第6章 運用テスト ― 揺らぐ信頼 ―
βテストが始まる。
理想と現実の狭間で、凪くんの信念が試される。
午前九時。
凪メディカルクリニックの会議室には、
新システムのモニターがずらりと並んでいた。
「患者カルテ共有・応答管理システム」――
凪が中心となって開発した、院内情報の一元化ツールだ。
医師とスタッフ、患者の声を可視化し、
“治療の流れと気持ち”を同時に追える仕組み。
柊は最終チェックを終え、静かに息を吐く。
「……準備、できたな。」
「はい。βテスト、開始します。」
クリックと同時に、
モニターに次々と患者データが流れ始めた。
リアルタイムで更新される文字列。
端末の光が会議室の空気を少しずつ変えていく。
「……すごい。動いてますね。」
「ここまでは順調です。
あとはスタッフの入力速度に合わせて最適化して……」
そのとき、画面の一つが赤く点滅した。
「……凪、これ。」
「え?」
“ERROR:患者データ重複検知。”
凪の手が止まる。
別の端末でも、同じエラーが連鎖するように点灯した。
「まさか……」
「すみません、すぐ確認します!」
急いでコードを追う凪の指先。
だが原因が見つからない。
入力システムの同期がずれている。
そこへ、医局から兄たちが入ってきた。
匠翔:「……何をしている?」
凪:「βテスト中です。
少しデータの重複が出ていて……今、修正を――」
奏翔:「重複? それはシステムの根幹に関わる欠陥だ。」
凪:「一時的な処理ミスかもしれません。
手動で再同期をかければ……」
匠翔:「“かもしれない”では困る。
医療現場では、ひとつのエラーが命を左右する。」
言葉が冷たく響いた。
凪は口を開きかけたが、飲み込む。
奏翔:「感情を入れた設計など不要だ。
“正確さ”と“速度”があればいい。」
凪:「……わかってる。
でも、患者の“声”が抜け落ちたシステムなんて、
本当の意味で救いにならない。」
奏翔:「理想論だ。」
短い沈黙。
柊が静かに一歩前へ出た。
「今は、エラーの本質を見極めよう。
理屈でも感情でもなく、事実で話そう。」
匠翔は黙って腕を組み、モニターに目を向ける。
数分後、凪が小さく呟いた。
「……これ、外来端末との時間差だ。
通信ログが重なって、データを二重に送信してる。」
「じゃあ、根本的なバグじゃないんですね。」
「はい……でも、これじゃ運用に耐えられない。」
「一旦止めよう。今日のところはテスト中断だ。」
匠翔:「判断は正しい。……だが、これは危ういシステムだ。」
奏翔:「そうだな。
“人の感情”を扱う設計など、再現性がない。」
その言葉に、凪は手を握りしめた。
何も言い返せない自分が悔しかった。
「おいおい、そんなに責めなくてもいいだろ。」
いつの間にかドアの前に立っていた海翔が、
少しあきれたように笑う。
「エラーくらい出るさ。
だって、“人の心”だって完璧じゃないんだから。」
柊が静かに頷いた。
「……それは、いい言葉だな。」
匠翔は溜息をつき、
「とにかく、次の報告までに修正しておけ。」とだけ言い残して出ていった。
奏翔も無言で後に続く。
会議室に残った凪は、肩を落としたままモニターを見つめた。
赤いエラーメッセージがまだ点滅を繰り返している。
「……凪くん。」
「大丈夫です。
でも……悔しいですね。
“心を支えるシステム”が、まだ形になってない。」
「焦るな。
データが示すのは失敗じゃない、“次の課題”だ。」
「……そうそう。
なあハル。
お前、母さんの部屋の奥に置いてあったPC、
まだ見てないだろ?」
「え?」
「あれ、村中先生が最近整理してたんだ。
母さん、最後まで何か記録を残してたらしい。」
「……母さんの、記録?」
海翔は軽く笑って、
「明日、先生に聞いてみな。」とだけ言い残して出ていった。
凪は立ち尽くしたまま、
暗くなり始めたモニターの光をじっと見つめていた。
――エラーの赤が、どこか遠い記憶の光のように揺れていた。
「エラー」は終わりじゃない。
それは、まだ見つかっていない“心の更新プログラム”のサイン。
――そして、母の記録が再び息を吹き返す。




