第五章 陥穽 chapter03
ほんの一瞬たりとも心の休まらない年末年始を過ごした木賊工業の社員一同。というのも、任意聴取の波は、一般の社員をも包み始めたからだ。場所は本所署、上野署などまちまちだった。
「あなたは金属部門の現場管理をしていますね。金属加工の技術がマイクロリアクターの性能を大きく向上させた、と」
「〝トクサフローチップリアクター〟の素材はポリジメチルシロキサン、略してPDMSですか。このPDMSの仕入れ先は、過去から一貫して同じ業者でしたか?」
「リトアニア、韓国、チェコ。輸出先とのやり取りで、疑問に思ったことなどありませんでしたか?」
技師、事務員を問わず、ほとんど全社員に対し聴取が繰り返されたが精密機器部門のリーダー候補・篠原祐希への聴取は、ことのほか執拗だった。場所は本所署の会議室、捜査員は江藤・大橋のコンビだ。
江藤の口調はほとんどの場合丁寧だったが、それだけに篠原は背筋に冷たいものを感じていた。隣に座る大橋は、いつものように無表情でパソコンに向かっている。
「この機器が化学兵器の製造に転用される可能性について、現場の責任者として考えたことはありませんか?」
篠原は驚いた。他の社員への聴取では、TFCRとは何か、一般的なマイクロリアクターとの違いは何か、と技術的、工業的な質問が多かったのだ。実際に兵器転用の可能性をぶつけられるとは……もちろん想像はしていたが、やはり面と向かって聞かれると、言葉に詰まった。
「そ、そのような用途は考えたことがありません。むしろ、我々の技術は安全性を重視して開発されており——」
「安全性を重視。しかし、経営陣は兵器転用の可能性を認識していたのではないですか?」
「そんなことはありません。相談役も社長も、平和利用にこだわって開発を進めてきました。実際、我々のマイクロリアクターは耐久性に限界があり、おっしゃるような目的での長時間の連続運転には適していません」
「では短時間であれば危険な物質の製造も可能ということですね?」
篠原はまたしても言葉に詰まった。技術的には理論上可能だが、それを認めれば誤解を招く。しかし、嘘をつくわけにもいかない。
「理論上は...様々な化学反応に使用できる設計になっていますが、それはあくまで平和利用のためのものです」
「平和利用。しかし、その判断は輸出先に委ねられるのではないですか? だから誓約書のようなものを取って、皆さんは責任逃れをしていたんだ。違うか?」
質問というにはあまりにも攻撃的。このやりとりは2時間延々と続いた。篠原は、自分の言葉が少しずつ歪められていくような感覚に襲われていた。帰る頃には完全に消耗してしまい、帰りは、喫茶店で1時間以上も休まなければ動くこともできなかった。
翌日、経理担当の奈緒美が上野署に呼ばれた。彼女は性格こそ明るいが、こうした厳しい質問に慣れていなかった。もっとも、事情聴取に慣れている人間などほとんどいないだろうが。
「植田奈緒美さん、あなたは経理担当として、チェコの顧客と連絡を交わしていましたね」
「は、はい…….一部の連絡業務を担当していました」
「この時期のメールのやりとりですが、内容は、すべて一般的な取引に収まるものでしたか?」
画面に映し出されたメールの内容を見て、奈緒美は困惑した。マイクロリアクターの制御ソフトについての質問だった。
「これは……社長の指示でお客様からの質問について答えただけです」
「治社長は、機器の利用範囲が『毒ガス』の生成にも及ぶと知っていた節はありませんか? 社員の皆さんに聞いています。誰の証言かは、分かりません」
「私はただ、社長の指示に従って入金の処理をしていただけです。社長はそういう悪事とは縁のない人です。相談役も」
奈緒美の目に涙が浮かんだ。彼女は事務員であり、技術的なやり取りについては治の指示を仰いでいただけだった。当然、捜査員たちは、奈緒美たちの証言が役に立つとは思っていない。これはあくまで、木賊工業の弱点を突くための準備でしかないのだ。
社員が聴取から帰ってくるたび、治と浩志は頭を下げ、詫びるとともに「きっと疑惑は晴れるから」と繰り返すしかなかった。彩花はというと、経営者の家族ではあるが、一社員だ。「偉そうな顔をして出しゃばるわけにはいかない」と、その様子を見ているだけしかできない。そんな自分の半端な存在が、ただただやるせなかった。




