い髪はポニーテールされていて全身真っ黒だが、切れ長の瞳だけが真っ赤に染まっていた。
「アラクネ様。私もお初にお目にかかりますわ。サーラと申します」
「あぁ、視眼のサーラじゃろ。知っておるわ」
「光栄です」
少しスカートの裾を詰まんでお辞儀するサーラから、ティアラへと視線を移す。
「お前は知らん」
「ティアラ、です」
「冗談じゃ。知っとるわ」
碧斗はすごく疑問に思っていた。
ミーシェだけでなく、サーラやティアラまでもこの蜘蛛のことを知っているようなのである。
なんと言うか、その『存在』を知っているというか。
証拠に、蜘蛛が現れた時は皆反射的に動揺したものの、悲鳴を上げたり怖がったりする者はいなかった。
あのユニコーンにビビっていたリャオでさえ。
そのことについて疑問に思った。頭では。
蜘蛛は何故かリャオは無視して、再び碧斗を見る。
「それでは、碧斗とやら。わしはアラクネじゃ。シェルにほざかれた話の内容は一応聞いてやる」
態度的にも物理的な視線の高さでも上から言ったアラクネだったが、反応がないのを見て碧斗の顔を覗き込んだ。
碧斗は未だに焦点が合わず、ぼーっと遠くを見ているようだ。
「あー、すいませんそいつ……」
パァァアンっ
珍しく敬語を使いかけたティアラは頬をひきつらせた。サーラも動揺である。
アラクネは碧斗の頬をビンタしたのだ。
それでも手加減はしていたので、碧斗は横に二、三度転がるだけですんだ。
「わしが聞いてやると言っとるんじゃ。しゃんとせぃ!」
ようやく正気に戻って一つ瞬きをした碧斗は頬を押さえて上半身を起こしながら、信じられないと言うような目でアラクネを見上げた。
「女だったのか!」
━━シェルと話し方が似ていたからてっきり男かと。
パァァアン、パァァアン、パァァアンっっ




