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第九章 東京地裁の災い chapter02

「検討の結果、弁護人の主張は当庁の証拠開示義務の範囲を超えると判断いたしました。したがって、前回の弁護人からの全面的な開示請求は、引き続き拒否させていただきます」

第2回公判前整理手続。前回から1カ月、官庁街の木々はすでに黄色く染まっている。

哲也が反論を試みる。

「公安の実証実験が、特定の意図をもって行われた可能性があります。プロトコルや生データ、検証記録などを一切開示しないというのは『証拠』の公正さを自ら否定しているに等しい」

裁判長は弁護側の主張を聞きながら、静かに腕を組んだ。両者の対立をいかに収拾すべきかという、ある種の苦労が見て取れた。

「検察官。国家の安全保障に関わる機微情報が含まれるというご主張も重々承知いたしますが、それでは裁判所としても判断に窮します。開示が難しいのであれば、一部を黒塗りにして提示することは検討できませんか」

薫子の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

「裁判長のご提案、承知いたしました。黒塗りという条件であれば、一部資料の提示を検討させていただきます」

薫子はこの展開を予期していたかのように、あっさりと承諾した。結局、証拠の開示については検察側が裁判所を押し切った格好となった。有罪へと導くのに有利なデータだけを証拠として出します、というのだから。

裁判長は検察側の承諾に、満足したように頷いた。

「では検察官は資料を準備してください。弁護人も、提出された資料に改めて反論の準備をお願いします。本日の手続きはここまで。次回は……」

裁判長が告げた日程は、弁護側が予想していたよりもさらに短い期間だった。葉桜は形式的に「よろしくお願いします」と答えたが、その心は決して晴れていなかった。裁判所は迅速な審理を求めている。その迅速さが今、弁護側の首を絞めていることに、彼らは気づいているのだろうか。


会議室を出た後、哲也は憤りを隠せない様子だった。

「やはり黒塗りか。それに何の意味があるっていうんだ……」

「裁判所は中立を保っているつもりでも、結果として検察に有利な判断を下す。この国の刑事裁判というシステム自体が、検察側に有利にできている。それは、こういった形で示されることが多いのよ」

「そうだけど」

しかし、このやり取りに意味がないわけではない。多くの弁護士たちが、この旧態依然としたルールブックの中で闘ってきたのだ。あるいはこの古いシステムを少しでも改めようと発信する仲間やジャーナリストたちもいる。九印の弁護士たちは殊更言葉にはしないが、先人たちに敬意を払いつつ、再び視線を高く上げる。

「何が見えるか、どれだけ見えるか。そして何が隠されているか、徹底的に分析する。それが弁護士に残された唯一の道よ」

葉桜は地裁の廊下を歩きながら、頭の中で公判の展開を詰めていた。検察側はあくまで「国家安全保障」を盾に、弁護側の追及をかわそうとするだろう。

「これで、公判前整理手続は実質的に終了ね」


カレンダーは11月。容赦なく時間は過ぎていく。来るべき裁判に向け、やるべきことは山のようにある。まずは検察から送られてくる証拠の分析。

「トカゲめ、絶対に尻尾をつかんでやるから」

葉桜は、脳裏に浮かぶ笑顔の竜崎薫子を、睨みつけていた。


「とは言ったものの、だ」

後日、九印法律事務所には、膨大な量の書類とデータが届けられた。それらを前に、葉桜は両手を腰に当て、仁王立ちの形でため息をついた。哲也が代弁する。

「木を隠すなら森の中。検察側は情報を情報で隠そうって魂胆だ。この後さらに、実験の黒塗りデータも届くらしい」


「石田さん、ごめんね。今回もたくさん黒塗りをお願いすることに」

東京地検では、まるで工場を思わせるような証拠室から運び出された書類をコピーし、黒いテープを張り続ける石田の姿があった。隣には、腰に手を当て仁王立ちしている竜崎薫子がいる。

「〝青封筒〟以外は片っ端から送りました。作業が終われば実験データも送ります」

と、石田を手伝う松本。

「出し惜しみは主義じゃないけどね。その分、ほかのものはどんどん送ってあげよう」

両陣営の戦闘は、情報戦という形で、すでに始まっていた。


「取捨選択と読み込み! 哲、これは、というものは木賊の技術者と専門家に解説依頼。ひかるは私たちが選んだものをリスト化して見出しを打ち込んでいって」


木賊・九印側の反証実験の回数は公安の半分以下。証人に呼べる専門家の数も違う。世論もメディアとアイビーの社長・伊吹に導かれ、木賊は「悪どい売国企業」と目されている。だからこそ、これら膨大な書類の中から木賊側に有利に働く情報を探し出すのだ。

「向こうの実験の不備、そして木賊社員の証言以外で自供の任意性を崩せる証拠が見つかれば……」

葉桜と哲は第一回公判の日まで、薫子からの大量のプレゼントを漁り続けるのだった。


そして年が明けたある日の朝。葉桜は、黒ずくめの衣装を身に纏う。袴と見紛うワイドパンツ、ふわりと空気をはらむシャツを抑えこむかのような、ウールのジャケット。漆黒の戦闘服に身を包んだ葉桜が向かうのは、東京地方裁判所、511号法廷。木賊を裁く刑事裁判が、ついに始まる。


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