思わぬ拾い物
広瀬たちとは明朝に別れた。挨拶をする時には、一時的ではあれ雨が止んでいた。
でたらめに歩いているだけに見えて、広瀬は屍山に帰るための目印をちゃんと記憶していたようだった。だいぶ遠くまで来てしまったので、これ以上出発が遅れると屍山にたどり着かないから、ごめんなと、広瀬は両手を合わせて頭を下げた。
『いえ。迷惑をかけしましたが、ここまで力を貸してくださってありがとうございました』
タケルの言葉の薄ら寒さに広瀬は身を震わせて、
『やめろよそーいうさぁ、お礼の定型文みたいなのは』
『そっか』
泣き尽くしたあとの気分は、清々しかった。
『ここまで本当に、ありがとう。元気で』
不意打ちを食らって広瀬は目をひん剥いた。水晶がうれしそうにほおを緩める。たっぷり数秒広瀬は固まって、驚いた表情は見る見るうちに不敵な笑みに取って代わる。
『やぁあっと、敬語抜きやがって。遅すぎんだよ』
広瀬が握り拳を突き出した。その行為が何を指しているかわからず首をひねるタケルに焦れて、広瀬は『ほら、お前も』と言いながらもう一方の手でタケルの掌を指す。
やっとわかった。笑みが広がっていく。右手を握りしめて、伸ばす。
まるで子供同士の仲直りだった。
勢い余って、少しだけ広瀬の拳にめり込んだけど、構いやしない。最後は色々あったけれど、お互い水に流すという、無言の意思表示だった。
『早く願い、叶うといいな。幸運を祈ってる』
『願い?』
『心残り、っつーより響きいいだろ。どっちも同じようなもんなんだからさ』
歯をむき出して広瀬は笑う。本当にガキ大将みたいだ、と改めて思った。
「わたしたちもとりあえず、さようなら。もしかしたら、次は別のところ、行くかもしれないから」
『おう。また会えたらいいな』
最後に広瀬は三人に向かって大きく手を振り、水晶はぺこりと一礼した。
ランプやワイヤーがサイドフックに釣り下がっている登山バックを一揺すりして、広瀬は朝日が差す方向に向かって歩き始める。しっかり水晶の手を握りしめて、一度も振り返らずに。
ふたりの姿が豆粒サイズと化してからややあってから、マロがすんすんと鼻を鳴らした。
「俺たちも行きましょう。そろそろ記憶探しにもケリつけないとらちが明かない」
頭を乱暴に掻きつつ紅暁が言う。なぐさめることはおろか、声をかけることさえしなかったが、傍でずっとタケルが泣き止むのを待っていた彼だった。
「行こ」
リトル・ミスがタケルの手を引いた。少しためらって、あたたかいその手を握り返す。
「ねえ」
前を歩きながら、リトル・ミスはタケルを呼んだ。
「覚えておいて。これからなにがあっても、わたしたちはあなたの味方だからね」
帽子と髪の毛で、リトル・ミスの表情は見えなかった。でも、そんなものがなくても、声に含まれた感情はわかる。タケルは少し恥ずかしそうに破顔して、
『ありがとう』
まだ誰も知らないことだが、かつて正影第二小学校と呼ばれた廃墟はもう、そう遠くないところにある。
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裂空が帰ってこない。
どれだけ待っても帰ってこない。
■■は愛にあふれて育った。
愛してる。愛してる。愛してる。そう言われながら育った。
これがあなたへの愛なのよと言いながら、母は何度も■■を叩いてくれたし、父から受けた折檻はそれこそ数知れない。体中が痛くて眠れない夜も多かったけれど、■■にとって痣と腫れは両親から受けた愛の形であったし、何よりそうする時の二人は笑っていたから、苦に思うことは一度もなかった。
ロボットの修理ごっこを始めたのは七歳くらいだ。
簡単だった。ロボットの整備や修理をする父の背中は物心つく前から見ていたし、腕のいい父は黴の苗床みたいなポンコツも瞬く間に起動可能にしてみせたこともある。彼らは大概、それから数日後には売られていなくなっていくから、■■は父が直した戦闘ロボットがどういう用途で使われているのか全然知らなかった。
父にも母にも内緒だった。全部自分の手で成し遂げたあとに自慢したかったから。最初は父の真似がしてみたくて始めたことだけれど、修理も終盤に差し掛かったところで、自分は友達を作っているのだと気がついた。意識体はともかく、■■は自分の家族以外の人間に会ったことがなかったし、しゃべる工具は使い勝手が悪いのか、父は片っ端からそう成ったものは叩き潰していたので付喪神も知らなかったのだ。
何日も何日もかかった。だけど、目を覚ました裂空は、■■のお願いをすべて聞いてくれたし、叶えてくれた。うれしくてうれしくて、ご褒美に裂空の腕に書かれていた消えかけの文字を、赤いペンキをつけた筆で上書きしてあげた。
ものすごいことを発見したのは、起動した翌日である。
水の中に沈む感覚によく似ていた。■■は裂空の中に「潜る」ことができた。体は全然重くない。呆れるほど広くて高い、遠くまで見える視界。でっかいでっかい手。50メートルを3秒で走れる足。その日の夜は興奮のあまり、ようやく眠った頃には空が白んできていた。
■■はビッグサプライズを計画する。
父と母には気づかれないように、ふたりで内緒に、いっぱい練習した。言いたい言葉はありすぎてなかなかまとまらなかった。それでもなんとか形にして四日後、いざ決行の日を迎えた。
毎日悔しい思いをしていたのだ。
自分はまだまだ小さくて、父にも母にも手が届かないから。
サプライズと言っても、やることは至極単純である。それでも決行まで時間がかかったのは、両親がそろって家を空けるのを待っていたからだ。
その一。二人が入り口のドアを開けた瞬間にドア前に待機させておいた裂空に潜り、今までの気持ちをいっぱいに込めて「お返し」する。
その二。家の近くに生えていた赤紫色のきれいな花で作ったブーケを渡す。
その三。おとうさんとおかあさんに『いつもありがとう』と言う。
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あれから何年もたつ。
■■は旅をしていた。旅の途中で裂空と同じメーカーらしい虚空も友達に加わった。もちろん修理したのは■■である。裂空と虚空が交互に引くリヤカーに乗って、整備用の工具と修理用の工具、その他もろもろと一緒にゴトゴト揺られながら、あてどない放浪を続けていた。
時々虚空より目がいい裂空の中に潜って視覚を共有しつつ、周りに危険なものがないか確認している時にそれを見つけた。
遠目に見るだけだったけれど、何を言っているかはわからなかったけれど、男の人とテレビの女の人がやっていたテレビは面白かった。
とても声をかけたかったけれど、■■のいる場所からふたりのいる場所の間はかなり離れていた。加えて家族以外の人間と出会うことは旅を始めてからも数えるほどしかなかったので、かなり上がっていたのだった。
だから裂空を先に行かせた。
挨拶をして、それから、もう一度テレビを見せて下さいと言うつもりだった。
なのに、あの女の人が現れて、全部めちゃくちゃにした。
これまでも幾度かあったのだ。■■の手に負えなくなってくると、裂空も虚空も無理矢理■■を「浮上」させて、自分の体の制御権を奪い返すことが。最後に裂空の目を通してみたのは、吹き飛ぶ彼の右腕と視界を奪う爆煙の黒だ。
丸一日待った。
もし道に迷っていても見つけやすいように、一歩も動かなかった。
でも裂空は帰ってこない。
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今度は虚空にリヤカーを引いてもらいながら、あるかなしかの朝日を浴びながら■■は裂空を探した。
どちらかと言えば力こぶが自慢の裂空と違い、虚空の売りは速さだ。ボディも軽量化されていて細く、加速するためのエンジンは四つもあるがその分馬力を犠牲にしているため、単体で動く分には神速だが荷車引きにはいささか不向きである。しかしそれでも、リヤカーが分解しないぎりぎりの速度で虚空は駆け、センサーを総動員して裂空を捜索した。
虚空の足が止まる。
何やら崩壊寸前といった体の建物の正門前だった。木造で、おそらくは三階建てで、やたら窓があるのが一際目を引いた。その窓からちらほら意識体の発する青い光が見える。門の横には、何やらこの場所の名前らしい文字が刻まれた木の棒が立っているが、文字が読めない■■には読解不可能である。■■は裂空に潜っている時に見た記憶がないこの場所に首をかしげるが、間違いないと虚空は自信たっぷりに頷く。裂空が発するものににとても近い微弱な電磁波を、この中から感じるらしい。
いつもならどちらか一方にリヤカーの見張りをしていてもらうのだがしょうがない。■■は虚空に前を歩かせながら、うろつく意識体の数にびくつきながらも奥へ奥へと進んでいく。かなり劣化が激しく、虚空は何度も床板を踏み抜いてしまったが、それでも奥へと進み、階段を上っていった■■は、いくつもの小部屋を通り過ぎたそのあとに、虚空が指示したそれを横から覗いた。
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■■は有頂天になった。もう裂空のことなど頭の片隅にさえ残っていない。新しいおもちゃを与えられた子供に古株のぬいぐるみが顧みられないのと同じ原理だった。
損傷は激しい。修理に時間がかかるだろう。しかし自分だって昔より腕を上げた。2日だ、2日で起動可能な状態までこぎつけてやる。
リヤカーがきしみながら前進していく。その中で、戦利品の隣で膝を抱えながら、■■は喜色満面で雨雲だらけの空を見上げた。
今の状態をチェックしたら、次は代替品を探さなくては。ロボットのお墓山はこの近くにあったろうか。
リトル・ミスらとテレビ屋が合流した時と、ほぼ同刻の話である。
これにて、第2章終了です。次回から最終章が始まります。




