第3話 血の匂いがする夜の公園
その夜、私はターゲットを始末したばかりだった。
公園の片隅。人気のないブランコのそばで、私はジャケットの袖で額の血を拭う。相手も手強かった。顔の右頬に切り傷を負い、制服のシャツは肩の部分が破けている。息を整えていると、背後から優しい声が聞こえた。
「真白…?」
全身が凍りついた。振り返ると、そこには亮くんが立っていた。塾の帰りだろうか。彼は驚きと、少しの戸惑いを浮かべた顔で私を見つめている。
「どうしたの、その怪我…」
亮くんは、私の顔を見て、そして破れたシャツから覗く傷を見て、声を震わせた。
「これは…」
言い訳は、無意味だと直感した。
「亮くん、これは、事故じゃない」
私は、血のついたナイフを、もう隠すことをやめた。ポケットから取り出し、地面に落とす。カラン、と鈍い音が、静かな公園に響いた。
「亮くん…私、殺し屋なの」
亮くんの顔から、血の気が引いていくのがわかった。彼は一歩、後ずさりする。当然だ。彼の目の前にいる私は、昨日まで彼とカフェで笑い合っていた真白じゃない。
「…なんで、そんなことを? 危ないじゃん。怪我だって…」
亮くんは、震える声で尋ねた。
私は、彼の目を真っ直ぐに見つめる。
「これが、私の生きがいだから。戦って、ボロボロになって、生きてるって感じるの。亮くんには、分からないかもしれないけど…」
「…嘘だ」
亮くんは、首を横に振った。彼の瞳には、信じたくないという気持ちがはっきりと見て取れた。
「嘘じゃない。…ごめん」
私は、もう、何も隠さないと決めた。
「私は、桜色の殺し屋。みんなが思う真白は、ただの仮面」
亮くんは、黙って私の言葉を聞いていた。長い沈黙が続く。風が、私たち二人の間を通り過ぎていく。
その静寂を破ったのは、亮くんだった。彼は、おもむろに地面に落ちたナイフを拾い上げる。
「…これ、すごい血だ」
彼は、ナイフの刃についた血を見て、そう呟いた。そして、私の顔の傷に、そっと指で触れる。
「痛い?」
予想外の質問に、私は一瞬、戸惑う。
「…痛くない」
私は、反射的に嘘をついた。
「…そんなわけないだろ」
亮くんは、私の額の血を、自分のハンカチで拭った。
「…俺には、真白がなんでこんなことをしてるのか、全然わからない。でも、真白が嘘をついてないってことは、わかる」
彼は、私から目をそらさず、まっすぐに言う。
「怖くないの?」
私は、震える声で尋ねた。
「怖いよ。でも、それよりも、真白がこんなに傷ついてるのを見て、どうしようもない気持ちになる」
亮くんは、私の手を取り、温かい手で包み込んだ。
「俺は、真白のことが好きだ。優等生で可愛い真白も、今目の前にいる、怪我をした真白も、全部」
彼の言葉は、私の心をそっと撫でた。
「…ありがとう」
それだけ言うのが精一杯だった。
「…このことは、誰にも言わない。絶対に。…約束する」
彼は、もう一度、私に強く言った。
公園の街灯が、私たち二人を静かに照らしている。この夜から、私たちの関係は、少しだけ変わった。秘密を共有する、二人だけの夜が始まった。