リバース危機
「ごちそうさん……」
カップを置いて、つい、軽く礼をしてしまった。
不覚。――そんな、礼をするほど美味しかったわけじゃないんだ。そういう設定でござる。
「……では、準備出来ましたら、下行きましょう」
周が下向きに手を合わせ、ロッコとこちらを交互に見て言う。
「ん、俺はいつでも。っとちょっと携帯……」
立ち上がり、携帯を確認。なんと返事はまだだった。父上も兄貴も、そこまで重度の夜行性だったっけ……?
頼れるものは自分ひとり、か……。
うーん……今から出掛けてってアサヒなる人物に会わされるらしいけど、さて、こうも情報支援がないとなれば、ちょっと待ってもらったほうがいいか――
『おい――』
とロッコが、ぬらりとキッチンから出てきて絡んでくる。
『――どうだった? 六子の内部から出てきたコーヒーの味は』
ひっ――!
「ひぅっ……今リバースしてもう一回味わいそうになった」
『へぇ、セルフおかわり機能があるんだ?』
「ねえよそんなの……」
『あ、反芻か』
「ねえって意味一緒だろ」
『意味は違うよ。厳密には』
そこで厳密性を求めるか……。
「まあ確かに反芻って言えば牛専用のスキルだけどさ――」
「や、牛だけじゃないです」
と周が声を上げた。
「え?」
かつてないセリフで割り込んできたな……。
「ヤギやヒツジ、キリンとかバッファローとか、色々な偶蹄目の動物が反芻をするんですよ。あとなぜか、テングザルも反芻と似た行動をとると観察されたそうです」
「へぇ……テングザルって?」
「テングザルは――天狗っぽい、変な猿です」
「えっじゃあ、ほんとに鼻が長いの?」
と聞きながら、鼻の前にげんこつを二つ連ねて見せる。
「やぁ、そんなに垂直じゃなく……こう、でろんとしてます」
でろん、を全身の脱力で示した周。……うん、君は今、いい鼻になっていたよ。
『猿と言えば霊長類ですか、人と同じ』
ロッコが自分の立場を利用して一方的に嫌なことを言い放った。周はちょっと苦笑いで、
「そうだよ」
とだけ返す。ロッコは小首を傾げ、指先を顎にやった。そして、
『では、人でも反芻ができるかも知れませんね』
妙に俺を見つめながら言う。
――そういやこいつ、外で俺がヘビと再会しそうになってた時も、じっと後ろで黙って見てたんだよな……うぅ、恐怖と狂気しか感じない。
「う、おい、なんだそれ……」
『いや……別に?』
前髪ラインが憎たらしい波形になった。腹立つ……。
「んふふ――」
と、息を抜くような、周の特徴的な笑い声。
「――やっぱり何て言いますか、ラテ飲んで打ち解けた感じ、ありますね」
「いや……」
ねえよ、と喉まで出かかった。今日は色々押しとどめるの忙しいな喉。
『打ち解ける……いいですね、なかなかヴァイオレンスな語句で。打って解けるなんて……』
おぉ、ヴァイオレンスという言葉はお前にぴったりすぎるな……。今、クレイジーに次いで暫定二位にランクインだ。ちなみに整理すると、
ロッコお似合いワードランキング――一位クレイジー、二位ヴァイオレンス、三位サイコ。
「ふふ。じゃ行きましょっか」
周は明るく言って、早くも階段へと向かう。時間に追われているというより、楽しみで待ちきれない、といった様子。
むぐ……ここで「やっぱ待ってくれ」とは言い出しづらい……。まあいい、そのアサヒとやらも交えて、むしろこっちから色々聞き出してやる。情報も独力で現地調達だ!
「よし、行こう」
周に背中に続き、階段を降りきった。
先ほどお世話になったバスルームに続く脱衣所の蛇腹戸が近くにある。そこを通り過ぎた奥は、すぐ裏口のドアだ。その向こうはクルマを停めているデッキ下の空間に繋がっている。俺は玄関ではなくそこから上がらせてもらっていた。衛生的な観点から。
「あ、そうだ俺の靴ってまだ……」
洗われていてまだ乾いてない、と皆まで言う前に周は察してくれたらしく、玄関の方へ向かいかけたところで振り返った。
「あっそうでしたね……どうしよ、ロッコ」
周のやや見上げる視線を受けたロッコは、まだ静かに階段を降りてくる途中だった。
H◯NDA社製なのかな、というような滑らかでロボロボしい足運び。背筋ピーンすぎる。
『履物なら、裏口にサンダルがあります。――それ履いてとっとと出ろ』
前半は周を見て言い、後半は俺を見て吐き捨てた。
「良かった、ではそれで」
「ああどうも……」
裏口へ向かって進みつつ想う……殴りたい。鉄をも貫く拳が欲しい、と。




