是非もなし
怒り。
過去最大級の怒りが、まさかこんな形で、こんなシュチュエーションで沸き上がってくるとは思わなかった……。不思議なものですね。
クソ熊ロッコォオオ……!
どっちにどれだけ怒りを向けていいか混乱する。だめだ。理性がギリギリだ。バーサーカーモードに入ってる。見境が無い。
拳がぶるぶる震えている。
視線を動かすことができない。ちょっとでも動かしたら、決壊しそうだ。
じっと熊の顔を見つめる。
余計に固くなる握り拳。
……だめだ悪循環だ! 逃れられぬ負のスパイラル!
「冷めないうちに、どうぞ……」
こちらの心境を知ってか知らずか、そっと促してくる周。この子がもしここに居なかったらとっくにキレているだろう。
「ぎ……いただぎまつ」
やべえな俺。怒りやべえな。
『――ぅぷーっ!』
「笑うなクソがぁあーっ!」
弾けた。
伝説の剣の如くガッチガチに突き刺さっていたスプーンを引っこ抜いて投擲!
風切り音を鳴らしてロッコへ一直線に飛ぶスプーン――
それをロッコは手を振りガキンとキャッチ!
て――キャッチ!?
『おうタコこら……やるか?』
だめだ――勝てない。こいつ、バケモンだ……。
ここはとりあえず、くいっと肩をすくめて、
「何言ってんですかロッコさんちょっと笑うのやめてくださいよ、あとスプーン床に刺さってると危ないんで抜いときましたよ、しまっといてください」
『はあ? うざ……』
そんな感じで、ソファに座る。逃げちゃいない逃げちゃいない逃げちゃいない……。
「竜さん……スプーンは投げちゃだめですよ」
周は意外と落ち着いていた。何より先に言うことが、それって……。
「……あ、うん、ごめん」
『許すかバーカ』
クッソ腹立つぅううう! お前関係ねぇだろ! ガキか!
「――っと竜さん、もう時間そろそろなので、早めにお召し上がりください」
「あ、そうか……」
時計を見ると、もうすぐあれから二〇分経過しそうだった。
二〇分か――思えばひどい時間の過ごし方をした……。語り継げるほどの地獄だった。
全然誰にも語りたくないけど。
はぁ……、ていうかこのラテも飲みたくねえな……。
そういや、これをいただくって返事しちゃったから、色々大変なことになったんだよな……。
これが、ラテか――。
ロッコという諸悪の根源から出てきた、諸悪の根源みたいにドス黒い液体――エスプレッソを、汚れなき純白のあわあわミルクで割ったやーつ。
――とか考えちゃうと、やけに壮絶な飲み物だな……。
まったく……あの時いらないって断っときゃよかったか、そしたらロッコも俺の認識の中ではコスプレイヤーのまま――いや、クレイジーフルメタルサイコレイヤーのままで居続けたわけで……けどそれって良いのか悪いのか……いや、どっちにしろ悪いな。全ルートが地獄にしか行き着かないような気はしている。
「……ふーっ」
とりあえず息を吹きつけて、不愉快な熊をぐにゃぐにゃにしてやった。実物の熊も、これくらい軽くあしらえたらいいけどなぁ。
周の姿は視界に入っている。が、その顔を今は見られない――こんな吐息による熊退治の後では、なんとなく恥ずかしいから。
ともあれ、コーヒー表面を覆っていた熊がマーブルに帰したので、少しは心理的に飲みやすくなった。
カップの持ち手に指をかけ、持ち上げる。香りはおだやかだった。どうやらカップから発散されるより、制作行程によっていま部屋に満ちている香りの方が多く、濃いみたいだ。
一口すする――飲みやすい熱さだ。味もわかりやすく、ちょうどいい温度。
ぐ。
う、美味い――猛烈に憎たらしいことに、美味い。
……いや、違う、だめだ、美味くない。美味いわけがない。
断固、美味くないということにする。美味くなんか、ない。
ゆっくりと、鼻から息を抜く。
――くそ、飲んだ後の香りすげえな……後味も。
「いかがですか……?」
周が感想を急かしてくる。その顔を見ると、やはり期待感たっぷりの様子だった。
「ん、うん……なかなか――」
「なかなか?」
しかし、美味いと言うわけにはいかない。決して。
「なかなか――よござんすな」
ふと抹茶を飲んだ後のばあちゃんのことを思い浮かべたら、そんな感想になってしまった。
恥っず――。
なんだよ、よござんすなって……なんなんだよ、ばあちゃん……。しかもこれちょっと褒める感じだよな? あぁもう色々だめだ……。
「よござんすか……」
うわ周……静かにノッてきた。うぅ余計恥ずかしいわ……。
斯くなる上は、黙々と杯を干すばかりなり。




