20.お節介
「もしもし、清香さんですか?」
『あ、行人くん?』
「はい」
自主トレを終えて帰路に着いた道すがら、行人が清香に電話を掛けた。自主トレ中に着信があったので、その返信である。
『さっきは忙しかった?』
「自主トレの最中だったので、でももう終わったんで連絡を」
『そう、悪かったわね』
「いえ。それより、何かありました?」
『ええ、まあ。状況の進捗ってわけじゃないけど、ちょっと話したいことがあってね。これから来られる?』
「事務所でいいんですよね?」
『いえ、私の自宅に』
「え?」
行人が首を捻った。話なら事務所で十分なはずなのに、なぜわざわざ自宅に招くのか。そんなことを考えていると、受話器の向こうの清香が言葉を続けた。
『場所、覚えてる?』
「ええ、まあ。引っ越してないんですよね?」
『ええ』
「んじゃ、わかります。でも何で清香さんの自宅に?」
『まあ、事務所ではちょっと都合が悪いかと思ってね』
「???」
ますます訳が分からず行人は更に首を捻った。行人がそんな状態であるのがわかっているのか、受話器の向こうの清香が軽く笑った。
『フフッ、どういうことかは、来ればわかるわ』
「わかりました」
状況が未だにわからず混乱しきりの行人だったが、清香が言ったように行けばわかるのだろうと考え直し、行人は清香の自宅へと足を向けたのだった。
『はい』
清香の自宅であるマンションに着いた行人が、オートロックで清香の部屋のチャイムを鳴らした。そう時を置かずして清香の返答が返ってくる。
「あ、黒木です」
『待ってたわ、行人くん』
そこで途切れると自動ドアが開いた。行人はそのまま中に入り、エレベーターに乗って目的のフロアまで上がっていく。
程なくして目的のフロアに着いた行人が清香の部屋に向かった。そしてドア脇のインターホンを押す。
「いらっしゃい」
少しだけ時間を置いて清香がドアを開いた。
「ども」
「さ、入って」
「失礼します」
清香に促され行人は室内に入る。スリッパを用意した清香が先導するように中に案内し、行人はその後に続いて中に入った。すぐに居間に通される。
(相変わらず、家とは天と地ほどの差があるなー)
久しぶりに入る清香の家だが、昔の記憶とそう変わらない豪華な内装に素直にそう思った。母である葉子が亡くなる前、葉子に連れられて何度かここに遊びに来たことがあるのだ。だから場所も覚えていたのだった。
「好きなところに掛けてて、今、お茶を淹れてくるから」
「あ、お構いなく」
行人はそう言ったが、気にする様子もなく清香はキッチンへと引っ込んだ。行人は清香に勧められたのに従って、手近のソファーに腰を下ろす。少しして、清香がお茶とお茶請けのお菓子を持って居間に戻ってきた。
「どうぞ」
清香がお茶を行人の前に置き、お茶請けのお菓子もその近くに置いた。そして、行人の真向かいの位置に自分用のお茶を置いてそこに座る。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げて行人はお茶に口を点ける。同じように、清香も自分のお茶に口を付けた。
『ふぅ…』
図らずもお茶を飲んだ後の一息が重なってしまい、行人と清香は顔を見合わせて失笑しあった。
「いやあね、こんなことが重なるなんて」
清香がそう言って笑ったが行人としては何と答えていいかわからず、同じようにハハハと曖昧に笑うことしかできなかった。
「それで清香さん、早速なんですけど…」
行人が言葉通り早々に話を切り出す。
「ええ」
わかってるわとばかりに頷くと、清香が席を立った。そして、すぐ近くのデスクの引き出しからファイルを一冊取り出すと、それを持って戻ってくる。そして、そのファイルを行人の目の前に置いてもう一度ソファーに座り直した。
(読め…ってことだよな)
行人はそのファイルに手を伸ばすと、それを開く。そしてパラパラと軽くめくってみた。と、最初の数ページをめくったところで、行人の顔色が変わった。
「これは…」
ファイルから顔を上げると、行人は正面にいる清香に視線を向ける。
「そ、見ればわかると思うけど、義妹ちゃんたちの詳細な調査報告書」
頷きながら清香が答える。
「…何でこんなものを?」
表情を強張らせながら行人が尋ねた。
「そんな顔しないで。勝手にこんなことしたことについては謝るわ」
そう言って、清香は頭を下げた。
「で、今の質問の答えだけど、言うなればただのお節介ね」
「お節介?」
「そ」
清香が再び頷く。
「義妹ちゃんたちが押し掛けてきたのには何か理由があると思ってね。だってそうでしょ? まだ生活能力のない子供が、身の回りの荷物だけ持って押し掛けてくるなんて、何かしら原因があるとしか考えられないじゃない。それに家に戻るよう言った時も、義妹ちゃんたち断固として拒否したんでしょ?」
「ええ」
「だったら、今回こんな思い切った行動に子供を走らせたのは家庭環境に原因があると思ってね、勝手に調べてみたのよ。で、その結果がそれってこと」
「そう…ですか…」
行人は言葉を詰まらせる。
「…しかし三日ぐらいで良く調べられましたね」
「前にも言ったでしょ、蛇の道は蛇よ。それに、これも前に言ったけど、この仕事も長年やってると伝手は色々あるって」
それが良いか悪いかは別にしてねと清香がおどけた。が、すぐに話を戻す。
「でまあ、色々わかったわけ」
「……」
行人は一度閉じた、手元のファイルに目をやった。
「まあ、無茶な行動に走ったのはちゃんと理由があったのよ」
「……」
行人は何も答えず、ただジッと手元のファイルを見ている。その様子に、行人の内心の葛藤が手に取るようにわかった清香が、行人を諭すように言葉を続けた。
「最初に言っとくけど行人くん、私はそのファイルの内容を知ったからってあの子たちを受け入れなさいなんて偉そうなことを言う気はないわ。あの子たちを受け入れるってことは、あの子たちを背負えってことだしね。二十歳そこそこの貴方に、人六人の人生を背負うのは酷ってものだもの。ただ、受け入れるにしても否定するにしても、義妹ちゃんたちの事情をちゃんと知ってからにしなさいってこと。そして、それを知ったうえで下した決断なら、義妹ちゃんたちを受け入れるにせよ否定するにせよ、私は全力で行人くんの味方になるから」
「…わかりました。ありがとうございます」
「ん」
一言だけ答えて清香が自分のお茶に口を付ける。偉そうなこと言ったが、清香にも自信はないのだ。自分のやっていることが正しいのか間違っているのか、そしてやるべきことだったのかそうではないのかが。
故に、お節介で咲耶たち義妹のことを調べたが、彼女たちをどうするかの判断は行人に任せた。つまり、丸投げしたのである。
(私も大概碌でもない大人ね…)
お茶請けのお菓子を味わいながら、その脳裏には目の前にいる人物の母親で自分の親友であった人物の顔が浮かんできた。
(ゴメンね、葉子)
声にせぬ謝罪を脳裏の親友に向ける。その間も、行人は真剣な眼差しでファイルを読み進めていた。
ファイルをめくる音だけが静かな空間に響く時間は、それからしばらくの間続いたのだった。