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第九章 東京地裁の災い chapter07

「早瀬警部、木賊治氏の供述調書について、その作成過程を説明してください」

「被告人木賊治氏は、リアクターの輸出先が軍事的に不安定な国家の企業であることを認識していたと述べました。『輸出先の背景を調べなかったことを後悔している』『強力な薬品に耐える設計だった』と。供述調書16件は、私の立会いのもと、被告人の署名・押印を得て作成しました」

「裁判長、検察側証拠、甲第十六号証から甲第三十一号証。木賊治氏の供述調書です。これらは刑事訴訟法第319条に基づき適法に作成されたもの。被告人の自発的な発言を記録し、任意性に疑義はありません」

傍聴席がざわめく。膝の上で震える彩花のこぶしを、ひかるは上からそっと手のひらで包んだ。

「弁護人、反対尋問を」

葉桜が立ち上がり、黒い衣装が揺れる。

「早瀬警部、取り調べはいつ、どのくらいの時間行われましたか?」

「昨年4月から7月、通常の取り調べは平均1回につき2~3時間といったところです。回数は計20回程度だったかと」

「正確にいきましょう。3月の逮捕から6月10日の再逮捕、7月2日に三度目の逮捕、少なくとも28回以上、治氏の取り調べの平均時間は6時間でした。一般的な事件の数倍の時間です。しかもその間は接見禁止。家族と切り離されたまま」

「接見禁止は裁判所の決定によるものです」

「果たしてこれが通常の取り調べと言えるでしょうか。治氏は家族と切り離され、精神的疲弊の極みにあった。あなたは『自発的』とおっしゃいますが、例えば治氏が『後悔している』と言ったのは、何回目のことでした?」

「……具体的な回数は記憶していませんが、初期の段階で発言しました」

「記憶できないほどの取り調べを重ねたんですね。弁護側証拠、乙第十号証を提出します。木賊治氏の勾留記録です。逮捕から3日目、接見禁止下で8時間の取り調べ。あなた方は疲弊した被告人を誘導し〝後悔〟を強要したのではありませんか?」

薫子が静かに立ち上がる。

「異議を申し立てます。弁護人の質問は、それこそ推測に基づく誘導尋問です」

「異議は認めます。弁護人、質問を改めてください」

「早瀬警部。取り調べの録音・録画データは存在しますか?」

「本件は録画義務の対象外でした。データはありません」

「裁判長、行き過ぎた取り調べの記録を見ても明らかなように、これらの調書は疲弊した被告人から引き出した断片的発言を都合よく切り貼りした可能性を否定できません」


弁護側の主張を受けて、検察側の再主尋問。

「早瀬警部、弁護人は〝誘導〟〝強要〟と主張しますが、木賊治氏は自ら調書に署名・押印した。この点、イエスかノーでお答えください」

「イエスです。被告人は各調書を読み、自由意思で署名・押印しました」

「取り調べの環境は? 通常と違うやり方でしたか? たとえば暴力などは?」

「一切ありません。取り調べは法令に従い、適切に行いました」

「このように、調書の任意性は被告人の署名と捜査官の立会いで担保されています。弁護人の『疑義』は根拠のない感情論に過ぎません。これ以上は言いようがないので、はい終わります」

こともなげに、を演じた薫子に対し、葉桜は再反対尋問で逆の演出を展開する。

「証人、あなたは被告に『孫も挙げるぞ』と発言しましたか?」

「どうだったか。取り調べにかなりの時間を費やしたので」

「彩花さんに執拗な聴取を続けた、という記録があります。『狭い部屋が苦手らしいな』『あんたも片棒を担いだことになる』と脅すような言葉をかけたのでは?」

「その時点での事実を伝えただけです。それに彩花さんの聴取には三原沙耶香という女性補佐官も同席させ、できるかぎり人権には配慮しておりました」

「人権? あなたの言葉で被告人は心理的に追い込まれ、自由意思を失った可能性がある。違いますか? 有罪に持ち込みたい一心で! 録画義務がないことを逆手に取ったんだ!」

薫子が即座に立ち上がった。

「異議を申し立てます! 本件に録音録画義務がないことは先ほど明らかになりました。弁護人の主張は証人の名誉を傷つけるものです!」


続く激論。熱気の冷めやらぬまま次に証言台に立ったのは、木賊浩志その人であった。今度は葉桜の主尋問が展開される。

「浩志さん。取り調べで『孫も挙げるぞ』と脅されたことはありましたか?」

「……はい」

「『彩花も共犯にされる』と告げられたことは?」

「あります」

「その時、あなたはどんな気持ちでしたか?」

「家族を守りたかった……。でも、やってないものはやってない。最後の調書には、どうしても署名できなかった……」

葉桜は裁判官を振り返り、声を張った。

「弁護側証拠、乙第十一号証です。これは治さんが留置場内で書き留めた、捜査官たちから浴びせられた言葉です。大切な家族の安全を脅かされて作られた調書に任意性は認められません。脅迫と心理的圧力の産物にすぎないのです!」


薫子が音もなく立ち上がる。迎撃——反対尋問だ。

「では質問します。被告人、多くの調書にはあなたの署名がありますね」

「……はい」

「当然、署名前に内容を確認しましたね。〝はい〟か〝いいえ〟でお答えください」

「はい……」

「その調書には『輸出先の軍事情勢は調べなかった。後悔している』『誓約書は軍事転用への認識があったと考えられて当然』『木賊彩花は関係なく、自分たちが輸出を進めた』と記載されている。事実ですね」

「……あります。しかし、それは警察が——」

「署名はありますね? はいかいいえですよ」

「……はい、あります」

「さて被告人、あなたの供述調書には、孫娘の彩花氏は『本件に関与していない』と述べた箇所があります」

「はい……そう、言いました」

「あなたは弁護人に対しても『孫を逮捕するぞ』という言葉があったと証言した。そしてそれに対する回答は『孫は関係ない、自分たちの責任だ』です。調書にあります。〝自分たちの責任だ〟と」

「それは……」

「あなたの証言は家族を法の裁きから遠ざけたいという親心……じいじ心かしら? そういうところから出たものに過ぎない。〝家族の安全が脅かされた〟というのは客観的な事実とは切り離された心情的な主張です。この点、何か反論はありますか?」

「それは……」

「お答えにならない。では調書を見ましょう。再度、検察側証拠の甲第二十号証から甲第二十二号証。政情不安定な国家へ、兵器転用の可能性を知りながら、彩花氏に隠れて輸出した。三連続イエス。とても分かりやすい」

「無実の家族を守ったんだ、それが悪いことだと言うのか……」

「法廷は感情で裁く場所ではありません。証拠と法に基づいてのみ判断される場所です。裁判長。被告人の『脅された』という主張は、録音録画や第三者の裏付けを欠く感情的な言い分に過ぎません。すなわち調書の信用性を揺るがすものではありません。加えるならば検面調書でも同様の内容を起訴担当検察官に対し認めております。どこに疑義を差し挟む隙間があるというのでしょうか」

緊張感に耐えかねたのか、傍聴席からため息がもれた。

「他に質問はございません」


「真っ向からぶつかり合ってる。互角なのか、いや、少し検察側が有利なのか……」

傍聴席の四之宮がひかるたちに囁いた。

「葉桜先生、絶対に引くタイプじゃないですもん。今は証拠がどうのとかじゃなくて、警察、検察、裁判所、そして木賊さん……いろんな人の在り方を問うてるんだ」

「裁判官に響くかな」

「先生たちは言ってた。無実の証明にこぎつけなくていい。『この起訴は100%信頼できるのか? ひょっとして疑いの余地があるのでは?』と思わせればいいって」

「疑わしきは被告人の利益に、だな」

閉廷後、そう話しながら法廷を出ていくひかるたちを押しのけるように、見知らぬ女性が「失礼します」と足早に歩いて行った。

「おっとと。記者さんかな?」

調書の信頼性を問う闘いは、次回公判へと持ち越された。ついに、彩花が証人喚問に立つ。最終決戦は、近い。


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