5-1
背負える程度の布の袋に、必要最低限のものを詰めていく。
アリーは、いつもより早起きして、荷造りをしていた。
外はまだ薄暗く、朝日が顔を出したばかりだ。蝋燭が照らし出す淡い光を頼りに、アリーはせっせと物を詰めていった。
尤も、出立は明日である。今からこんなに急ぐ必要もないが、今日はできる限り、心残りをなくすために時間を使いたかった。
「子どもたちに会って、おじさんに会って、あとはヨハネスにも会えたらいいな」
きっと、長い旅になる。親しくなった人たちには、しっかり挨拶しておきたい。特に子どもたちには、アリーは渡したいものがあった。
「こんなものかな」
最後に魔女の本を入れてから、アリーは辺りを見渡す。ふと、名無しの本と毎日書いている日記が、机の上に乗っているのが目に入った。
本が二冊と少し厚みのある日記を一冊入れるだけでも、さすがにちょっと重くなる。それでも、アリーは何となく後ろ髪を引かれる思いになった。
「折角だから、持って行こうかな」
名無しの本と日記を入れ、袋の口を閉じて持ち上げてみる。やはり、少し重い。しかし、持って歩けないほどではない。
荷造りを終え、アリーは一度大きく伸びをした。微かな光が、上げた顔を仄かに照らし出す。気づけば、朝日はすっかり顔を出し切っていた。
お腹が小さく鳴って、アリーは思わず押さえた。それでも、子犬が鳴いたような音は一向に止まない。
自分に対して困ったように笑ってから、アリーは食事の準備をした。
ロールパンが二つと、トマトのスープ。母との思い出があるスープは、旅に出てしまったら、おそらく自分でそれを作る機会は失われる。しばらく食べ収めかもしれないと思うと、ちょっとだけ寂しい気持ちになり、アリーはゆっくりと噛みしめるように味わって食べた。
食事を終え、アリーは何冊か本を入れた袋を抱えるようにして持って、外に出た。
日差しが眩しい。手で庇を作りながら見る空は、どこまでも続いていそうな青が広がっている。
清々しい天気ではある。しかし、一点の曇りもない空模様が、寂しい気持ちのアリーにはほんの少しだけ眩しかった。
ベルの音は、聞こえない。商人は、今日は広場に来てはいないだろう。アリーに本を渡した時に、いつもの仕入れの旅に出てしまったから、もしかしたら今日は会えないかもしれない。それを思うと、アリーは少し残念だった。
「あっ、おねえちゃんだ!」
公園に入ると、よく公園に来ている男の子が手を振りながら笑顔で駆け寄ってきた。少し遠くに、この前の三人の子どもたちもいる。みんなアリーに気づいたのか、手を振っている。
「おはよう。今日は、私が一番遅いんだね」
飛びついてきた男の子の頭を撫でながら、アリーは言った。
「あのね、今日はおねえちゃんに渡したいものがあって、早く来たんだ」
一番年長の女の子が、歩み寄りながら言った。
女の子が、振り返って二人を手招きする。二人が小走りに近づいてきて、女の子の後ろでぴたりと止まった。いつの間にか、アリーに抱き着いていた男の子も、二人の隣に移動していた。
少し緊張した面持ちの年長の女の子が、一枚の紙を差し出してくる。
「これって」
受け取って、アリーは思わず言葉に詰まった。
差し出されたのは、一枚の絵だった。四人の子どもと一人の銀髪の女性が一緒に本を読んでいる、そんな感じの絵だ。子どもらしい元気いっぱいの絵は、色のついた鉛筆でしっかり描かれていて、銀の髪の女性がアリーであることはすぐにわかった。
「いっつも本を読んでくれるおねえちゃんにお礼がしたくって、みんなで描いたの。でも、やっぱり下手だよね……?」
不安そうに言う少女に対して、アリーは顔を大きく横に振った。
「とても上手だよ。とても、素敵。だって、みんな幸せそうだもの」
絵の中の人たちは、誰もが笑顔だった。見ているだけで、アリーは心が温かくなるのを感じる。
受け取った絵を優しく抱きしめて、アリーは子どもたちに微笑みかけた。
「嬉しいな。みんな、ありがとね」
そう言うと、子どもたちは満面に笑顔を浮かべた。
――言いづらいな。
笑みを浮かべながら、アリーは口の中で呟いた。
こんなに幸せな時間を、台無しにしなくてはいけない。それを思うと、アリーは胸が苦しくなる。
しかし、言い出さなければならない。けれど、どこで。アリーには、その機会がうまく掴めない。
「そう言えばおねえちゃん。今日はたくさん本を持ってきたんだね。どうしたの?」
次に年長の男の子が、首を傾げながら言った。
そのことに気づいた子どもたちが、きょとんとした顔を向けてきた。アリーはいつも、一冊か二冊しか本を持ち歩かない。
――今しか、ない。
一度大きく息を吐き、アリーは口を開く。
「今日はね、みんなに言わなくちゃいけないことがあるの」
声が、悲しい響きを持っている。それを感じたのか、子どもたちの顔から笑顔が引っ込んでしまった。
それでも、アリーは言葉を続ける。ここまで来たら、一気に言ってしまうしかない。
「私ね、明日から旅に出るんだ。長い長い、遠くへの旅に」
「ええっ!?」
こどもたちが大きな声を上げた。表情には、信じられないものでも見たような驚きが、ありありと出ている。
「大切なものを、探しに行く旅なの。どうしても、行かなきゃいけないんだ」
「そ、そんなぁ」
一番年下の男の子が、堪えきれず咽び泣き出した。アリーはそっと男の子の体を抱き寄せ、優しく頭を撫でた。
頭を撫でながら、アリーは自分が涙を流していることに気づいた。決意はした。けれども、寂しさだけは、押し殺すことができなかった。
「大丈夫、一生の別れじゃないよ。きっと、また会えるから」
慰めるつもりでアリーは言ったが、その言葉に男の子はさらに泣いてしまった。
他の子どもたちは、涙こそ流していないが、何とか受け止めて気丈に振舞おうと無理をしているのがよく分かった。それが健気で、どこか痛々しくてならない。
アリーは、年長の女の子を手招きして呼んだ。女の子が、おずおずと近づいてくる。
「お願いがあるんだ。あなたにね、私の代わりをしてもらいたいの。そのために、今日はたくさん本を持ってきたんだ」
「……無理だよ。わたしに、おねえちゃんの代わりなんてできないよ」
「大丈夫だよ。だってあなたは、みんなの中で一番おねえちゃんだもの。きっとできるから。ね?」
アリーが言うと、女の子はためらいながらも小さく頷いた。そして、顔を伏せながらアリーに飛びついてきた。女の子の体が、小刻みに震えている。堪えきれずに泣いている彼女を、アリーは優しく撫でた。
少しして、女の子が顔を上げた。涙は止まっているが、目の周りが赤かった。
「約束する。きっと、おねえちゃんみたいにやってみせる。だから、任せて」
アリーは頷き、本の入った袋を手渡した。ちょっとずっしりとしているそれは、女の子には少し重かったのかもしれない。よろよろとしたところを男の子が支えて、漸く安定した。
少し多かったかな、とアリーはちょっとだけ反省した。
「あっ、いきなりたくさん本を持って帰ったら、叱られちゃうかな?」
「ううん、大丈夫。お父さんもお母さんも、そういうことは全然気にしないから」
「そうなんだ」
でもそれもちょっと心配だな、とアリーが言うと、女の子は小さく笑ってくれた。
「何か、読もうか。今日は、みんなの時間が許す限り、一緒にいるからね」
涙を拭って、アリーが言うと、子どもたちは必死に笑顔を作って見せてくれた。やっぱりそれは健気で、痛々しかった。
――寂しいな。
自分の目に涙がまた溜まってくるのを感じながら、アリーは精一杯心を込めて本を読み上げた。
今までで一番心が籠った読み聞かせの声は、それからしばらくはやまなかった。




