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正義の空回り、あるいは管理不能な荒野

魔王が消えて三日。魔界は、かつての強制収容所のような統制すら失った、単なる『殺し合いの荒野』と化していた。


私は、崩壊した魔王城の玉座の脇で、山積みの報告書を読んでいた。しかし、その内容はどれもこれも、以前の魔王軍が扱っていたものとは全く質が異なっていた。以前は「魔力供給効率」や「領土防衛」といった、冷酷ながらも全体最適を求めた戦略が記されていた。しかし今は違う。


「――第四防衛隊の食料庫が、第二防衛隊によって強奪されました。抵抗した者は皆殺しです」

「魔石の採掘権を巡り、北の集落と南の集落が大規模な私闘を開始。周辺の森林が焼き払われています」


呆れるような報告ばかりが並ぶ。私は頭を抱えた。

私のしたことは何だったのだ? 過酷な労働環境を是正し、理不尽な契約を無効化し、奴隷のような兵士たちに「権利」を教えた。それは正しい行いだったはずだ。人間社会で培った法務の知識、社会人としての良識、それら全てを総動員して、この世界の理不尽を論理的に破壊した。


だが、その結果がこれか。


玉座の間では、昨日まで肩を組んでいたはずの元仲間たちが、今やナイフを突きつけ合っている。

「俺の方が貢献した! この玉座は俺のものだ!」

「ふざけるな、お前が魔王に止めを刺せたのは、俺の囮工作のおかげだぞ!」


かつて魔王の圧政に耐えていた「連帯感」は、魔王という共通の敵が消えた瞬間に蒸発した。彼らに残ったのは、魔王軍によって植え付けられた「力こそが全て」という歪んだ生存本能だけだ。

私は彼らの間に割って入り、声を荒らげた。


「やめろ! 今すぐ争いを止めろ! 話し合えば解決できるはずだ。我々には『新しいルール』があるだろう!」


彼らは私を冷ややかな目で見下ろした。

「ルール? あぁ、あの小難しい紙切れのことか? 法務担当のインテリさん。あんたの言った通りだ、俺たちは自由なんだよ。自由ってのはな、力のない奴から奪い、力のある奴が勝ち残るってことだろ?」


背筋が凍るような正論だった。

彼らは私の言葉を、完璧に「誤用」していた。ルールによって守られる平穏ではなく、ルールによって縛られる制約の解除、その免罪符として私の論理を利用したのだ。


私は、自分が成し遂げたことの全貌を理解してしまった。

魔王という存在は、この魔界において「悪」である以前に、この血に飢えた狂暴な種族たちのエネルギーを、外側(人間界や領土紛争)へ向かわせるための「重石(重圧)」だったのだ。その重石を取り除いたことで、彼らの狂気は内側へと向かい、魔界を内側から食い荒らし始めた。


私は『魔界六法全書』を地面に叩きつけた。

法も、規律も、契約も、それを守る「意志」や、それを強制する「暴力的なまでの権力」がなければ、ただの紙屑に過ぎない。私は、機能不全に陥っていたシステムを修理したのではなく、システムそのものを破壊し、何もない荒野に火を放っただけの放火魔だった。


夜、廃墟となった城のバルコニーから外を眺める。

至る所で焚き火のような火の手が上がっている。誰かが誰かを殺し、新しい支配者が誕生し、またそれが奪われる。魔王が支配していた頃よりも、遥かに多くの血が流れている。


私の頭の中では、現代日本の法務として培った知識が、次から次へと無意味なものとして処理されていく。

労働基準法? 関係ない。

会社法? 笑わせるな。

損害賠償請求? 誰に請求する? 殺した相手にか?


私は、この世界の「本質」を見誤っていた。

問題は、魔王が提示した「契約書」の文言が酷いことではなく、この世界の住人たちが、契約という「約束」を信じる土壌を持っていないことにある。

私という「正義」は、この世界においてはただの「ノイズ」であり、あるいは混沌を加速させる「加速装置」でしかなかった。


「……本当の問題は、こんなところじゃなかったのか」


ふと、魔王が死に際に浮かべていた、嘲笑のような表情を思い出した。あれは、支配者としての悔しさではなく、もっと別の、私のような「改革者」を過去に何度も見てきたかのような、諦念の色だったのではないか?


私は、崩れ落ちた床に座り込み、自らの無力さに震えた。

明日には、またどこかの集団が玉座を求めてこの城に押し寄せてくるだろう。その時、私はまた「法」を説くのか? それとも、この手で誰かの命を奪って、新しい「魔王」に成り代わるのか?


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