第十一章 祝福 chapter03
東京地方裁判所511号法廷。8月、真夏の陽光もここには届かず、傍聴席は厳粛な静寂に包まれていた。木賊工業を巡る刑事裁判は、証拠調べを終え、検察の論告求刑の日を迎えている。被告人席の木賊治は胸に「木賊工業」と刺繍の入った真新しい水色の作業用つなぎを着用し、背筋を伸ばし前を見据える。
裁判長が低く発した。
「検察官、論告をどうぞ」
竜崎薫子がすっくと席を立つ。
「検察官の論告を申し述べます」
薫子の声は、抑えられた音量ながら、法廷全体に響く波長を持っていた。つなぎ姿の被告人といった〝演出〟や民事裁判での敗北といった刑事裁判外の雑音を完全に無視し、検察官としての絶対的な理を提示する。
「犯罪事実の厳正な認定と証拠の峻別について。検察官は、被告人木賊治に対し、機微技術の国際流通及び国家安全保障に関する管理法(以下、MTS法)第7条第1項(特定技術の国外移転の承認義務)違反の罪をもって公訴を提起いたしました。本件の審理を通じ、以下の犯罪事実が立証されております」
「被告人は、自らが開発したマイクロリアクターに用いられるナノ技術が、MTS法に規定される『特定技術』に該当することを認識しつつ、同条に定める経済産業大臣の認可を得ることなく、当該技術データを国外企業に提供し、その対価を得ました。この行為は、第三国による軍事転用リスクを生み、同法第1条に定める『国際平和及び日本国民の安全』を脅かす重大な結果を招きました」
「MTS法は、単なる貿易規制ではありません。2020年代半ばの基盤技術流出という痛恨の事実を受けて、従来の外為法の『キャッチオール規制』の曖昧さを補完するため、意図的に厳格化された新法です。被告人のマイクロリアクター技術は、その超小型化と精密性において、軍事用途への転用が極めて容易であるデュアルユース技術です。弁護人は、その技術が『平和利用の誓約書』に基づいて提供されたと主張しますが、法廷で問われているのは、被告人の主観的な善意ではなく、法が定める義務を遵守したかという一点です。法の網を潜り許可なく特定技術を流出させた時点で、その行為はMTS法の精神を正面から踏みにじり、国益を毀損する重大な犯罪となるのです」
「弁護人は、供述調書の任意性に疑義があると主張します。たしかに、捜査機関内部にて不適切な取り調べが存在したことは否定できません。しかし捜査過程における瑕疵と、被告人が当該行為を行ったという客観的な事実とは、厳密に区別されなければなりません。供述調書の証拠能力が低下したとしても、本件においては、海外企業への送金履歴、技術提携に関する電子メールの交信記録など、複数の客観的・物的証拠によって、機微技術提供の事実、そして経済産業大臣の許可を意図的に回避した事実は、独立して立証されております。これらの客観証拠は、不適切な捜査によって影響を受けるものではありません」
「弁護人が提起した取り調べと勾留に対する倫理的な批判は、司法制度全体の課題として受け止めるべきものです。しかし個別の刑事裁判の量刑判断において、司法制度の構造的な問題を理由として被告人の罪を軽減することは、法の公平性を損ない、刑事司法の秩序を崩壊させる行為に他なりません。検察官は『司法の役割とは、法に則り、罪を犯した者に然るべき報いを与えることにある』と確信しております。被告人の行為を看過することは、MTS法が守ろうとする国家の利益と、技術立国としてのわが国の信用を、著しく揺るがすことになります」
「以上、本件公判において認定された犯罪事実は、国家安全保障を根幹から揺るがすものであり、その結果は重大です。被告人は長年の経営者でありながら、あえて法的手続きを回避し、安易な利益を優先した点でその犯情は悪質です。さらに、本件は他者と共謀して計画的に行われたものであり、刑法第60条にいう共同正犯として処断されるべきです。以上を総合考慮し、被告人木賊治の行為はMTS法第7条第1項に違反し、同法第22条第1項の罰則規定に該当します。よって検察官は、被告人木賊治を懲役4年、及び罰金500万円に処すべきものと考えます」
薫子は一瞬の迷いもなく論告求刑書を閉じ、深々と一礼して着席した。
彼女の姿もまた、検察官としての使命感の体現であり、法廷全体を自身の信念で満たしていった。
「正面から堂々ときたか」
「まさに司法の城の守護者」
向かい合う哲也が舌を巻き、傍聴席の四之宮が驚嘆の眼差しで見つめる。彩花とひかるは俯いてしまうのだった。




