第七章 ひかりとやみ chapter07
公安七課のオフィスでは、野添管理官、三原沙耶香補佐官のほか早瀬や南波など捜査員たちが、最終調整の会議を行っていた。20日間の勾留期限が迫る中、そこには独特の焦燥感が漂っていた。
「彼らは頑なに黙秘を貫いています。事実認定の調書はそこそこ取れましたが自白はまだ」
江藤と大橋が報告した。早瀬は苛立たしげに貧乏ゆすりをしている。野添がホワイトボードに貼られたリアクターの製品図と、各国の輸出先を示す資料を指差した。
「こいつはわずかな改造をすれば危険物質を作れる可能性は十分にある。その点は実証実験でも確認済みだ」
「だが、改造のくだりは報告書では触れない。あくまで木賊の製品そのものが、軍事転用可能な機微技術に該当する、という筋を通す」
野添の言葉に早瀬が重ねた。三原沙耶香は、手元の報告書作成用の端末に視線を落としたまま、小さく声を上げた。
「再三申し上げますが、設計思想を無視し、改造の有無を伏せて起訴というのは……それに例の青い封筒も出所不明で信頼できるのかどうか」
早瀬の顔が、怒りで歪んだ。
「三原補佐官! この事件を潰して誰が喜ぶんだ。我々の目的は、この技術は輸出できない、と裁判所に認めさせることだ。経済安全保障という国家の大義を果たす、そのためには、多少の解釈の幅は許容される。これは公安の、いや日本の国益に関わる案件だ」
野添も、沙耶香に厳しい視線を向けた。
「補佐官。自白まであと少しだ。どんな形であれ調書が取れれば、裁判ではそれが採用される。君には感情を抜いた、正しい報告書を作成してもらいたい」
「昔は手荒なこともできたが、今はそうもいかん。彩花を任意聴取で締め上げて、その様子を浩志と治に伝えろ。拷問は痛みよりも精神的に。それが民衆が選んだ現代の取り調べスタイルだ」
「リークの内容を2人にぶつけたが、こちらはほぼ事実と判断した。外堀は埋まっています」
「まったくもってこの青い封筒は、公安七課存続への神風だ。必ず木賊を追い込むぞ」
野添や深瀬たち七課メンバーの表情には、自白を引き出すことへの執念が滲んでいた。
——野添管理官、早瀬警部の指示により、実証実験の報告書から『小さな改造を前提とする』旨の記述を削除し、製品そのものの危険性を強調する方向で構成。これは公判維持のための証拠の『調整』と認識。経産省経由のリーク情報(青い封筒・出所不明)も有力情報として取り調べに使用。三原補佐官の異議は却下。早瀬警部より『自白強要』を肯定する発言あり—— 省内報告メモ 作成者 補佐官・三原沙耶香
「三原補佐官、これは課長決裁用報告書になる。ここの部分は削除だ」
野添が指差した部分には、まさに今、沙耶香が打ち込んだ「証拠の『調整』」「自白強要を肯定する発言」といった〝不都合な言葉〟が並んでいた。沙耶香は無言で頷き、削除キーを押した。
野添の確認が入る以上、彼女が後に作成する「課長決裁用報告書」には、当然この赤裸々な記述は残らない。しかし捜査員たちは時として個人メモを残す。そして彼女の個人メモには、削除されたはずのその言葉たちが小さく書き留められていた。それは彼女自身の良心と組織の論理との間に生じた、小さな亀裂の記録だった。沙耶香のように組織の動きに疑問を抱く人間にとっては、これが唯一の「生存証明」となるのだ。
というのも——。
公安の会議の議事録は、公式には存在しないか、極めて簡略化された省内報告メモとして残されるのが常だ。こうしたメモは、オフィスのファイルに、事件書類に紛れてひっそりと保管されることになる。誰の目にも触れないまま、しばらく眠りにつくはずだ。そして何かの折に「整理」あるいは「紛失」として処分されていくだろう。
勾留期限の20日の満了直前まで、放置と取り調べが繰り返された。治と浩志は「向こうがしゃべった、サインもあるぞ」「彩花さんの結婚・再就職はどうなるかね」「あの子は泣き虫でいけない」という揺さぶりを耐え切った。
彩花の聴取の記録が読み上げられる。「参考人が泣き始めたため中断」「何か話せば父と祖父を解放してくれますか、と話した」。彩花の姿が頭の中で再生される。治は常に突っ伏して呪詛にも似た捜査官たちの言葉をやり過ごした。
別の取調室では浩志はぶつぶつと小さな声で何かを呟いている。それは昔の歌のようだった。彩花の言葉を聞かされても、耳を押さえ固く目を閉じ、そのつぶやきを止めることはなかった。
最終日、原田検察官が検面調書を取るべく最後の聴取を行った。浩志と治の意志は固く、多少の雑談に応じるのみだった。いくつか調書は取られたものの、ついに彼らは「自白」について、葉桜と哲也の「絶対に黙秘」を守り通したのだった。とはいえ百戦錬磨の捜査官や検察官との対峙によって、木賊の2人は疲弊の極みにいた。
東京地方検察庁。公安部副部長の原田は、公安七課の野添管理官と早瀬警部を前に、厳しい表情で告げた。
「木賊の件ですが、否認を貫いていますね」
野添は焦りを押し隠した。
「しかし、リアクターの軍事転用可能性を示す実験データ、経産省経由の青封筒、それに専門家からの情報も揃っています。何より、経済安全保障という国家の大義があります。これは、我々公安の存在意義をかけた案件です」
原田はしばらく黙った。その身に国の中枢・国家安全保障局で生まれる「経済安全保障」の波紋を感じていた。
「……否認を貫いているが、公安の報告書と証拠、彼らの立場、そして何よりこの詳細なリーク情報……起訴に踏み切る。木賊治、木賊浩志の2人を、MTS法違反で起訴する」
決定が下された。ようやく掴んだ達成感。自白は得られなかったが、起訴に持ち込めた。彼らが追い求めた「象徴的摘発」は、数カ月のうちに完遂されるだろう
その日の午後、浩志と治は手錠と腰縄をつけられ、護送車に乗せられた。行き先は、東京拘置所。否認を貫いたにもかかわらず、いや、否認を貫いたからだろう、司法の壁は彼らを飲み込むのだった。




