33、夏侯津
先に言っておくが、別に瑛と津は仲が悪いわけではない。まあ、確かに親子としてはどうなの、と言いたくなる関係ではあるかもしれないが、仲は悪くないのだ。
なのに、どうして瑛がこんなことを言うのか。これには理由がある。
「青昌は私の近くに敵がいる、と言ったわ。私の近く、と言うと後宮の中を思い浮かべる。彩凜や寧佳、琅明、孫昭儀、劉昭容。だけど、誰にも私と互角にやりあうだけの力はないと思うの」
瑛は自分の能力を正しく計れているつもりだ。今あげた五人では、瑛と互角に戦うのは不可能だ。
あの、結果的に勝ったに過ぎない、後味の悪い謀反計画。あれをそそのかした人物は、瑛と同じくらい、いや、むしろ瑛よりも才覚のある人物だ。あいにく、瑛はそんな人物を一人しか知らなかった。
目の前にいる父、夏侯津だ。
一見、政治に直接関与していないように見える父だが、彼は、その気になれば遠く離れたところからで、いいように人を動かせるだろう。そんな能力を持った人なのだ。
津はゆっくりとお茶をすすった。温かいお茶で唇を湿らせ、一番下の娘に言った。
「碁を打たないか?」
唐突な提案に、瑛はうなずいた。寧佳が碁盤と碁石を用意する。碁は原則的に先番が有利である。瑛は先番、黒の碁石をもらった。石を一つ手に取り、碁盤に打つ。それに続いて津も石を打ちながら言った。
「父である私が、娘を危険にさらすようなまねをしたと?」
一般的にはありえないだろう。だが、この父ならやる。
「お父様ならやるわ。ちょうどいいことに、娘はこの国の皇后で、ちょっとつつけば皇帝や皇后に対する不満が出てくるもの。皇帝への不満をうまく動かして『皇后への』不満に変えたのね」
父はこうした印象操作が無駄に得意なのだ。そして、争いを起こし、鎮める。とんでもない男だ。瑛は自分が戦術的に動いていると思っているが、どう考えても父は戦略的に動いている。規模が違うのだ、規模が。
まあ、この方法も瑛なら何とかするだろうと言う信頼の元に成り立っているのだと言うこともできる。実際、何とかなったし。津は津の方法で、この国を安定させようとしたということだ。
「考えてみれば、不自然なのよ。男であるはずの琅明が後宮にいるし、私は妊娠したし」
瑛と津は交互に碁石を打って行く。まだ序盤だが、今のところ互角か。
「前者はともかく、後者はなぜ不自然なんだ」
尋ねた、と言うよりは答えがあっているか確認するために聞いた、と言う方が正しいだろう。そんな口調で、津は言った。瑛は胸の下で腕を組む。
「私、ちゃんと避妊薬を飲んでいたもの。彩凜が中和剤を飲ませていたらしいけど、私が飲んでいた薬は夏侯家に伝わるものだわ。夏侯家の者しか、作り方がわからない」
作り方がわからないと言うことは、中和剤も作れないと言うことだ。なのに、彩凜は瑛に中和剤を飲ませた。どう考えても、誰かが情報を横流ししていたのだ。
「まあ、全ての元凶は父上ってことで」
「人聞きの悪いことを言うな」
すべての元凶、は言いすぎか。瑛は「ごめんなさい」と肩をすくめる。また一つ石を手に取り、打つ。白石を一つ取った。
「珀悠帝は賢い。おそらく、お前がいなかったらいなかったで、自分の足場を固め、そして、折を見て皇太子様に帝位を譲っただろう」
その時に何が起きるかわかるか? と津は瑛に問うた。瑛は先ほど津がうった手にうなりながらも答える。
「混乱」
「その通りだ」
津がうなずく。瑛は考えに考え抜き、身を切る方を選んだ。
「言い方は悪いが、珀悠帝はいわば力によってその地位を約束されている存在だ。そう言った人は、やはり人を引き付けるものがあるのだろうな。実際、珀悠帝を支持するものは当初から多かった」
先帝に否定的だったものは、すぐさま珀悠についた。中立を保っていた者たちはそのまま中立で、珀悠の即位を拒んだりしなかった。先帝を支持する先帝派は、どちらかと言えば権力に群がっていた。今は劉太師が先帝派を率いているからややこしいことになっているのだが、もともと少数派閥である。珀悠は自分が場違いだと言っていたが、それは珀悠の出方をみんな見守っていたためである。
おそらく、登極当初のままなら、珀悠は先帝派も飲み込んでそのまま足場を固め、その政権をそっくりそのまま慧峻に明け渡したことだろう。
だが、そこには珀悠が皇帝だからついてきたものが多かったはず。先帝派は慧峻が登極したら、それを期に珀悠に与したものを一掃しただろう。
その『一掃』を、津は瑛を後宮に放り込むことで行ったのだ。
「対外的には䔥宰相の要請で立后したことになっているけど、裏で父上が手をまわしていたのね。断れないわけだわ、まったく」
瑛は呆れた声を上げながら碁石を打つ。この男、権力なんかいらないと言う顔をしながら裏でとんでもないことをやってやがる。
「お前は試金石だ。お前が皇帝の側にいることで、官吏たちはどう出るか。頼敢もそのあたりを見極めたかったようだからな。私とあいつの利害が一致したと言うわけだ」
「いや、利害の一致の意味が分からないわよ。父上にどんな利益があるの?」
何やら陰謀を張り巡らせていた津であるが、彼は本当に権力に興味がないのだ。瑛が身ごもった今、彼は娘の子を皇帝に付け、外戚として権力を~、と言うことも可能だが、そんなことはしないだろう。外朝の官吏たちが津を戦々恐々と見守っているが、この男は本気で権力に興味はない。
「お前が皇帝の子を身ごもれば、当然、その子を皇帝にするのかと言う話になるな」
「おかげで非常に困っているわよ」
どうやら、珀悠は䔥宰相に協力を要請し、皇后の足を引っ張ろうとしたものや後宮に娘をいれて、あわよくば権力を、という者たちを退けたらしいが、それ以外はどうなっているのかわからない。あとで話を聞いておこう。
「そうすると、私にも圧力がかかるわけだ。娘の子を皇帝にするのかと」
「そうね」
瑛は悩んで黒石を置く。津は迷わずに白石を置いた。
「だから、私は官位を返上して領地に帰ろうと思う」
津優勢な盤上を睨んでいた瑛は、驚いて顔をあげた。無表情な津がこちらを見ている。
「……それはつまり、お膳立てはしてやるから後は頑張れってこと?」
「簡単に言うとそう言うことだな」
いや、簡単に言わなくてもそう言うことだろう。皇后の後ろ盾が領地に帰ると言うことは、中央に権力をもたないと言うことになる。皇后の力が弱まる。
だから、『あとは頑張れ』なのだ。
自分たちは権力に興味はない。慧峻に帝位を譲るのだ、と態度で示している。本当は瑛が産んだ子を臣下に預けるともっと良いのだろうが、そこまではできない。というか、やりたくない。
「こちらには漣と奏偉を残していく。何かあれば彼女らを頼れ」
「……いや、あの二人を頼るくらいなら自分で何とかするよ」
戦闘面では頼りになる二人だが、政略的な面ではあまりあてにならない気がするのは瑛だけだろうか。だからこそ、あの二人を置いて行くのだろう。
瑛は黒石を置く。津が白石を置いたところで瑛は投了した。
「駄目ね。父上には勝てないわ」
盤上でも、現実でも、瑛は父に負けたのだ。
父は情報戦が得意なのだ。瑛に、情報を制したものが勝つと教えたのは津だ。
白青昌は、瑛が皇帝位を奪おうとしていると思ったと言った。彼女にその力が事実であるが、誰がそんな流玄を流したのか。それはこの父だろう。
確かにあれで瑛に反感を抱く者が釣れた。そう言う意味で、一掃できてのかもしれない。
瑛の妊娠騒動では、珀悠の子に帝位を継がせたいものと慧峻に帝位を継がせたいものにはっきり分かれた。詳しく分けるともっと細かいのだが、面倒くさいのでやめておく。
すべてを排除する必要はない。いくつかの勢力が均衡を保つことで、うまくいくこともある。敵がいるからこそ、生きることもあるのだ。まったく敵がいなくなれば、それはただの独裁である。
反対の立場の者から反論され、一度立ち止まって考えてみる。それも大事なのだ。
津が排除したのは、その均衡には組み込めない強硬派たちだ。簡単に言えば画が強すぎる奴らである。青昌はそれらをおびき出すために反逆者の名を背負わされたことになる。鬼か、この男は。
「で、結局どこに父上の利があったの?」
やはりわからなくて、瑛は尋ねた。津は唇の片側を吊り上げる。
「これで、煩わしい京師から自然に去ることができる。今までも試みたことがあるんだが、何故か引き留められてな」
そりゃあ、父のような知識者がいなくなれば困るだろう。
「だが、この状況ならば、むしろ追い出してくれると言うことだ。これで、領地で研究に没頭できる」
「……」
我が父ながら、何と言う人だ。理解できない。津の情熱のほとんどは研究に傾いているのだろう。次いでに言うと、夏侯家の領地は西の方にある。ちょうど、西の国々から京師に延びる通商の道の途中だ。つまり、京師よりも早く外国のものが手に入るのである。
位置的に、防衛の意味もある場所なのだが、父にしてみたらこれくらいの利点しかないのだろう。
「だから、感謝するぞ、瑛」
「……もう好きにしなよ」
瑛はどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
まさかの瑛と津の会話で終わる。珀悠どこ行った。
次回、最終回です。




