19、白青昌
珀悠、出番皆無。
精鋭ばかりと言っても、王師には歩兵も多い。そのため、北の江州につくまで七日を要した。しかし、ここまでくれば白氏の領地・五条は目の前だ。
瑛は、五条のひとつ前の地区で行軍を止めた。しばらくここに駐留すると言う。兵士たちは首をかしげたが、皇后に逆らう真似はしなかった。
五条のひとつ前の地域は楽染という。さほど大きくないこの地区の、山のふもとに瑛は一時的に天幕を張った。
そして、数名の兵士を呼び出し、彼らにあることを命じた。兵士たちは皇后に拱手し、天幕を出て行く。瑛の側で様子を見ていた奏偉が尋ねた。
「そんなことを命じて、どうするのです?」
「まあ、見ててくださいな。そんなにかからずに効果が出ると思いますよ」
瑛は皇后だが、奏偉は瑛の姉の夫だ。そのため、微妙な関係となっているが、二人は特に気にせずに今まで通りに接した。
瑛が命じたのは、楽染に噂を広めることだ。
白氏は謀反成功の折には、協力した異民族に土地を与えようとしている。その土地は楽染である。
すぐそこまで攻めてきている王師がすぐに攻め込まないのは、白氏の側にいる間諜の合図を待っているためである。
白氏は楽染を戦地にするつもりである。
今も、皇帝側に白氏の情報が漏れている。
などなど、一見どうでもいいようなものから少し無理があるだろ、というものまでさまざまな噂を流すように命じた。噂なのだから、多少こじつけが強くても大丈夫である。所詮、噂なのだから。
だが、噂は広まると真実となることもある。瑛はそれを狙ったのだ。
彼女は、珀悠に戦いをせずに決着をつけると言った。いや、情報戦も戦いであるが、人の血は流さずに、ということでひとつ。
とっても、全くの無血鎮圧は不可能であろうと瑛も思う。彼らは、瑛を呼び寄せたかったわけで、このまま何もないとは限らない。むしろ、瑛は刺客に狙われても不思議ではないと思っている。戦場で暗殺されることは多い。
ある程度毒に耐性はあるとはいえ、一応毒にも気を付けて、天幕での生活も三日。瑛の元に次々と情報が入ってきた。
「白氏が領民を見限ろうとしているともっぱらの噂です」
「今にも自分たちの利権を異民族に奪われるのではないかと、みんな戦々恐々としているみたいですよ」
「白氏が間諜狩りを始めたみたいです」
それらの報告に瑛が怪しげな笑みを浮かべる。
「いい感じね。もう一つ噂を追加。三日後に王師が白氏を討伐に攻め込むらしい。はい、行ってらっしゃい」
「はい!」
兵士たちは勢いよく拱手して、天幕を出て行った。瑛は羽扇でゆったりと顔を仰ぐ。
これで、領民たちの間に不信感が募り、白氏は身内の間で疑心暗鬼になる。内部から崩壊する、という手はずだ。さらに、日にちを指定した侵攻日を広めることで、白氏はあわてるだろう。
「……我が義理の妹ながら、恐ろしい人ですね」
「軍師と言うのはあくどいことをやってこそ、ですから」
奏偉の言葉に笑みを浮かべて答える瑛だ。軍師と言えば、戦の作戦を考える者、という印象が強いが、軍師の役目はそれだけではないのだ。戦術的軍師と、戦略的軍師の二つがある。瑛は後者に近い。もちろん、兵法をたしなむ彼女は戦術的軍師の役割も担える。
三日後、白氏から降伏宣言があった。瑛はうまくいったことに微笑む。だが、白氏は約定を結ぶために五条まで来てほしい、と訴えてきた。それを聞いた奏偉は
「罠です」
と一蹴した。それは瑛にもわかっている。そして、瑛の回りくどい作戦の狙いはこれである。瑛自身が、五条の白氏の本拠地に乗り込むこと。
基本的に、相手が油断しているときが狙いやすい。当然だ。暗殺が夜中、寝ている無防備な間に行われることが多いのはそのためだ。夜闇にまぎれやすい、と言うのもあるが。
瑛は羽扇を顔に影ができるように掲げながら、五条の方向を見透かした。
「罠なのはわかっています。でも、相手の懐に入り込んだ方が、物事はやりやすいですから」
攻め込むのではなく、できれば余力を残して白氏のもとにたどり着きたかった。今ならば、それは可能だ。
瑛は奏偉と少数の護衛と共に白氏の本拠地、五条に乗り込んだ。彼女らを五条内にある屋敷に、白家の当主・青昌が出迎えた。
「お久しぶりね、青昌殿」
「お久しゅうございます、皇后様。どうぞこちらへ」
当主自らが瑛を案内した。彼女らは帯剣していたが、咎められなかった。
案内されたのは、要するに客間だった。出された花茶には手をつけず、瑛は切り出した。
「さて。わたくしたちはあなた方が降伏してくださってほっとしています」
「……よくおっしゃる。あなたがそう仕向けたのでしょう」
「どうかしら」
瑛は目を細めた。
「約定を結びたいとのことだったわね」
「あなた様が許して下さるのでしたら」
「わたくしは無駄な流血をのぞまないわ」
遠回しに約定を結ぶ気があると言うと、青昌はわずかにほっとした様子を見せた。それが、演技かどうかはわからない。
一度息を吐き、青昌は言った。
「我々は、珀悠帝に逆らう気はありません」
「でしょうね」
珀悠に逆らうのであれば、彼らは今頃、京師まで侵攻してきている。ばればれな謀反計画を立てたのは、おびき寄せるためだ。高確率で、皇帝の代わりに派遣される皇后を。
そして、まんまとおびき出された瑛はここにいると言うわけだ。まあ、これがどちらにとっての『作戦通り』なのかは微妙なところであるが……。
「珀悠帝は、皇帝にふさわしい方だ。あなたが、あの方の血を残すつもりがないのであれば、今すぐ皇后位を下りてください」
「投降した人間が言う言葉ではないわね」
「私は、まだ負けたつもりはありません」
青昌の言葉と同時に背後から首筋に刃を当てられる。彼女の護衛の中に、白氏に通じるものがいたということだ。予想していたことなので、驚かない。
「瑛様。あなたは、確かに聡明で、上に立つのにふさわしい人間です。しかし、だからこそ、あなたはいずれ、珀悠様を脅かすかもしれない」
だから、今のうちに排除する、と。青昌は言った。
ある意味、彼は瑛の能力を買っているのだ。いつか、彼女が珀悠の皇帝の地位を脅かすかもしれないと思っている。そこに、どうしようもない矛盾を感じた。
彼は、珀悠を皇帝として認めている。瑛のことも認めている。しかし、彼女がその才ゆえに、珀悠を脅かすのではないかと思っているのだ。
瑛には、皇帝になれる力があると。珀悠が異母兄から帝位を簒奪したように、彼女も夫から帝位を簒奪するのかもしれない。
珀悠の血を残したいのであれば、彼は現在の皇后である瑛を排除すべきではない。彼女がいなくなれば、容易にこの国の後宮が崩壊する。今も、自分がいない間に後宮がどうなっているのか恐ろしいほどだ。
皇后が瑛であるから。この国の後宮は、何とか均衡を保っているのだ。
珀悠を皇帝のままにするには、瑛が皇后であるべきだ。
瑛は、いつか帝位を簒奪するかもしれない。
その矛盾が、青昌の中に見て取れた。
まあ、そもそも珀悠は異母兄の子である慧峻に帝位を譲るつもりで、瑛もそのように動いているから、瑛がいる限り珀悠の血が残らないと言うのは事実であるが。
瑛は凄絶な笑みを浮かべた。
「残念だけど、わたくしに手を出した時点で、あなたは珀悠に敵対したことになるわ」
「あの方を気安く呼ぶな」
「彼をどう呼ぶかはわたくしの勝手だわ」
すくっと瑛は立ち上がる。彼女の首筋に剣を当てていた武官がおののいたように後ずさった。
「今ここで決めなさい。わたくしをこのまま帰すか、弑するか。選びなさい」
瑛をこのまま帰せば青昌は瑛を認めたことになる。認めない、と彼女を弑すれば、完全に珀悠と敵対する。
瑛は珀悠の思いを利用しているのだ。青昌がどちらを選んでも、珀悠治世にとっては悪くはならないはずだ。珀悠ならば、白氏が本当に反乱を起こしたところで鎮圧できる。それだけの力が、彼にはある。
だから、本当にどちらでもよかった。
「あああああっ!」
取り乱し、剣を振り上げた青昌に斬られても、構わなかった。
「瑛っ!」
奏偉が瑛の前に割り込んだ。彼が手にした剣が、青昌の肩から斜めに袈裟切りにした。鮮血を吹き出し、彼は倒れる。
「当主様!」
瑛の背後にいる武官が叫んだ。瑛はとっさに振り返り、彼の鳩尾に肘を叩き込んだ。が。
「痛っ!」
現在、自分が身に着けていないから忘れていたが、彼らは鎧を着ていた。生身の瑛が肘を叩き込んでも、相手がびくともしないのは当然である。
「貴様ッ!」
瑛の背後にいるのとは別の武官が叫んだ。剣を鞘から引き抜く音がする。
結局こうなるのか!
瑛は鞘ごと自分の腰から剣を取り上げると武官を殴りつけた。さらにもう一人の武官は思いっきり急所を蹴りあげてやる。それを見た奏偉が唖然とした。
「……容赦ないな……」
「義兄上に言われたくありません」
少なくとも、瑛は斬ってはいないのだから。
△
青昌は死んでいなかった。瑛は寝台に横たわる彼の側に腕を組んで座っていた。
「じゃあ、わたくしは帰ります」
「……どうやら、私の負けのようですね」
「さあ。それはどうかしら」
結果的に、瑛が勝っただけだ。しかも、勝ち方が不本意すぎる。
奏偉が青昌を斬ったとはいえ、配下の不始末は上に立つ者の不始末だ。瑛は青昌に今度こそ本気で憎まれることを覚悟した。
しかし……彼は言った。
『あなた様が珀悠様を支えてくださると言うのなら、その方がいいのかもしれません』
まさかの、敗北宣言であった。この言葉に、瑛は「負けたのは自分だ」と思った。自分は、ここまで潔くなれなかっただろう。
「あなたに手を出したから、あなたの部下たちに私刑にあうものだと思ったわ」
そう言うと、青昌は苦笑した。
「もともと、私の意見は少数派だったのです。あなた様と珀悠様の仲の良さは、この辺境にまで届いています」
「……」
それはびっくりである。
瑛と珀悠が仲睦まじいため、引き裂くのはかわいそうだ、という意見が多かったと言う。意外なところで同情を買っていたことに再び驚く瑛であった。
「私は、恐ろしかったのです。一年前、異民族の制圧に行ったあなた様の力が。その求心力が、珀悠様を脅かすかもしれないと思いました」
あなたに王の資質を見たのだ、と青昌は言った。彼は、瑛が異民族の制圧に行ったときに、ついてきた武官の一人だった。
瑛は青昌にこそ求心力があると思っている。年若い彼が、この辺境の難しい土地で領主としてやっていけたのは、彼の求心力があったからこそだろう。
「買い被りね。わたくしに、王になる気はないわ」
「でしょうね。そう言えば、あなた様はそんな方でした……」
苦笑して、青昌は目を閉じた。しばらくの沈黙を挟み、目を開いた彼は言った。
「皇后様、お気を付け下さい。あなた様の近くに、敵は潜んでいます」
「……そうね。あなたは私に翻意を抱いても、本当に実行するような人ではないものね。誰かにそそのかされた?」
「言い訳はしたくありませんが、そうですね」
「そう言うあなたの潔いところ、うらやましいわ」
瑛なら、いろいろと言い訳を並べてしまうだろう。だから、青昌のこういうところは単純にうらやましい。
「とにかく、忠告ありがとう。それに、殺さないでくれて、ありがとう」
「もともと自分の身の丈に合わないことをやるからですので、お気になさらず。あなたは無理に排除するより、敵に回さないことに努力した方がよさそうですね」
青昌のもっともな指摘に、瑛は肩を竦めるにとどめた。敵を作るのは大変だ。まず、味方を作らなければ。何事も、そこが重要なのだ。
「申し訳ありませんでした。領地の没収も覚悟しております」
青昌が頭を下げる。瑛は再び微笑んだ。
「すべては、珀悠が決めるわ。私は彼の指示に従うだけ。それでもしばらくあなたたちは謹慎すべきでしょうね」
青昌が言っていた通り、この国の皇帝は珀悠だ。彼なら、絶対に悪いようにはしないだろう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
瑛はたぶん、やろうと思えば珀悠から皇帝の座を奪えますね。皇后から皇帝になるといえば、則天武后ですね。私はあまりこの辺の歴史は詳しくないんですけども。




