ニコラス、現る
登場人物紹介(追加)
ニコラス・・・師範魔術師。クレメンスの親友。専門は幻惑魔法。
ロジーナが帰宅すると、アリアが今にも泣きそうな顔をして飛びついてきた。
「お師匠様ぁ。変な人が……」
「変な人?」
アリアはコクコクうなずく。
「いるの?」
「台所に……」
アリアは不安そうに台所の方を見る。
ロジーナは静かにうなずくと、アリアを背にかばいながら、足音を忍ばせて台所へ向かった。
台所のドアは半分開いていた。
ロジーナは隙間から中をのぞく。
調子っぱずれな鼻歌が聞こえてきた。
ロジーナは静かにドアを開けた。
色あせたよれよれのローブに身を包んだ中年男性が戸棚の前にいる。
どうやらなにかを探しているようだ。
「ニコラス先生……」
ロジーナは顔をしかめた。
「お師匠様の知り合いなんですか?」
アリアがロジーナの顔を覗き込むようにして言った。
「私じゃない。クレメンスの知り合いよ。クレメンスの」
ロジーナは強く訂正した。
アリアは不思議そうな顔をする。
「みぃーつけた」
ニコラスは戸棚の中から羊羹を取り出し、満面の笑みを浮かべて振り向いた。
「やあ、ロジーナ先生。今日もべっぴんさんだねぇ」
ニコラスはご機嫌な様子で、茶器がのっているお盆の上に羊羹をおく。
「ん?」
ニコラスとアリアの目があった。
「ずいぶんかわいい娘がいるね」
ニコラスは鼻をヒクヒクさせる。
「弟子のアリアです」
ロジーナはひきつった笑みで紹介する。
アリアはペコリとお辞儀をした。
頭を下げたアリアの頭上から「クンクン」とにおいをかぐ音がする。
アリアは身を固くする。
「やっぱり、若い娘はいい匂いがするね」
ニコラスはそう言いながら、さらにアリアのにおいをかいでいる。
アリアはそのままの態勢で、目に涙を浮かべながら、ロジーナを見上げる。
ロジーナはひきつった笑顔のまま眺めているしかなかった。
しばらくすると、ニコラスは満足したのか、アリアから鼻を離した。
「んー、この香りは、あれだ。あれだよ。火だ」
アリアは驚いて顔を上げた。
「ピンポーン。大正解。うひゃひゃひゃひゃ」
ニコラスの珍妙な笑い声が台所に響きわたった。
「クレメンスは出かけてますので……」
ロジーナはおそるおそる言った。
出来れば今すぐ帰ってほしかった。
「うん。知ってる。待たせてもらうよ」
ニコラスはそう言うと、お盆を持ちすたすたと歩き出した。
「あ、それは私が……」
ロジーナは慌ててニコラスの後を追いかける。
「大丈夫。セルフサービスには慣れてるよ」
ニコラスはそのまま応接室に入ると、ソファーにどっかと座り、羊羹を手にした。
「オイラ、朝から何も食べてないんだ」
ニコラスは羊羹にかぶりつきながら言った。
「そうですか……」
ロジーナとアリアは遠巻きにニコラスの様子を眺めていた。
「ステーキが食べたいなぁ。角の肉屋にいい肉が入荷してたよ。特撰肉。うん。それでいいよ」
ロジーナの眉間にしわがよる。
「800グラムでいいよ」
ニコラスは腕を組み、ふんぞり返りながら言った。
「そんなに食べるんですか?」
ロジーナはいぶかしげなまなざしを送る。
「あひゃひゃ。なかなか面白いこと言うね。食べるのは半分。あとは持って帰るんだよ」
「そ、そうですか……」
ひきつるロジーナの裾をアリアが引っ張った。
振り向くと、クレメンスとルーカスが応接室に入ってくるところだった、
「クレちゃんお帰り。邪魔してるよ」
ニコラスが片手を挙げた。
「元気そうだな。ニコ」
クレメンスはそう言いながらニコラスの真正面に座った。
「また強請りに来たのか」
「強請るだなんて人聞の悪い。おねだりに来たんだよ」
ニコラスは心外だという顔をする。
「どっちも変わらないだろ……。私は引退した身だ。お前に恵んでやるほどの余裕はない」
「ウソウソ。恩給もらってるくせにぃ。それに、こないだ大がかりな仕事もしたよね?」
ニコラスはクレメンスを指さしながらニヤニヤする。
「お前もかなりの収入を得ているはずだ」
クレメンスは腕を組みながら目を眇める。
ニコラスはクレメンスと並び称されるほどの実力の持ち主だ。
高額な依頼は降るようにあるはずだった。
ニコラスは口をとがらせておどけた顔をしてみせる。
クレメンスはため息をついた。
「また散財したのか」
ニコラスはニヤッとした。
「そうそう。それを見せに来たんだよ」
ニコラスは「ウヒヒ」と嬉しそうに懐からこぶし大の石を出すと、クレメンスに見せた。
「ほう。珍しいな」
クレメンスの瞳がキラリと光る。
「お。分かる?」
ニコラスの顔がパッと輝く。
「やっぱクレちゃんだよなぁ。うちのカミさん、全然わかってくんなくてねぇ……」
ニコラスはポツリと言った。
「ルーカス。お前も見てみなさい」
「はい」
入口付近にいたルーカスがすぐに近くに行って覗き込む。
「すごい。僕、ホンモノ見るの初めてです」
ルーカスは瞳を輝かせながら、石を見つめている。
「君、将来有望だね。さすがはクレちゃんの弟子だ。クレちゃんに飽きたらオイラのトコにおいで。いつでもウエルカム」
ニコラスは満面の笑みを浮かべる。
「おいおい。どさくさに紛れて私の弟子を勧誘するな」
クレメンスが苦笑する。
「お師匠様。あの石……」
アリアがロジーナに尋ねる。
「さあ、知らないわ。分かんない方が幸せよ」
ロジーナは首を左右に小刻みにふりながら言った。
「ニコ。どうやって入手したのだ?」
クレメンスが興味深げに石を眺めながら問う。
「それが、語るも涙な苦労話があるんだよ」
ニコラスは嬉しそうに身をよじった後、不意にロジーナの方を見た。
「あ、そだ。ステーキよろしく。三軒先の店に高級そうなメロンがあったから、桐の箱にいれてもらってね」
ニコラスは片手を挙げ、ニッコリする。
ロジーナはあからさまに顔をしかめた。
「……。アリア。行くわよ」
ロジーナは低い声でそう言うと足早に応接室を後にした。
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「んじゃ。クレちゃん、また遊びに来るねぇ」
高級肉と桐の箱に入った高級メロンを持ったニコラスは、満面の笑みを浮かべながら片手を挙げる。
「来なくていいわよ……」
ロジーナは目を逸らしながら小声でぼそりと言った。
「やだなぁ、照れちゃって。オイラに惚れちゃダメだよ。クレちゃんがやきもち焼くから」
ニコラスはロジーナに顔を近づけ「ウキャキャ」と奇声をあげる。
ロジーナはあからさまに不快な表情を浮かべた。
「ニコ」
クレメンスが低い声で言った。
「怒っちゃやーよ。あひゃひゃひゃ」
ニコラスはおどけた顔で肩をすくめると、珍妙な笑い声を残して姿を消した。
後日、ニコラスの妻から丁寧なお礼状と心づくしの贈物が届いた。
「あの先生、奥さんはまともな人なのよね……」
ロジーナは届いた品を眺めながらポツリとつぶやいた。




