第五章 陥穽 chapter04
そして、ついに木賊の「弱点」への攻撃が始まった。2月初旬、彩花に「任意聴取」の連絡が入ったのだ。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
彩花が呼び出されたのは上野署、案内されたのは会議室だった。篠原や奈緒美の時とは雰囲気が明らかに違う。江藤の表情はこれまでになく厳しかった。
「あなたは営業部の責任者ですね」
「はい。営業部の業務を担当しています」
彩花は努めて冷静に答えた。しかし、心の中では不安が渦巻いていた。父や祖父の話から、捜査員の質問の厳しさは聞いていたからだ。
「この輸出案件、あなたが主導したのではないですか?」
「主導というより、コンサルタントさん経由でチェコのお客さまからの要望に応えて——」
彩花は困惑した。自分が「主導」と言われているのだ。
「その要望の背景ですが、軍事転用の可能性を考えなかったのですか?」
「軍事転用などありえません。私たちの技術は——」
「ありえない、と断言されるんですね。しかし、技術的には可能だということは理解していたのではないですか?」
「技術的には…様々な用途に使用できますが——」
「〝様々な用途〟の中には、当然、神経ガスなどの生成も含まれる。あなたはそれを承知で、輸出を推進したのではないですか?」
質問は執拗に続いた。彩花は唇を一文字に硬く閉ざした。このまま開くと、きっと感情が溢れ出してしまう。
「お昼休憩を取りましょうか」
江藤が時計を見て言った。そこから、狭い待機室での30分。外部との連絡は禁止され、飲み物すら自由に取ることができなかった。午後の聴取は、さらに過酷になった。
「彩花さん、あなたのお父さんとおじいさんは、この件について何と言っていますか?」
「父も祖父も、平和利用に徹することの重要性を——」
「そこが疑わしい。実際には軍事転用の可能性を認識していたのではないですか?」
「そんなことはありません!」
「では、この『反応効率120%』という記載、これは何を意味していますか? TFCRは一気通貫型マイクロリアクターだ。前駆体の合成から最終生成物まで、連続的に反応を進められるものです」
「これは……従来の装置と比較した効率の話で——」
「一気通貫型ですもんね。ということは、少量の素材から危険な物質を効率的に製造できるということです。資金力のない者たちでも」
彩花の答えは「自供」として扱われた。技術的な説明をすればするほど、それが「軍事転用の可能性」を裏付ける証言として、大橋の手でパソコンに記録された。
この聴取は5時間、彩花は涙を堪えながら質問に答え続けた。
「今日はここまでにしましょう。また近いうちにお時間を頂くことになります」
彼女にとって地獄のような時間は、これからも続くという宣告だった。
ようやく会社に戻った彩花に、治と浩志が心配そうに駆け寄ってきた。
「彩花、大丈夫か?」
「お父さん……」
彩花の目から涙が溢れた。これまで気丈に振る舞ってきた彼女が、ついに感情を抑えきれなくなったのだ。
「私……何も悪いことしていないのに……どうして……」
治は娘を抱きしめた。彼女の肩が小刻みに震えているのが分かった。
「すまない、お前にこんな思いをさせて……」
浩志の声も震えていた。愛する孫娘が、自分たちの仕事のせいで苦しんでいる。その事実が、浩志の心を深く傷つけていた。
「彩花……じいちゃんのせいで……」
「違うよじいちゃん。誰も悪くない」
彩花は泣きながら言った。技術に誇りを持ち、平和利用に徹してきた木賊工業の理念が、なぜこれほどまでに歪められるのか。理解できなかった。




