5-8
魔族の村に入ると、途端に空気が変わったような気がした。
雰囲気が、暗くて重い。敵意があるのか、村に入った時から二人に向けられている視線は、妙に刺々しいものがあった。
すれ違う人の誰もが、目を合わせようとしない。声をかけようにも、速足でどこかに行ってしまう。
溜息をついたラインハルトが、入り口の近くにあった柵にイデアルを繋ぎ、手入れを始めた。その間、アリーは周囲をきょろきょろと見渡していた。
――なんでかな、懐かしい感じがする。
いつだったか、ここにいたような。そんな不思議な思いを、アリーは抱いていた。
だが、この景色に見覚えはあまりない。この矛盾が、アリーを少し混乱させた。
「考えても、わからないや」
諦めたように呟き、アリーはゆっくりと辺りに視線を巡らしていく。
人の姿は、結構ある。魔族の村ということもあって、やはりいるのは魔族ばかりだ。王都では見慣れない尖った耳が、ここでは当たり前のように見られた。
少し先で、何人かがちらちらとこちらを見ながら、声を潜めて話している。あまりよくないことを言われているのは、その人たちが嫌そうに顔をしかめていることから、アリーは何となく察した。
ちょっと寂しい気持ちになったが、アリーは視線を忙しなく辺りに移した。さっきの人はいないのか。それが気になってならない。
――いた。
右手のほうに、さっきの男がうずくまっているのが見えた。やはり怪我が酷いのか、心なしか荒い息をしているように見える。しかし、誰も彼に近づこうとはしない。
手入れを終えたラインハルトが、じっと男を見ているアリーに気づき、行こうと促した。頷き、アリーは気持ち速足で男に近づいていく。
アリーたちの足音に気づいたのか、男が振り返り、逃げ出そうとする。しかし傷の痛みによってか顔をしかめ、またうずくまってしまった。
「大丈夫?」
アリーは男に近づき、屈みこんで手を差し伸べた。
「触るなっ!」
鋭い声と共に放たれた手は、アリーのそれを思い切り弾いた。乾いた音が、強く響く。
その力があまりに強くて、アリーは思わずしりもちをついた。ラインハルトが慌てて起こそうとするが、アリーは大丈夫と言ってゆっくり立ち上がった。
アリーを見上げる男は、息を苦しそうに荒げながらも、鋭い敵意を持って睨みつけてきている。
汚れたところを手で払いながら、アリーはまた屈みこんだ。
「傷を、見せてほしいな。このままだと、危ないかもしれないよ」
「人間風情が、生意気言うなよ! どうせ、怪我の手当てだとかなんだとか抜かして、俺から何でも奪っていくつもりなんだろ!」
「そんなつもりはないよ。私は、あなたが心配なだけなんだ」
もう一度、アリーはそっと手を伸ばす。
「だから、触るなと言ってるだろうがッ!」
平手が勢いよく飛んできて、アリーの頬を激しい音が鳴るくらいに強く叩いた。
「アリー!」
ラインハルトが怒気の混じった強い声を上げたが、アリーはラインハルトを見て、首を横に振った。
男が、はっとしている。おそらく、そこまでやるつもりはなかったのだろう。
頬が熱く、ひりひりと痛い。口を切ってしまったのか、端から生温かいものが流れるのを感じる。けれどそれらを、アリーはどこか遠いものとして感じていた。今は、この男の荒み切ってしまった心を感じる方が、とても苦しい。
長老の言葉が思い返される。人に虐げられ、蔑ろにされて傷つき、恨みを持ってしまった者たちは、他に安住の地を求める。この男もまた、心が荒み切ってしまうまで、酷いことをされてきたのだろう。
――そして、他の人たちも。
それを思うと、アリーは無性に悲しくなった。
「お、おい。そんなに、痛かったのかよ。涙を流すほどによ」
男が、たじろぎながら言った。
言われて、自分が涙を流していることに、アリーは気づいた。
大粒の涙が、頬を伝ってはとめどなく落ちていく。拭っても拭っても、それは止まることを知らないかのように溢れ出た。
アリーは拭うのをやめて、じっと男の顔を見た。涙は、依然として流れたままだ。ばつが悪いのか、男が顔をすぐに背ける。
「ううん、痛くないよ。あなたに比べたら、こんなの、全然痛くないよ」
「う、嘘つくなよ。血だって、口から出てるじゃねえか」
「平気だよ。本当に、平気なんだ」
あなたの心に比べたら。その言葉は、なんだか言ってはいけないような気がして、アリーは口の中で呟いた。
「何なんだよ、お前。見ず知らずの俺に、なんでそこまでしつこくできるんだ」
さっきまでとは裏腹の弱弱しい声で、男が言った。
「だって、放っておいたらあなたは死んでしまうかもしれない。そんなの、いやだよ。折角、命を持って生まれてきたのに」
「う、うるせえ。お前なんかに、俺の命の心配なんてされたくねえよ。俺が、これまで何をされたかも知らねえくせに、知ったような口を」
「はいはい、そこまでにしなさい」
不意に、別の男の声が聞こえて、アリーは目をそちらに向けた。
眼鏡をかけた白衣の若い男が、困ったような笑みを浮かべながら歩み寄って来ていた。その手にはやや小さめの木の箱が乗っていて、少し開いている蓋の隙間から、包帯のようなものがちらりと見えた。
ケガをした男が白衣の男を見ると、先生と呟くように漏らした。
「村の者が失礼をしたね。ボクは、この村で一応長を務めさせてもらってる者だよ。まあ歴史家も兼ねているから、みんなからは先生と呼ばれていてね。君たちもそう呼んでくれると嬉しいな」
先生が人懐こい笑みを浮かべながら言った。
唐突のことで、アリーはちょっと驚いて、ラインハルトと顔を見合わせた。ラインハルトが頷き、アリーは先生に向き直り、小さく頷いた。
よろしい、と先生が言いながら、男の傍に屈みこむ。途端に、先生の表情から笑みが消えた。
「色々話す前に、まずはこの子の手当てからだね。そこの騎士君、手伝ってもらえるかな?」
「は、はい」
ラインハルトが慌てて先生の傍に駆け寄った。すぐに指示が出され、ラインハルトは駆け出していく。
先生が男の服を脱がし、木の箱から出したきれいな布で、男の背中を拭っていく。布は濡れているのか、背中を染める赤色はキレイに吸い取られ、その中からぱっくりと割れた深い傷が現れた。あまりにも痛々しくて見ていて辛かったが、アリーは目を逸らさなかった。布はすぐに赤黒くなり、男の背中もまた、未だ流れる血で赤く染まった。
ラインハルトが、水の入った桶を持って戻って来た。先生が指をぱちりと鳴らすと、その水がすぐさま煮立った。魔法を使ったのだ、とアリーは何となく思った。
熱湯に針を浸し、もう一度背中を布で拭ってから、先生は手際よくその傷を縫っていった。男が苦悶の表情を浮かべているが、それも長い間ではなかった。
あっという間に縫い終わり、先生は男の背中をきれいに拭って包帯を巻いた。
「はい、おしまい。あとは、魔力を背中に集めていけば、すぐに痛みは引くよ」
「先生、俺は魔力を操るのが苦手なんだ。そううまく集められねえよ」
「そんなこと言ってると、治るまで時間がかかってしまうよ? いくら体が頑丈な魔族でも、大怪我をすれば簡単に死んでしまうのだから」
男がつまらなそうに口を尖らせて舌打ちし、それでも渋々頷いた。
先生がまた笑みを浮かべて、アリーに向き直った。
「立ち話もなんだから、とりあえずボクの家においで。それに、ここじゃ君たちも話しづらいだろうしね」
先生の言う通り、確かにこの場で話を続けるのは少し難しいものがあった。依然として、遠くからの視線は突き刺さるような冷たさがある。それを感じるだけで、アリーの心はどんどん寂しいものが増していっていた。
アリーがすがるようにラインハルトを見ると、彼はゆっくりと頷いた。
先生が破顔し、前方を指さして歩き始める。アリーとラインハルト、そして怪我をしている男は、その背をゆっくりと追っていった。




