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神楽坂探偵事務所はお嬢様の溜まり場です  作者: 牛一・冬星明
第2幕 消えた社員、透明人間の謎

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第六話 真実の姿

 二〇二六年一月二十六日深夜。

 わたしを乗せたニュージーランド航空(NZ90便)直行便は成田を午後八時に飛び立った。オークランドに到着するのは午前十時半(日本時間午前六時半)であり、十時間半のフライトとなる。去年、イギリスのサマースクールに行ったので、長時間フライトは二度目だ。

 駒所長は寝ておけというけれど、エコノミーは狭くてゆっくり寝られない。

 今日、いいえ、もう十二時を過ぎたから昨日か。

 昨日は慌ただしい一日であった。

 河野通直(かわのみちなお)さんが渡した住所は、ニュージーランドのテカポ湖の住所だった。

 駒所長は現地の友人を頼って確認すると言ったが、甯子はすぐに向かうと言い出した。


「駒様に尋ねますが、九条玲於奈(くじょうれおな)様の身柄は安全なのでしょうか」

「安全とは言い難いな。すでに末端が捕らえられて一週間が過ぎた。証拠隠滅を図って始末される可能性もあれば、末端ゆえに放置されるかもしれない」

「安全は確保されていないのですね」

「俺の推測だが、放置される可能性の方がやや高い」

「では、迎えに行きましょう」

「甯子、学校はどうするの?」

「祖父に頼んで休ませて頂くわ」

「そうか。まぁ、頑張れ」


 神楽坂探偵事務所の仕事は九条玲於奈さんの居場所を探すことだ。すでに仕事は終わったかのように駒所長は寧子を突き放した。

 こういうところはドライな駒所長だ。

 甯子がスマートフォンを取り出し、横須賀駅の駅前で電話すると、すぐに黒のレクサスが迎えにきた。

 流石、お嬢様。

 高級車でお出迎えだ。わたしの家は中古でホンダのフィットだよ。

 甯子を見送ると解散となり、わたしは横須賀駅へ足を進めた。


「ちょっと待て」


 掛かってきたスマートフォンを片手に駒所長がわたしを止めた。

 わたしを止め、駒所長が電話先と込み入った話をしていた。

 相手は甯子の祖父であり、テカポ湖まで護衛を兼ねた追加の依頼だった。

 それからが大変だ。

 駒所長が母に電話を入れ、外出許可をもらうと、自宅まで連れて行かれ、海外出張の準備を手早く済ませた。


「パスポートと下着だけでいい」

「着替えだけって、女の子が旅行に行くんですよ」

「旅行じゃない。仕事だ」

 

 スポーツバッグに入るだけの着替えを詰め込んだ。

 そこから事務所に戻り、駒所長は急ぎの仕事を片付けると、成田へ車で移動した。

 成田の駐車場に車を預け、午後六時半に甯子と再会した。

 すぐに搭乗手続きを済ませ、軽く食事を取ると、午後八時にフライトだ。

 わたしと駒所長はエコノミーだ。


「まだ、起きていたのか」

「こんな狭い席で寝ろと言われても寝られません」

「到着すれば、乗り継ぎで寝る暇もない。目を閉じているだけでいい」

「いろいろと気になって眠れません。少しだけ話をしましょう」


 駒所長が「たく」と呟きながら応じてくれた。

 わたしが気になっているのは、河野通直さんが駒所長を嫌っている理由だ。性格が似ている感じがするので、同族嫌悪じゃないかなと素直に言った。


「そんな訳があるか」

「そうですか?」

「河野のおっさんは愛国心の塊。俺には愛国心などない」

「でも、嫌う理由が見当たりません」

「俺は大学の教授に誘われ、ロボット工学の研究をしていた。俺の専門はソフト面だった」

「ロボットですか」

「俺は主にソフト面だ。だが、貧乏な研究室だったからハードも手伝わされた。高校から大学まで三年間、ロボットのAIは世界の先駆けだったと思っている」

「凄いですね」

「二〇一六年、タイで行われたプライベート発表会に産業ロボットの部門で、教授がオブザーバーとして参加した。そして、俺は大学二年生として同行した」

「二〇一六年で大学二年生ってことは、三十歳ですか」

「まったく、かろうじて二十九歳だ。すぐに年齢を気にするあたりは女子高生とかわらんな」

「少し前まで、女子高生でしたから」


 もっと老けている感じだったが、まだ三十前だったのか。

 ちょっと意外だった。


「俺は発表も終わり、友人らとタイ国内の旅行に出掛けた。あの頃の俺は馬鹿だった。どうして……タイが安全とか、そう思っていたのか」

「何かあったのですか」

「謎の武装集団に拉致されて、ミャンマーの奥地で先兵にされた」

「拉致ですか」


 駒所長が遠い目をして語り出した。

 二〇一六年、ミャンマーではアウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)による新政権が発足し、軍事政権から民政への大きな一歩を踏み出していた。

 だが、軍は依然として強大な権限を握り、地方では武装勢力との戦闘も続いていた。

 アメリカ寄りのミャンマー政府を警戒し、中国の影響も複雑に絡んでいたらしい。

 国境地帯では中国製の武器や、中国からの資金が大量に流れていたらしい。

 国際政治は複雑で難しい。

 ゲリラは潤沢な資金で周辺諸国から先兵を強引に集めた。

 タイのマフィアにとって格好の儲け話であり、傭兵の募集、出稼ぎの勧誘、足りない数を適当な村から拉致するという強引な手段で人を送った。

 駒所長もその被害者の一人だった。


「二度、八一式軽機関銃を持って戦場に出た」

「機関銃ですか」

「生存できたのが奇跡だった。俺達は正規のゲリラ兵の囮だったからな」

「凄いです」

「実際、機関銃の音に震えて耳を塞いで怯えていただけだ」


 転機は無線機の故障だったらしい。

 ゲリラに修理工はいたが、絶対数が足りない。

 駒所長の価値が上がったらしい。


「大したことじゃない。国軍が使用していた無線機を修理しただけだ。暗号のプロトコルが幼稚過ぎて、簡単に解除できただけだ」

「わたしには何が凄いかわかりませんが、転機というくらいですから激変したのですね」

「あぁ、最前線から本部付きの工兵になり、銃を持つ必要がなくなった。だが、存在意義を見せつけなければ命の危機があるのは変わりない」


 簡単なセンサー付きの自律型移動する地雷を考案し、無線から流れる国軍の暗号文書を解読したらしい。


「最終的にはゲリラ幹部の前で、解析した暗号文書を説明するようになった。説明ついでに対策を講じていると、いつの間にか『コマンダー』(司令官)と呼ばれるようになっていた」

「ゲリラの司令官ですか」

「別に特別な権限があった訳じゃない。作戦を聞かされて、意見を言っていた。拉致被害者に変わりなく、いつ殺されてもおかしくない」

「針の筵です」

「あぁ、そうだった。だが、国軍の連中は俺を戦場の魔術士『ヤザザッ(Yaza Zat)』とか、日本人という意味か『カミカゼ・ゴースト(Kamikaze Ghost)』と呼んだ」

「何か、かっこいいです」


 駒所長は中国の携帯を利用したノートパソコンを手に入れ、各国の情勢などを分析できるようになったらしい。


「山林の秘境でパソコンがあったのですか」

「ゲリラの幹部連中は最初からノートパソコンを手に入れており、意外とハイテクだった訳だ。監視付きだが自由に使えるようになったので、アメリカに救援の暗号を送った」

「アメリカですか」

「拉致被害者の中にアメリカ人がいた。日本人のために自衛隊を派遣してくれないが、アメリカ軍は自国の国民なら救援を出すからな」


 アメリカの特殊部隊に拉致被害者の正確な位置を知らせ、駒所長はアメリカの特殊部隊と脱出を果たした。同時にミャンマー国軍の総攻撃で、駒所長を拉致していたゲリラ部隊も全滅した。

 三年半、駒所長は地獄から自力で脱出を果たしたのだ。


「あれ、どうして拉致被害者でしかない駒所長が河野通直さんに恨まれるのですか」

「俺が指示したとされる襲撃で、いくつもの村が襲われ、住民が皆殺しにされている」

「でも、皆殺し……ですか」

「国軍に協力し、食料などを置いていた村だ。ゲリラの居場所を密告し、道案内する者は裏切り者とされた。俺にそんな権限はない。だが、俺が指示したようになっている」

「酷い話ですね」

「ミャンマーには日本企業も進出しており、安全確認のために外交官が現地を訪れることがある。大抵、有事に備えて、外務省に出向した自衛官を伴う」

「もしかして、その自衛官が……」

「河野のおっさんが目を掛けていた自衛官だ。俺がゲリラに協力しなければ、数千人の命が助かり、数万人の被害者が出ずに済んだ。素直に死んでおけと罵られた」

「酷いです。駒所長は生き延びるために努力しただけです」

「そうだな。だが、亡くなった遺族に言えるか」

 

 わたしは言葉に詰まった。

 もし、わたしの両親がミャンマーに旅行に行って被害に遭っていたら……駒所長は悪くないと言えるだろうか。

 河野通直さんの逆恨みだ。

 でも、同族嫌悪という単純な問題じゃない。


 駒所長は口を閉じ、再び眠った。

 わたしは目を閉じ、眠れぬままで飛行機が飛ぶ音を聞き続けた。


 午前十時半(日本時間午前六時半)、オークランド空港に到着した。

 ぐったりするわたしと違って、ビジネス・プレミア席で優雅に睡眠できた甯子は元気そうに降りてきた。


「おはよう。菜乃葉様は眠そうね」

「うん、エコノミーは席が狭く、全然、眠れなかった」

「ごめんなさい。ビジネス・プレミア席が他に空いてなかったそうなのよ」

「わかっている」


 そこから入国・税関検査を受け、国内線ターミナルへ無料バスで移動した。オークランドからクライストチャーチ、そこから飛行機の乗り継ぎ、クイーンズタウンへ向かうらしい。

 本来ならクライストチャーチから車で向かう方が早い。

 だが、甯子の付き添いによると、現地で確実に身元の確認できる車両を手配できたのがクイーンズタウンだったらしい。

 そのため、もう一度飛行機を乗り継ぐことになった。

 クライストチャーチからクイーンズタウンへはプロペラ機だった。

 気流が乱れる度に飛行機が激しく揺れ、窓から見える景色は綺麗だけど、山が近すぎて怖い。

 午後四時(日本時間正午)、やっと飛行機が地面に降りた。

 生きた心地がしなかった。

 疲れ果てているわたしを無視し、甯子の付き添いが冷徹に指示を出した。

 女性だけど、凄く冷めた目をしている。


「飛行場の裏手にある『Queenstown Taxisクイーンズタウン・タクシーズ』に移動致します。着いてきて下さい」

「手配はしていないのか」

「長沢様、ご心配なく。予約で手配はしております。しかし、ドライバーの選別は重要です」


 タクシー会社は金網をぐるっと回った先にあった。

 プロペラ機のつんざくような爆音が耳に響くのを我慢して歩き、オフィスに入って名前を述べると支配人が出てきた。

 いろいろと付き添いが要求し、表に止まったのは黒ずくめ、タクシーのロゴもないメルセデス・ベンツだった。

 出発するわたしの目の前に野生的な岩肌がゴツゴツした景色が広がった。

 ニュージーランドって、こんなのだった?

 荒れた大地をリムジンで二時間半、午後六時半に車が止まった。

 午後六時半だというのに、まだ日が高い。

 ニュージーランドは夏だが、それほど暑くない。

 ただ、少し日差しがきつく感じられた。

 お店の名は『ザ・リンクリー・ラムズ(The Wrinkly Rams)』だ。

 ガラスケースにある料理を指定して選ぶ。


「ここの名物はミートパイらしい」

「じゃあ、ミートパイで」

「わたくしはサンドイッチでいいですわ」

「畏まりました」


 サクサク、パリパリで凄くおいしいけど、甘くなかった。

 スイーツじゃない。

 わたしはもう一度ガラスケースに戻り、見た目で『チョコレート・ブラウニー』を選んだ。

 ベリーの酸味とチョコの濃厚さが最高においしかった。

 でも、甯子は食欲が湧かないのか、サンドイッチも半分で手を止めた。


 そこからリムジンで四十分。

 目的の小屋に到着し、ベルを鳴らすと、九条玲於奈さんが飛び出してきた。


「お帰り、どこまで行っていたんだ。心配し……甯子さん」


 玲於奈さんが誰と間違ったのだろう。

 無事な姿を見て、甯子が泣き出していた。

 リビングに案内され、甯子が落ち着くのを待った。

 対面で玲於奈さんが自分で淹れたコーヒーを飲んでいる。


「玲於奈様、日本での事件はほぼ解決しました。一緒に帰りましょう」

「事件?」

「御影化成での事件です。あれは他国のスパイを呼び込むための」

「もうどうでもいいんだ」

「玲於奈様?」

「僕は人間関係に疲れた。逃げ出した弱い人間だ。九条などという肩書きは重すぎた。それがよくわかった」

「ですが……」

「甯子さんには悪いと思っている。だが、僕は本当の愛に目覚めた。もう元に戻れない。僕は(たお)と一緒に過ごして行こうと思っている」

「涛とは、岬涛(みさきたお)様のことですか」

「そうだ。僕もずっと後ろめたい思いを背負っていた。だが、違った。間違っているのは常識だ。僕たちの愛の前にすべては無意味だったんだ」


 甯子の目が点になっていた。

 九条玲於奈は真面目な好青年と聞いていたが、トンでもない爆弾を持っていた。

 玲於奈は拉致でもなく、騙された訳でもなく、自分の意思でここに来た。

 しかも、玲於奈さんが愛していた相手は男だった。

 それ自体は別にいい。

 ただ、甯子との婚約も、九条家も、仕事も、全部放り出して逃げてきたらしい。

 古い“しきたり”を守ってゆくことに意義を持つ甯子と真逆だ。

 河野通直さんが九条玲於奈を屑と呼び、「忘れろ」と言った意味がわかった。


 後ろの扉がバタンと激しく開き、そこから男が飛び込んできた。


「玲於奈、拙い。すぐに荷物をまとめろ」


 男はリビングのわたし達を見て、ぎょっとしていた。

 一呼吸、わたしは「誰ですか」と尋ねる間もなく、後ろから黒ずくめの集団が押し込んできた。

 もしかして、ヤバい?

 男が取り押さえられて床に倒されると、玲於奈が「涛」と叫んだ。

 やっぱり、あの男が岬涛か。

 駒所長は落ち着いたままで、コーヒーを飲んでいた。

 一人の男が黒いマスクを取った。


「やぁ、ひさしぶり。コマ」

「FBIがニュージーランド警察の後ろから出てくるとはな。ケニーも相変わらずか」

「まったく、コマがくるなんて聞いていない」

「俺もこちらに足を運ぶつもりはなかった。FBI(アメリカ合衆国連邦捜査局)がマークしているとも聞いていない。CIA(アメリカ合衆国中央情報局)の管轄じゃないのか」

「いろいろあるのさ」

「なるほど」

「コマが見えたから、監視から取り押さえに変更した」


 FBIって?

 わたしは余裕で話している二人の顔を交互に見た。


「菜乃葉、慌てる必要はないぞ。日米で合同捜査をしていると教えてくれたのが、このケニーだ。昔、世話になった」

「今はいろいろと情報をリークしてもらっている関係さ。可愛い助手さん」

「まだ、助手じゃない」

「いずれは助手にするつもりだろう」

「さぁ~な。この件に関係しているなら、もう少し教えてくれてもよかったんじゃないか」

「流石に業務を教えられない」


 涛を助けようと、近づいた玲於奈が取り押さえられた。

 駒所長が冷たい声で玲於奈に言った。


「玲於奈さんの愛は本物だったかもしれないが、そいつの愛は欲だけの偽物だった。玲於奈さんから情報を盗むことのみが目的だった。残念なことだ」

「嘘だ。嘘だと言ってくれ」

「馬鹿か、お前のせいで台無しだ。素直にパスワードを教えていれば、よかったのに、偽のパスワードばかりを教えて」

「何を言っているんだ」

「機密文書のパスを渡せと言っただろう」

「だから、自宅のパソコンに君との愛を綴ったパスワードを教えただろう」

「そんなもの何の役に立つ。御影化成のチームのパスに決まっている」

「僕らの愛に必要ない」

「全部、お前のせいだ。顔も見たくない。失せろ」

「愛していると言ってくれたじゃないか。すべて失っても僕を愛してくれると……」

「そんなものあるか」


 涛は手錠をされて連れ出され、玲於奈にも令状が示された。

 参考人として、アメリカへの出頭が必要らしい。


 最悪のバッドエンドだ。


 いっそ拉致されていた方が、まだ悲劇の主人公でいられた。

 自分から全部を捨てて、その相手にまで裏切られるなんて救いがない。

 甯子が涙を流しながら、乾いた声で笑っていた。

 おかしいことは何もない。

 でも、笑わずにいられないのだろう。

 わたしも気の利いた言葉を掛けられずに立ち尽くし、玲於奈さんが連れて行かれるのを見送った。

 駒所長は自分で二杯目のコーヒーを入れていた。



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