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「おねーたまー、ネイルやってー」
……妹よ。
ぴっと両手を差し出しつつ、上目づかいに甘えた声でおねだりしたところで効かんぞ。
君の姉に妹萌え属性は付いとらんからな。
私は脳内でビシリとツッコミを入れつつ、不機嫌に目を細めた。
ドアに掛けておいた『読書中。進入禁止!』の札は無視されたようだ。
じとりと妹を睨む。
お気に入りの服に新しいバック、染め直したばかりの髪をゆるく巻き、黒目を強調したばっちりメイクで決めているところを見るに、これからデートにでも行くのだろう。
ふん。羨ましくなんか……羨ましくなんか……くそおおおお爆発してしまえええ!
「ちょっと待ってろ。今キリが悪――
「おねぇのタイミング待ってたら出る時間過ぎちゃうよ! ってか、本ばっか読んでないでたまには外行かないの? 買い物とかさー……あ、服買いなよ服! いっつも同じ服じゃーん。その部屋着だって、何年着てるのそれ! だいたいおねぇは……」
――ふぅ」
溜息一つ。
しぶしぶ本を閉じ、妹を手招いた。
ぴたりと口を閉じ、いそいそとテーブルの上を作業しやすいようにセッティングしはじめる妹に、思わず半眼になってしまうのは仕方ない事だと思う。
まったく。着古した部屋着(襟元がだるっだるになったTシャツと、ゴムが伸びてゆるっゆるになった短パン)の何が悪いってんだ。
何より、服に金をかけてたら本が買えなくなるじゃないか。
なーんて、無駄に口のまわる妹からの反撃が怖すぎて口には出せないないわけだが。
「可愛くしてね♪」
小首を傾げ、にぱっと笑う妹は心底あざとい生き物だと思う。
二つめの溜息を落としつつ、妹の指先に目を落とした。
手に持ったピンセットを意味無くカチカチと鳴らしながら、どんな感じにしようかと頭の中でイメージをこねくりまわす。
完成予定図とおおまかな手順を脳内に広げ、さて始めますかと妹の手を取った。
・・・・・・。
「ほぇ ?んーと、 何―?」
黙々と作業している最中、不意に妹が声を発した。
ちらりと目を上げれば、どことも言えない虚空を見つめ、ぼけーっと口を半開きにした妹の顔が見える。
誰かと会話している風なのに、その手に通信機器の類いは見当たらない。
「うん、うん、んー……そっかぁ」
どうやら、どこぞから電波を受信しているようだ。
いつもの事なので、気にせず作業に戻ることにする。
ここで説明しておくと、我が家は変じ……いや、ちょっと変わった人が生まれやすい家系だったりするのだ。
父はふとした瞬間に『見えちゃう』人であるし、妹もこのとーり。
このような状態になった時には、慌てず騒がずスルーしておくのが一番である。
一族内ではレアな事に、不思議系な特技を所持してない私には関わったところで何もできないからな。
と、思って放っておこうとしたのだが……
「うんうん、んー……良く分かんないけど、良いよー」
「いやいやいやいや、良く分からない状態で了承すな!」
思わず、反射的にツッコミを入れていた。
妹よ、常々バ……考えなしな所があるとは思っていたけど、それはない。さすがにそれはないわ。
ゆるゆると首を左右に振りながら、妹への説教を開始しようとした、その時。
ツッコミを入れた状態のまま静止させていた私の右手が、ずぶり、と『何か』に飲み込まれた。
ぞわっ!
粘度の高い液体の中に手をつっこんだような、何とも気持ちの悪い感触に鳥肌がたつ。
何事かと目を向ければ、手首から先が何やら『空間の歪み』的なモノの向こうに消えているではいか。
「は?」
気の抜けた声を口から漏らしつつ茫然としている間にも、ずぶずぶと我が右腕は引きこまれていく。
肩まで飲み込まれたところで、妹と目が合った。
妹はきょとーんとした顔で小首を傾げ、
「あれ? ……ま、いっか。行ってらっしゃーい」
とか言いつつ、ひらひらと手を振った。
ま、いっか。じゃねえよおおお!
おいこら何だこれ! どうしてこうなった!? ちょ、え、本当に何で!?
あの流れは完全に妹が標的だったよな!?
え、 嘘、 まさかの
「こっちかよ!」
ずぶり。
叫んだ瞬間に頭まで飲み込まれ――――意識が途切れた。