愚者
価値?
俺に掛上が選ぶ価値?
「はぁ?」
訳が分からなくて、半ば挑発的に聞き返す。
掛上はしまったというふうに口を閉じた。
「俺の気持ちに応えられないってこと?そう言いたかったのか?」
どうして俺が噛み砕いて聞き直さないといけないのだろう。
でも、人の気持ちをあまり考えているとは思えない掛上の発言は、俺の勘違いだったとしておきたい。
「……応えられないって?」
キョトンとして掛上は首をかしげた。
「……つまり、掛上は桃果が好きなんだろ?男として……」
だから、どうして俺が……
「男……桃果さんが、男……」
考え込んでいる時点でもう駄目だろう。
俺は桃果に淡い同情を抱いた。
あんな態度、好きな女にしかしないよな……
「じゃあ、壮は?付き合ってたんだろ?」
訊きたくなかったが、掛上に今、どういう話をしているのか分からせるために切り出した。
「……岸辺くんの弟の?」
「そうだよ」
まだ不思議そうな顔がどうも要領を得ていない気がする。
「私が?弟くんと?付き合ってないよ」
「嘘だ」
「付き合ってないよ……」
掛上の目の奥が不自然に揺らめく。
何か隠していることを直感した。
「いい加減にしろよ。おまえは嘘だらけだ。笑顔も、慰めの言葉も!」
少し冷静になれば、掛上の俺を慰める言動は大袈裟だ。
それにほだされた俺も俺だが、さっきの価値がどうとか言っていたことと照らし合わせたら馬鹿にされている気がする。
「嘘だらけ……」
「そうだよ、おまえは嘘だらけで気持ち悪いよ」
「……でも、その気持ち悪いのが好きなんだよね?」
「………」
絶句してしまった。
「ごめん……」
掛上が俺の鎖骨辺りに頭を寄せてもたれ掛かる。
「ごめん」
また掛上が謝る。
「ごめんなさい」
掛上が顔を上げると、泣いていた。
今、俺が頷けばきっと唇同士が触れてしまうくらい近い。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
涙が次々と溢れてはこぼれる掛上の目に、嘘はない。
「許して……」
上昇する掛上の体温を身体全体で確かめながら、俺はもう彼女を許している。
「気持ち悪いけど、好きだよ……」
俺はゆっくりと頷いた。
「………」
掛上の柔らかく湿った頬が、俺の頬にぴたりと吸い付く。
唇同士が重なり、電流が身体の真ん中を駆け抜けた。
逃げようとする掛上の頭を左手で固定し、さらに唇を押し付ける。
濡れた掛上の唇を食むように味わう。
劇薬でも塗られているのだろうか……頭の中が溶けそうなくらい意識が遠のいてゆく。
最初は頑なだった掛上の唇も、徐々にほどけて俺の食むままに開いてくる。
二つの心臓の鼓動がうるさいくらいに早く打ち、その振動が喉まで届く。
掛上がもらす嗚咽が、二人の混ざる唾液の音が俺の全てを解放した。
気持ちよくて、夢中になって、掛上に受け入れられていることに喜びが溢れて止まらない。
願いが成就した達成感。
奇跡のような瞬間。
二度と訪れない幸せ。
思いがけない喜び。
そんな事が同時に起きたような今、この時に、俺は舞い上がってこのまま輪廻と転生に迎えに来てほしいくらいだった。
──馬に蹴られたくないので嫌です。
輪廻の無感情な声が聞こえた気がした。




