16、夏侯晶
「すごいな。生殺しだ」
納涼祭のことについて聞いてきたので、顛末を簡単に聞かせたのだが、まず漣が吐いた言葉はそれだった。納涼祭で気にいった冷やしたお茶を飲みながら、瑛は首をかしげる。
「どういう意味?」
「そのままの意味」
漣にそう言われ、瑛は首をかしげる。頭はいいが、感情の起伏に乏しい彼女に、男の心情を理解しろと言うのは難しい話だった。
「まあ、瑛は思考が論理的だからね。仕方ないわ」
瑛をほめているのか貶しているな微妙な線の言葉を発したのは、瑛の二番目の姉、晶だ。
夏侯晶は夏侯津の次女だ。瑛の姉で、漣の妹にあたる。
夏侯姉妹は有名である。一番目と三番目は変人として。二番目は、傾国級の美女として。
二番目である晶は本当に美人だ。基本的な作りは、瑛と似ている。瑛と晶は母親似、漣は父親似なのである。
しかし、晶は瑛など比べ物にならないほどの美女である。小さな卵形の顔に、柳の眉、すっと通った鼻筋。二重の眼は優しげでやや釣り上がり気味。弧を描く唇は妖艶である。
瑛は、自分の魅力は外見ではなく、その知性であると思っている。それでも、晶を見ていると、外見がいいほうが何かと得だなぁ、と思うのだ。
先日、漣は一人で瑛に会いにやってきたが、今日は晶も一緒だった。彼女は州刺史に嫁いでいるので、いつもは地方にいるのだが、今はたまたま京師にいるらしい。そう言えば、夏至祭にも参加していた。
「でも、瑛はもう少し素直になった方がいいわ。そうすれば、きっと後悔しないわよ」
「姉様が言うなら本当なのだろうけど、よくわからないわ」
瑛はそう言って小首をかしげる。素直になれと言われても、よくわからない。
晶は美女として有名であるが、それと共に、占がよく当たるものとして有名である。
そもそも、瑛が『皇帝の妻になる』と占ったのは晶である。晶の占は変わっていて、相手の目に映った景色を見て、その人の未来や過去、現在を占う。これは晶だけの力であり、詳細は不明だ。
基本的に『不思議な力』は存在しないと思っている瑛であるが、晶の子の力だけは本物なのだと思う。かつて、世界には不思議な力が存在したと言うし、その名残が晶の占なのかもしれないと思う。
『あなたは皇帝の妻となり、皇帝の母となる』
今でも、晶の言葉を覚えている。あの占は、結局本当だった。瑛は皇帝・珀悠の妻となり、未来の皇帝・慧峻の母となった。
「話を戻して。とりあえず、瑛、お前はもう少し陛下のことを考えたほうがいいぞ」
「これでもかと言うほど考えてるけど」
「そう言うことではない」
漣が強引に話の軌道を修正する。瑛は確かに珀悠のことを考えている。珀悠がこの国で行動しやすいように水面下で動いている。情報を集め、操作し、必要となれば手を出す。それを繰り返している。
皇后夏侯氏に求められたのは皇太子の教育と、朝廷の政治的安定だ。皇帝に正妃がいないのは、何かと面倒である。
そのため、瑛のこの行為は明らかに『職分外』であるが、そうして手を貸してしまうくらいには、瑛は珀悠のことをかわいがっている。
「瑛、あなた、まだ珀悠様のことは弟だと思ってる?」
晶に尋ねられ、瑛は「うーん」とうなった。腕を組む、という皇后にあるまじき態度をとる。
「よくわからないわ。ただ、もう、私が母親代わりを務める必要はないくらい、大きくなったんだなって思うことはあるわ」
「男の初恋は母親だと言う話もあるぞ」
「それ、珀悠の初恋が私じゃないかって言いたいの?」
ありえないわ、とばかりに瑛は首を左右に振った。話をふった漣は苦笑して晶と顔を見合わせた。瑛はため息をつく。
「たとえそうだとしても、珀悠の隣には、もっと若くてかわいらしい子がお似合いでしょう」
自分でそう言ったのが、瑛は自分の心がずきりと痛んだのを自覚した。それを顔に出さないように、表情筋に力を込める。晶がじっと瑛の目を見つめてくるので焦った。
何か占でもされるのかと思ったが、にこりと笑った彼女は言った。
「時々可愛いわよねぇ、瑛は」
「どうせいつもは可愛げがないわよ」
瑛は自分の性格に可愛げがないことを自覚している。何となく『わかって』しまう瑛は、それはそれは可愛くない子だっただろう。
だが、今の言葉はすねたように聞こえたらしい。
「そう言うところが可愛いのよ」
「瑛の魅力は内面だからな」
「……」
自分でもこっそり思っていることだが、人に言われると微妙な気持ちになるのはなぜだろう。
漣は強気の美女だし、晶は傾国の美女だ。瑛も美人ではあるが、二人ほどではない。
昔は、どうして自分は二人のように美人ではないのだろうと考えたものだが、聡明な彼女はそんな無意味な考えをすぐに捨てた。ないものねだりをしても仕方がない。
晶はもうすぐ三十になるが、未だに驚異の美貌を保っている。とても瑛と五歳も離れているようには見えない。
そう。年上だとしても、彼女くらいの美女でないと、珀悠の隣には釣り合わない。珀悠は美丈夫だ。自分は、ただのお飾りであると理解しているつもりだ。
思わず、瑛の唇からため息が漏れた。姉二人がまたくすくすと笑う。
「本当にかわいいわねぇ」
「まったくだ」
それは、身びいきだと思う。瑛はごまかすように花茶を口にした。
△
一方の珀悠。彼は執務室に詰めていた。だが、うわの空なので補佐役の青年から苦言を呈されていた。
「陛下。仕事してくださいよ」
「うん。してる……」
「手、止まってますけど」
「……」
青年に指摘され、珀悠は筆をおいた。ぐっと伸びをする。
「最近、気づいたことがあるんだけど」
「はい」
「俺、文姫のことが好きみたいで」
「ほう」
「でも、彼女は俺のことを弟としか思ってないだろうし」
「うん」
「どうしようかと思って」
「ほうほう」
どうでも良さ気に相打ちをうっていた青年であるが、「一言いいですか」と一応前置いて、言った。
「今更何言ってるんですか?」
「それ、何に対する指摘!?」
「全てですよ!」
「ちょ、ひどい、史紀!」
珀悠は涙目で訴えた。まじめな青年……䔥宰相の息子、䔥(しょう)史紀はため息をつく。
「あなたが皇后様が好きで、あの方があなたを弟としか見ていないことなど、みんな知っていますよ」
「マジか……」
珀悠が呆然としてうなだれた。史紀は苦笑する。
「あなたは自覚したんですね」
「うん。まあ……」
珀悠はもごもごしながらうなずいた。そう。彼は気づいた。
瑛は珀悠にとって特別な存在だ。母であり、姉であり、特別な女性。そうだと思っていた。
だが、気づいた。彼女は珀悠にとって唯一の女性なのだ。
珀悠は瑛のことが好きだ。大好きだ。その思いが当たり前で、それに、皇帝になる前も後も、彼女はいつも珀悠の側にいてくれた。
そばにいるのが当たり前すぎて、気が付かなかったのかもしれない。だが、納涼祭の日、瑛に抱きしめられ、紡がれた言葉で気が付いた。
『私の夫が珀悠で良かった』
職分外である! などと言いながら、やってしまうお人よしなところが好きだ。容赦なくツッコミを入れてくるが、甘やかしてくれるところが好きだ。頼られると断れなくて、何気に面倒見がいいところが好きだ。
そんな好きがたくさん集まり、珀悠の瑛への思いが形成されていると言える。そして、とどめがあの一言なのだ。
ずっと、珀悠は瑛の弟分なのだ、瑛の下にいるのだと思っていた。だが、彼女のその一言は、珀悠を己と同じ高さにいると言ってくれているようで、うれしかった。そして、いつも自分が甘えるばかりなのに、自分に甘えてくれた瑛がうれしかった。
とても緊張した。
出会ったばかりのころは、瑛から抱きしめてもらったり、手をつないでもらったりすることも多かった。だが、年を取るにつれてそんなことも減っていき、今では珀悠から瑛への接触の方が多い。それが嫌なわけではない。彼女を抱きしめると落ち着くし、甘えさせてくれる彼女の存在は貴重だ。
だが、寝台で一緒に横になっても、安眠されてしまう珀悠は、己は男として見られていないのではないだろうか、と思うようになった。瑛にとっては、珀悠はまだまだ子供なのだろうかと、思った。
だから、同じ高さにいると認められているような気がしてうれしかった。何より、瑛に抱きしめられて緊張し、心臓が鼓動を速めた時、珀悠は自分が彼女に恋をしていると自覚した。やっと、自覚した。
同時に、恐怖した。珀悠が瑛を思っていることを知られれば、彼女は彼を避けるようになるかもしれない。彼女は、自分の皇后位がお飾りだと自覚している。まあ、珀悠自身がお飾りの皇帝であるのだが。
弟だと思っていた存在が、自分に恋していると知ったら、瑛はどうするだろう。突き放されたくなくて、珀悠は無意識に瑛に甘えるようになり、彼女の前では子供っぽく振る舞った。
だから、彼女は珀悠をいつまでも弟扱いする。当然だ。
だが、思いに気が付いた珀悠は、そのふれあいだけでは満足できない。瑛は、その先は拒むだろう。彼女の心情的にも、政情的にも。
珀悠の隣には、瑛がいることが当たり前になってしまった。だから、この関係を壊さないために、珀悠はこれからも彼女の弟でいるしかない。
彼女に恋情を抱いていようと、その接触に劣情を抱こうと、今のまま瑛をそばに置きたいのなら、弟でいるしかない。
……本当に、そうだろうか。
ふと、珀悠は思った。もしも、彼女に思いを告げたらどうなるだろう。想像してみた。
……うん。「何言ってるの? 頭は大丈夫?」くらいは言われるな……。優しい彼女だが、舌鋒は結構きつい。
信じてもらえないなら、この先には進めない。せめて瑛の考えが読めればいいのだが、珀悠の師ともいえる彼女の考えを読むのは至難の業だ。
「ああ~。文姫~」
執務机になつく珀悠に、史紀は「まあ、あなたにそう呼ぶことを許している時点で、皇后様もあなたのことは好いているでしょうね」と言う。さらに、昔からかわいがっていましたしね、とも付け加える。
史紀は䔥家に預けられていた珀悠のことを知っている。䔥家の次男である彼は、瑛についで珀悠の面倒をよく見てくれた。必然、珀悠と瑛の様子を見ていたことになる。
だから、彼は二人の仲の良さを知っているのだ。
だからこそ、何もしない。これは、二人の問題だからだ。
「じゃあ、お悩み相談が終わったところで、書類を片付けましょうか」
笑顔で史紀が言った。さすがにたまってきた書類の量が半端ではなくなってきたので、珀悠は「そうだな」とうなずくほかなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
瑛のもう一人の姉が登場です。上から、漣(32歳)、晶(29歳)、瑛(24歳)です。
次女・晶は占が得意です。さらに、瑛に予言を与えています。
世界観的には、『残虐皇帝と予言の王女』と同じになるでしょうか。ただ、こちらの方が昔の話になると思います。




