第十章 女王陛下の攻城戦 chapter05
東京地検の執務室。蛍光灯の白い光が、壁に並んだ黒革の判例集を照らしていた。原田副部長検事は机に置かれた一通の書類を指で叩いた。
「竜崎検事、裁判所から正式に照会が来た。だが先日も言った通り、答えは決まっている」
原田は書類を薫子に突き出した。薫子は目を通し、わずかに眉を動かす。
「裁判所は、私の同意を確認する前提で申請を許可しました。……ということは」
「ということは、何だ」
原田の声が鋭くなる。反比例するように薫子の表情は柔らかくなっていく。
「判断は私に委ねられているようで、一応伺いますが『やっぱり行っていいぞ』というような——」
原田は軽く机を叩いた。
「検察官が民事の証人席に立つなど前例はない。君はただ、不同意の回答を回せばいい」
薫子の表情が消える。
「公安部副部長。今回の民事裁判、なぜ弁護側は私を証人として呼ぼうとしたか、お分かりですね?」
不意を突かれたようで、原田は言葉に詰まる。
「青い封筒の存在が外部に漏れたからです。検察と公安七課が、出所不明の情報に依存して捜査を進めた。その事実を、弁護側は民事の法廷で徹底的に暴こうとしています」
薫子の声は、静かでありながら、原田の心を抉っていく。
「それは、君が公判で不必要なことを言ったからだろう!」
薫子の喉元がぴくりと動いたことに、原田は気付いただろうか。
「不必要なことなど一つも言っていません。『青い封筒など証拠請求していない』と申し上げただけです。こんなものを使用しては検察の正義が揺らぎますからね。我ながらファインプレーでした」
そして女検事の口角がわずかに上がる。
「検察官は独任官庁。個々の検察官に起訴を決める権限があります。木賊の起訴をお決めになった副部長はあれを補強材料とした。しかし公判担当検事の私は証拠請求をしていない。葉桜先生は民事の法廷で、この『正義の揺らぎ』を徹底的に突いてくる気です。不同意で押し通せば、ますます検察の体質に疑念を持たれてしまう。原告側の主張は、ますます真実味を帯びるでしょう」
「しかしこれは決定事項だ。君は組織の人間だ。命令に背くことはできない」
薫子はようやくにこりと微笑んだ。
「はい、言いたいことは申し上げたので、承知いたしました」
その日のうちに、不同意回答案が起案された。原田の決裁印が押され、さらに部長、次席検事の確認を経て、検事正の公印が捺される。数日後、封緘された文書は裁判所民事第10部へ返送された。
「——やっぱり不同意だ」
九印法律事務所に一通の郵便が届いた。差出人は「東京地方裁判所民事第十部」。封筒の中には、裁判所が検察庁の回答を写した通知文が入っていた。
『照会に対し、東京地方検察庁より「不同意」との回答があったため、当該証人尋問は実施できません』
哲也は椅子に深く身を沈め、悔しげに唇を噛んだ。
「竜崎検事を証人に呼ぶ手は潰されたね……」
葉桜はそれに答えず、腕を組み、窓の外を眺めている。
「姉さん、また無茶なことを考えてないかい?」
ようやく哲也を振り返り、苦笑いで応える。
「乗ってくると思ったんだけどなあ……」
仕方ない、三原沙耶香補佐官からの匿名告発状を証拠として起訴の不合理を指摘、併せてアイビーの名誉毀損を主張しよう……という哲也のまっとうな意見が採用された。




