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死に際メリー  作者: gojo
第三章 2020
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2020(4)

 菓子折りを持って実家に向かう。

 呼び鈴を鳴らすと、迎えに出たのは父だった。かつての父は家事の一切を母に託し、客の応対などしたことはない人だった。それが。定年退職してから、考えが変わったのだろうか。違和感を覚えながらも、私は、「お邪魔します」と言って部屋に上がった。

 すると、父が険しい顔で口を開いた。


「おかえり」


 すれ違う間際、たどたどしく言葉を返す。


「あ、ああ、ただいま……」


 母は、台所で夕飯の支度をしていた。ちょうど調理を終えようとしているところだったのか、私と美月の姿を見るなり、相好を崩して席に着くよう促してきた。


 私が子供だった頃は座卓で食事をしていたが、数年前に父が膝を悪くしたため、現在はテーブルと椅子にしたそうだ。母と父が並んで席に着き、その向かいに美月と共に座る。


 振る舞われたメニューは、カレーライスだった。


「あんた、カレー好きでしょ?」

「いや、特別好きってわけじゃないんだけど」

「美月ちゃんは?」

「大好きです」


 母の中の私に関する記憶は、おそらく子供の頃で停止している。確かに高校生の頃までは、カレーやら、ハンバーグやら、オムライスなどを好んでいたが、いまは刺身や胸肉のほうが美味しいと思える。


「ちょっと聞いてよ、直樹」


 食事を始めると、母は早口にそう言った。


「なに?」

「お父さんったら、あんたたちが帰ってくるからって、わざわざネクタイなんか締めちゃったのよ。笑っちゃうわよね」


 言われてみれば、確かに締めている。いまさら気が付いた。


「おい母さん、余計なこと言うなよ」


 父は、照れ隠しだろうか、大袈裟なほど神妙な面持ちをした。

 そんな様子など気にも留めず、母は、とめどなく喋り続けた。


「……ところで直樹、あんた、福神漬け食べないの?」

「え? そんなの人の食べるものじゃないよ」

「ちっとも昔と変わらないわねえ」


 その言葉を受け、美月も会話に入ってくる。


「お父さん、そういうこと言ってると、お母さんに怒られるよ」

「あんた、明美さんに怒られてたの?」

「おい美月、余計なこと言うなよ」


 確かに私は明美に頻繁にたしなめられていた。私だけではなく、美月も明美にはよく叱られていた。「お母さんに怒られるよ」という言葉は、私と美月の共通言語だった。もちろん本気でそんなことを思っていたわけではなく、あくまで冗談でだ。


「お父さんは、お母さんの前だと子供みたいなんです……」


 美月は、明美と私のことを語り始めた。私が摘まみ食い担当だったこと、テレビドラマに茶々を入れて叱られたこと、三人で手を繋ぐ際には明美が中心だったことなど。

 よく観察していたのだな、と感心させられる。

 母と父は、目を細めて何度も頷いた。


 美月の話が終わると、今度はそのお返しとばかりに母が私の幼かった頃の話を始めた。


「……直樹はね、小さい頃にツンツン君と川の上流まで家出してねえ」


 美月が私の顔を覗き込み、「ツンツン君?」と言って首を傾げる。「大輔のことだよ」と耳打ちをすると、彼女は合点がいったらしく、深く頷いてクスクスと笑い始めた。

 母が話を続ける。


「あの時は大変だったのよ。学校に来てないってパート先に連絡があって、警察にも通報して、朝から晩まで一日中大騒ぎだったんだから。ねえ、お父さん」

「ああ、町内会の人たちと探し回ったな」

「山の近くで見つかったって聞いた時には、そりゃ驚いたわよ」


 私は眉根を寄せ、話をさえぎるように言った。


「母さん、その話はもう何万回も聞いたよ」

「美月ちゃんは、聞くの初めてでしょ?」


 問いかけられた美月は首を縦に振り、それから、私のほうを向いた。


「なんで、お父さんは家出したの?」

「なんとなく、かな」

「ふーん……」



 実家の夜は早い。風呂に入り、就寝準備を終えたのは夜九時前だった。普段ベッドで寝ている美月は、布団を敷くのを面白がった。私からしてみれば、姉とどちらが布団を敷くかで喧嘩したという過去を思い出すばかりで、なにが面白いのか分からない。


 久し振りに美月と並んで横になる。普段ならば、まだまだ起きている時間だ。美月も眠くないのか、タブレットを立ち上げた。


「なんだ、またゲームか?」

「うん」

「いつもどんなゲームをやってんだ?」


 そう言って、美月のタブレットを覗き込む。


「MMORPGだよ」

「ああ、ネットゲームか」


 美月は、その言い方に若干の否定的な空気があることを察したようで、瞳のみこちらに動かし、私に尋ねてきた。


「お父さん、ゲーム嫌いなの?」

「ゲームは好きだよ。子供の頃はよくやったよ。ドラクエとか格闘ゲームとかね。でも一人でやるゲームが好きかな。最近のネットゲームは少し苦手だな」

「面白いよ。無心になれるし」


 幼い子供の口から『無心』という単語が出てきたことが面白く、私は鼻で笑った。

 そして、改めてゲーム画面を見つめた。

 中世ヨーロッパ風の異世界を舞台とした、よくあるRPGだ。剣や魔法を駆使して敵を倒していくという点は、一人で行なうゲームと同じだ。ただしネットゲームなので、その世界には、ほかのプレイヤーもいる。そのプレイヤーたちと協力し合い、時には敵対しながら、貴重なアイテムなどを手に入れるというのが醍醐味だ。

 美月の操るキャラクターは厳つい鎧をまとった女戦士だった。しばらくその女戦士が敵を倒す様子を見守る。なんてことはない、いわゆるゲームだ。

 ただ、奇妙な点があった。


「み、美月、お前の操るキャラクターの隣にいる人、服装が変じゃないか?」

「キャラは自由にメイキングできるから、こういう人がいてもおかしくないよ」


 美月はそう言うが、その奇妙さは無視できるものではなかった。西洋風のキャラクターばかりの世界に、おかっぱ頭で赤いワンピースをまとった少女がいたのだ。


「み、美月、そのおかっぱのキャラ、なにか喋ってないか?」


 おかっぱ頭のキャラクターの頭上でフキダシ型のアイコンが点滅していた。


「待ってね。チャット欄を開くから」


 美月が操作をすると、画面の下にそのキャラクターからのメッセージが表示された。


『メリーちゃん:あたしメリーちゃん、いまローゼンブルクにいるの』


 その文章を読んで、美月に尋ねる。


「お、おい、ローゼンブルクってなんだよ」

「わたしたちが旅をしている大陸の名前だよ」


 チャット欄のメッセージが更新される。


『メリーちゃん:あたしメリーちゃん、いま、あなたの後ろにいるの』


 おかっぱ頭のキャラクターは、美月の操る女戦士の背後に立った。


「なあ、美月、なんでこの子はお前の後ろに立ってるんだ?」

「メリーちゃんは魔法職だから後ろのほうに立つの。で、わたしは戦士だから前衛」


 再びチャット欄のメッセージが更新される。


『メリーちゃん:あたしメリーちゃん、あたしに触れられたら死ぬわよ』


 おかっぱ頭のキャラクターは、両手から黒い瘴気を発した。


「美月、こいつ物騒なこと言ってるぞ」

「メリーちゃんは即死系の呪文を使えるんだよ……ねえ、お父さん、うるさい」

「あ、ごめん。な、なあ、そのメリーちゃんってキャラクターは、いつもいるのか?」

「うん。わたしとフレンド登録してるから、だいたい一緒にゲームしてる。いつも、わたしの話を聞いてくれるの」

「いつから?」


 そう尋ねると、少し間があってから、美月はポツリと答えた。


「お母さんが、死にそうになってた時から……」

「え?」


 美月は、戦闘に突入したのか、忙しなく指を動かし始めた。

 私は唾を飲み込み、声を抑えて美月に問いかけた。


「な、なあ、美月、お前、明美が、お母さんが、あれほど苦しんでた時に、そんな奴とずっとゲームをやってたのか? なあ?」


 美月はゲーム画面を見つめたまま、小さく頷いた。


 信じ難かった。『メリーちゃん』というキャラクターを操っているのは、メリーさんで間違いないだろう。私に対してもビデオ通話で接触をしてきたことから、おそらく現代のメリーさんはネット回線を触媒としているに違いない。

 明美が、その命を散らそうとしていた時、娘の美月は、命をいたずらに奪うモノノケと遊んでいたのだ。明美が、その命を散らした時、娘の美月は、涙を流すこともなくモノノケのように澄ました顔をしていたのだ。


「美月、すぐに、そのゲームをやめなさい」

「なんで」

「なんでもだ。ほら、すぐにログアウトしなさい」

「やだ」

「じゃあ、タブレットを貸せ!」


 私は美月から力任せにタブレットを奪った。美月は文句を言うでもなく、いつか見たモノノケのような表情で、私のことをじっと見つめるだけだった。





 朝、目覚めると、隣に寝ていたはずの美月の姿がなかった。母たちと一緒にいるのかと考えて隣室を覗いてみても、やはり姿は見えない。

 嫌な予感がし、私は慌てて玄関を確認した。そこに、美月の靴はなかった。


「あら、直樹、おはよう」


 台所で母が朝食の支度をしていた。


「あ、母さん、美月、どこに行ったか知らない?」

「え? あんたたち、一緒に寝てたじゃない」

「……嘘だろ」


 子供部屋に引き返して荷物を確認する。タブレットが持ち出されている。こんな知らない土地で誰にも声をかけずに外出するなんて不自然だ。

 美月は、昨夜のことを気に病み、家出をしたに違いない。


「直樹、どうかしたの?」

「美月が家出した」

「そんなまさか……」

「母さんが家出の話なんかするから!」


 違う。そんなことは理由ではない。それは分かっているが、湧き上がる焦燥感によって八つ当たりをせずにはいられなかった。


 時刻は午前。外は明るい。こんな時間になにかしらの事件に巻き込まれるとは思えないが、しかし、美月は、メリーさんと接触していた。美月の口振りからすると、メリーさんはいまだゲーム画面の中に留まっていたようではあるが、回線が通じてさえいれば姿を晒すことも可能だろう。いつ気紛れに命を奪われるか、分かったものではない。


 もしかすると、一昨日の晩に見た赤いワンピースは。


 急いで探さなければならない。どこへ。美月は金を持っていないので、徒歩で移動をしているはずだ。ならば、可能性として考えられるのは。


「母さん、ちょっと探しに行ってくる」


 私は、河原へと向かうことにした。


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