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第五章 陥穽 chapter07

連日、抗議の電話が殺到した。

「おい、武器商人! お前らのせいで何人死ぬんだ!」

「恥を知れ! 本当に日本の恥だ!」

奈緒美たち事務系社員は受話器を取るたびに罵声を浴びせられ、何人かは心労のため出社できなくなった。他の社員たちも、通勤途中に見知らぬ人から写真を撮られたり、子供が学校でいじめられたりと、私生活にまで影響が及んでいた。篠原の妻は、近所のスーパーで「あなたのダンナの会社、テロ支援してるんでしょ?」と面と向かって言われた、と泣きながら帰宅した。これが「晒された会社」の現実なのだ。

「祐希さん、私たち、この町に住み続けられるのかな……」

妻の涙を見た篠原は、自分の無力さを痛感した。技術者として誇りを持って働いてきたのに、なぜこんなことになったのか。社長と相談役の人柄を考えれば、ありえない事件だ。しかしモニターの向こう、誌面の向こうの人々に、その思いが伝わるはずもない。すぐに疑惑はワイドショーやニュースでも取り上げられるようになり「経済安保」「MTS法違反」「神経ガス生成の可能性」という言葉がテレビから聞こえてくる。


彩花にとって最も辛かったのは、トクサ祭りなどでこの会社を応援してくれていた人々が一斉に離れたことだった。ある者は投稿を消し、またある者は「この時食べた焼きそば大丈夫?」「やばい工場に潜入」と、写真を再投稿し、騒ぎを煽っていた。

彩花は、スマートフォンを見ることすらできなくなっていた。しかし救いはあった。これだけ中傷されても、休養こそすれ、誰も会社を去ろうとはしなかったのだ。

「社長と相談役を信じてる」

そう言ってくれる篠原や奈緒美の存在は、彩花に残された最後の「社会との絆」だった。


それでも、不意に悪意の波に飲み込まれる瞬間は訪れる。

「私……もう限界かも」

ある夜の木賊工業、2階カフェスペース。木賊家の3人が息を潜めて夕餉を迎えていた。喉を通らない、スーパーの惣菜類。彩花の言葉に、治は箸を置いた。娘の頬は、すこし薄くなっていた。

「彩花……」

「毎日、毎日、知らない人から『死ね』って言われるの。私、何も悪いことしてないのに……」

彩花の声は震えていた。これまで必死に耐えてきた彼女の心が、何がきっかけだったのか、あるいはきっかけなどなかったのか、限界を迎えようとしていた。

浩志は孫娘の手を握った。祖父の手は、かつてないほど冷たく、小さく感じられた。

「すまない、彩花。じいちゃんのせいで……」

彩花は言葉を続けることができなかった。一度溢れると、涙が止まらない。木賊の男たちは、黙って娘の手を握ることしかできなかった。


会社では、社員たちの表情も日に日に暗くなっていた。

「子供が学校でいじめられるようになった」「妻がパートを辞めた」といった声は、報告されなくとも聞こえてくる。治は社員とすれ違うたび、黙って頭を下げることしかできなかった。

糸一本、薄皮一枚でつながっている「木賊工業」だが、現実的な危機が訪れる。3月末をもって契約を終了する、という企業がいくつも現れたのだ。木賊の精密機械は評価が高く、特にマイクロリアクターに至っては国内シェアの6割を超えている。当然、国を代表する企業、公的機関、インフラなどにもトクサ製品は使われているわけで、こうした取引先が一斉に去るのは予想できることだった。とはいえ墨田区の中小企業にとっては、受け止めるには大きすぎる衝撃だった。

「ちょっとまずいねこれは……」

奈緒美の上司である経理担当課長が画面を見ながら唸った。資金の流れが止まりつつある。今日明日に倒産ということはないが、木賊は一歩ずつ、絶望の淵へと追いやられるのだった。

そしてこの日、見知った顔の2人が治を訪ねてきた。アイビー工機の伊吹と、その隣にいるのは経営コンサルタントの田中優子だった。

「木賊さん。申し上げにくいことですが『製薬装置開発コンソーシアム』は木賊さんの参加が白紙になりました。今日はそれをお伝えしにきました」


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