21、帰還
瑛が京師に帰還したとき、すでに夏は過ぎ秋となっていた。暑さは和らぎ、風が涼しい。瑛が江州に旅立ってから二ヶ月弱での帰還であった。
長い黒髪をつむじで束ね、鎧をまとい、腰には剣、手には羽扇。瑛はその姿で皇帝・珀悠の前にひざまずいた。
「夏侯瑛、ただいま帰還いたしました」
「ああ。無事で帰ってきてくれたこと、うれしく思う」
少し、珀悠の声が震えていた。瑛は思わず微笑みそうになるのをこらえ、いつも通りの真顔を保った。
「うまく白氏をおさえてくれたようだね」
「まあ、いくつか想定外なこともありましたが、おおむねは」
被害者は少ない方ではないだろうか、と瑛は思う。結局、何者かにそそのかされた青昌は、今後、瑛に手を出さないことを決めたようだ。まあ、また何かしてくるなら、瑛も今度は本気でつぶすだろう。
「白青昌は幽閉する。国外追放も考えたけど、監視がいたほうがいいし」
「まあ、妥当なところでしょう」
瑛がうなずいたので、珀悠はほっとしたようだ。彼は皇帝で、絶対的な権力を持っているはずなのに、ひとつのことを判断するのにこんなにもびくびくしている。基本的に即断即決を旨とする瑛には考えられないことだ。そう言うところが、やはり可愛いと思う。
「青昌は実行犯だけど、首謀者じゃない。おそらく、この反乱疑惑も、私をおびき出せたらいいな、くらいの感じのものだったんだと思う」
羽扇で口元を隠し、瑛は小声で言った。珀悠がぐっと唇をかむ。
「……ほかに、黒幕がいるってこと?」
「そう言うことね。しかも、青昌によると、私たちの近くに」
「……」
珀悠が泣きそうな顔になった。思わず瑛は苦笑する。彼はこういうところがとても素直である。だが、すぐにこほん、と咳払いしてまじめそうな顔を作る。
「白氏の領地は取り上げ、直轄地とする。しばらくは江州刺史に領主代理を務めてもらう」
領主と刺史は別物だ。領主はその土地を治めるもので、刺史は中央から派遣される官僚である。治めるものと、政治を行うものが違うのだ。
だが、刺史は領主の監視役であるので、長らく領主代理を務めさせることはできない。早めに代わりを見つけなければ。
「相変わらず、仲がよろしいようですな」
珀悠と瑛が同時に振り返る。声で分かっていたが、劉太師だ。瑛は羽扇で口元を隠す。動作としては、襦裙を着ているときにうちわで顔を隠すのと同じだ。まあ、瑛が愛用しているのは扇子であるが。
思わず二人して劉太師を睨み付けてしまったのは、瑛も珀悠も彼を疑っているからだろう。だが、冷静に考えれば、劉太師が黒幕である可能性は低い。なぜなら、彼は先帝をかわいがっていて、次の皇帝に慧峻を押しているが、珀悠と瑛の才能を認めていないわけではない。
おそらく、敵に回してはいけないと思っている、と言うのが正しいと思うけど。珀悠は人望があるし、瑛には頭脳がある。この二人は、互いが互いを裏切ることはありえない。つまり、どちらかを敵に回せば両方が敵になると言うことだ。
それに、劉太師は馬鹿ではない。なので、珀悠と瑛を敵に回すようなまねはしないだろう。何より、先帝の遺児である慧峻が二人を慕っているので、二人を陥れるようなまねをすると、彼が悲しむ、と言うのが大きい。
「お久しぶりですね、劉太師」
「無事のご帰還、うれしく思いますよ、皇后様」
何となく。言葉が嘘っぽいが、そこは指摘しない。劉太師は胡散臭い笑みを浮かべたまま、瑛に言う。
「さすがのお手並みでした。まったく、つくづく敵に回したら恐ろしい方ですね、あなた方は」
「……」
さりげなく、珀悠も付け加えられている。まあ、見た目のほほんとしているが、彼も帝位を簒奪した男だ。
「……一応、ほめられたということにしてお礼を言っておきます。ありがとうございます」
反応できない珀悠に代わり、瑛は微笑んでそう言った。劉太師はそのまま回廊を歩いて行く。何をしたかったのだろうか、あの人。
その他こまごまとした情報交換は後宮で行うことにした。皇后の居室ならだれも入って来れない。
と言うわけで、瑛は二ヶ月弱ぶりに後宮に戻った。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
「ご無事のお戻り、お慶び申し上げます」
「うん」
寧佳と彩凜が待ち構えていた。早速瑛は着ていた鎧をはがれる。つまり彼女は、後宮内を鎧姿で歩いてきたことになる。いい度胸である。
「ああ。御髪が傷んでしまいましたね」
「まあ。怪我をされたのですか」
「もう治りかけてるよ……髪は毛先は切りそろえてほしいかな」
髪の手入れなどは後回しだったので、自分でも痛んでいる自覚はある。髪が長いと毛先が傷み、切れ毛になるのだ。
「わかりました」
寧佳がはさみを取りに行く。鎧を脱ぎ、湯あみをし、髪を切って洗って乾かして、一刻(二時間)ほどかけて瑛の身支度が整った。まさかこんなにかかるとは思っていなかった瑛はすでにぐったりしていた。
「軍を率いるより疲れた……」
「いえ、荒れ放題だったので、思わず」
と遠慮なく言ってのけたのは寧佳である。彩凜は彩凜で、「瑛様を美しくするのが我々の役目ですから」と真顔で言ってくれている。はいはい、わかりました。
やっとのことで珀悠と対面できた瑛であるが、どうやら彼も忙しかったらしい。史紀に仕事しろ、とせっつかれているそうだ。
「文姫……! 本当に、無事でよかった……!」
「珀悠、苦しい」
先ほどは人前なので遠慮していたらしい。部屋に入ってくるなり珀悠に抱きしめられた瑛は思った。それが息苦しいほどの力で、瑛は彼の腕をたたいて解放してくれるように頼んだ。珀悠の腕は多少ゆるんだが、離してくれる気配はない。
ここでまあいいか、と思ってしまうあたり、瑛は寛容なのか面倒くさがりなのか微妙なところである。どちらかと言うと、寛容なのだろう。
自分より顔一つ分ほど背の低い瑛の髪に顔をうずくめ。いいだけ抱きしめると、珀悠は落ち着いたようだ。瑛は珀悠を促し長椅子に腰かける。寧佳が卓に花茶を置いた。こうしてゆっくりとお茶を楽しむのも久しぶりである。
「まず、白氏のことは、私の役目は終わったからね。あとは頼む」
「了解です」
「うん。そっちはうまくできそうよね。むしろ、後宮荒れすぎじゃない?」
「申し訳ございません……」
「うん。初めから期待してなかったけどね」
少し歩きまわったが、後宮は瑛がいなかった二か月間の間に荒れていたようだ。孫昭儀と劉昭容が大きな動きを見せなかったために、比較的平穏だったかもしれないと言う見方もあるが、水面下でのいじめがすごいようだ。これは琅明からの情報である。
「まあ、そのあたりは私も悪いわね。あなたに言い置きしてから行けばよかった」
「……そこまで頼り切るのはちょっと」
珀悠は瑛に頼りすぎていることを気にしているらしい。瑛は珀悠の頭をなでる。
「気にすることないわ。私とあなたは夫婦で、一蓮托生よ。どこまでも一緒なんだから、頼ってもいいの」
珀悠が息をのんだ。次いで、頬が赤くなる。赤面して似合う、と言うか可愛い二十歳過ぎの男なんて、珀悠くらいじゃないだろうか。こんなことを思うあたり、瑛も相当である。
「文姫、ありがとう。大好き」
「はいはい。それから、私は瑛だってば」
このやり取りも久しぶりだな、と思いながら言葉を発した。適当に受け流したからか、珀悠は「文姫ってば、絶対俺の気持ちわかってない……」などとつぶやいている。
「母上!」
「こら、慧峻」
反射的に叱りながら、瑛は部屋の入り口を見た。急いできたのだろう。頬を赤くした慧峻がそこにいた。
「お帰りなさいませ、母上!」
「ええ。ただいま。でも、どんなにうれしくても今度からは走ってこないのよ」
「はい!」
元気よくうなずいた慧峻に、瑛はこれはちゃんと言いつけを守ってくれるのだろうか、と一抹の不安を覚えた。
「父上も、こんにちは」
「ああ。元気なのは何よりだけど、やっぱり父よりも母の方が好きか……」
「まあ、あんた、あんまり相手してないからね」
瑛がズバリと言った。珀悠が皇帝であることを考えると当然の結果である。まあ、一般的に男親より女親の方が好かれるもので、瑛も父より母の方が好きだった。
瑛は立ち上がり、慧峻を手招きする。もじもじしていた慧峻が近づいてきたところを抱きしめた。
「二ヶ月も留守にしてごめんね。明日からはまた、ここにいるからいつでも会いに来なさい」
「は、母上ぇぇっ」
どんなに気丈にしていても、慧峻はまだまだ子供だ。義母である瑛がいなくて不安だったらしく、ついに泣き出した。好かれたものだなぁと瑛は思う。
「我慢してたんだねぇ。気づかなかった……」
少し自分を責めるように言ったのは、瑛の傍らに膝をついた珀悠だった。瑛の前では子供っぽく振る舞う彼も、慧峻の前ではちゃんと父親で、臣下の前ではちゃんと皇帝だ。
実は、そう言う時の珀悠の顔は意外に男らしくてどきっとする。まるで知らない人物を見ているようだ。
瑛にそんなことを思われているとは思わないであろう珀悠は、瑛にあやされている慧峻の頭をなでている。その撫で方が、瑛が珀悠にしてやるのと同じで、瑛は思わず苦笑を浮かべた。
「ぼ、ぼく、は、ちちうえとははうえがだいすきです!」
泣きながらなので切れ切れの、舌足らずな調子で慧峻が言った。もう、可愛い。珀悠の世話をしたことと言い、慧峻の義母を楽しく務めていることと言い、彼女は元来子供好きなのかもしれない。
「私も慧峻が大好きよ」
「父も大好きだぞ」
不思議な家族は、しばらくそのまま引っ付いていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
明日から隔日投稿に戻そうと思います。もう一方の方の準備が……できてないけど、できたので。




