第三章 十字路のミストストーム ‐mist storm in the crossroad‐ ・1
今回より新章突入です。
推敲している時間がなかったので誤字・脱字はおいおい直していきます。
読みにくかったら申し訳ありません
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三十分後。
まどかたちは蛇の目中学まで辿り着いていた。
排水溝で大型トレーラーを乗り捨てた時に、椿はグローブボックスの中にあったガムテープでクラクションのスイッチを固定したために、巨大生物の断末魔のような甲高いクラクションが辺り一体に響き渡ることになり、霧に霞む大型トレーラーに無数のゾンビたちが群がるのをまどかたちは見ていた。
そのおかげか中学校正門まではゾンビたちと遭遇することは皆無で、霧の中に佇む気配も微塵も感じずに無事に校庭を横切り、思ったよりも容易に昇降口までやって来ることができた。
昇降口のガラス戸は幾つか割れていてガラス片が床に散らばり、下駄箱の幾つかは将棋倒しのように倒れていたりもしたが校舎の中はしんと静まり返っていて、明らかに無人のようだった。
四六時中、霧の中にいると時間の感覚が麻痺してくるが、廊下の薄暗さにまどかはようやく今が夕暮れ時だと気付く。
「一旦、職員室へ行ってみよう」
そうまどかが提案する。反対する者は誰もいない。
「あー、とにかく早く砂糖たっぷりのコーヒーが飲みたいよ……」
と、姫。まだ先ほどの大型トレーラーの余韻が残っているようで、彫りの深い端整な顔立ちには不釣合いな程に呆けた表情をしている。
「まどか先輩、今夜はここで泊まるんですよね……」
と、乙葉。彼女もまた姫と同じように乗り物酔いをしたような浮かない顔をしていたが、理由は他にもありそうだった。
まどかはすぐにピンときたのか、「怖い?」と悪戯っぽく笑う。
「そ、そ、そ、そりゃ怖いですよぉ。夜の校舎なんて一番出そうじゃないですかぁ」
そう言われてまどかは改めて廊下を見渡してみる。開け放たれていた昇降口ドアや割られた窓ガラスのせいで、校舎内にも霧が流入していて微かに白っぽく煙っている。更に夕暮れ時ということもあって窓がない辺りは完全に夜の闇と化していて、その何とも言えない薄気味悪さについ背筋に寒気が走る。
「と、とにかく皆で居れば大丈夫よ……」
そう自分に言い聞かせるように呟くと、まどかは松明を翳して職員室へと向かって歩き出した。
校舎はL字型となっており、廊下の突き当たりを右に折れるとすぐにあった。
職員室に誰も居ないことを確認すると、四人は中へ入り込んで手際よくベースキャンプの設営に取り掛かる。
まどかと椿が二つある出入り口に机を積み上げてバリケードを築いていき、姫と乙葉は窓の施錠確認とカーテンを閉じて目隠ししていく。
それと同じ作業を職員室と隣接している校長室にも施すと、今度はまどかはリュックの中から蝋燭の束を取り出して、窓際と壁際に等間隔に設置して火を点けていく。妹の力による索敵結界である。
「ふぅー、これでひとまずは安心と」
まどかは最後の蝋燭を設置し終えると、やれやれと肩を叩く。先ほどの全天領域殲滅体制の使用もあってか、全身に軽く倦怠感と疲労感があった。
すると職員室の中を物色していた乙葉が「まどかセンパーイ!」と、目の色を輝かせて駆け寄ってくる。
「朗報です朗報ですぅ! いま給湯室の確認をしたらここのプロパンガスがまだ残っていて給湯器もコンロも使えるんですぅ! いつものレトルトですけど今夜は温かい食事が食べられますよぉ! あ、その前にいますぐにお湯を沸かして熱々のコーヒーを入れるので休んでてくださぁい! 」
と、盆と正月が同時にやってきたようにまくし立てると、部屋の一角に簡単な間仕切りで区画してある給湯室へと向かっていく。その姿はまるでキャベツ畑へ一目散に向かう野うさぎのようだと、まどかは思った。
そしてベースキャンプ設営の作業を一通り終えると、皆は校長室へと集まった。
広さは十五畳ほどで校長の机と応接セット、書棚が置かれているだけであったが、この程よい広さと床に敷いてある厚みのあるカーペットが妙に気分を落ち着かせてくれる。
「はあっ、生き返るわねえ」
「私なんかもうふくらはぎがパンパンですよ」
まどかと姫は革張りのソファに座って、そのフカフカとして優しい座り心地に深いため息をついて呆けた顔を浮かべていると、割烹着を着た乙葉がお盆にカップを載せてやってきた。
「お待たせしましたぁ!」
「あれ、その割烹着持ってきたんだ?」
「はい! なんせ私の大事な戦闘服ですからぁ」
「戦闘服って――ところで椿はさっきからそこで何してんのよ?」
と、姫は校長の机に座って何やら引き出しの中を物色している椿を振り返る。
「……意外とこういう机の引き出しにピストルが隠されていたりする」
「どんな設定よそれ。ここには学園を支配する生徒会も生徒を武力で統率する教師たちも、それに対抗するために特殊能力を得た生徒たちも居ないの。いや、もしかしたら居たのかもしれないけれど、もうセカイの全てが終わって過去の出来事になったの。いまセカイにあるのは人の屍と歩く屍とそのどちらの予備軍でもある私たちだけ……みたいなセリフを吐いてほしいんでしょ!? ほら希望通りに吐いてやったわよ、ふん!」
「おお……」
椿は珍しく笑みを浮かべると、ペチペチと拍手をしながら姫に近付いていき、彼女にペーパーナイフを手渡した。西洋のロングソードの形をしたペーパーナイフだ。
「たったいま旧支配者の神殿にある祠の中から見つけた聖剣。あなたにあげる……」
「せ、聖剣て、ただのペーパーナイフでしょもう!」
と、姫は口では文句を言いながらも頬をほんのりと赤らめてまんざらでないような顔をしている。
「はいはい、じゃあ超時空茶番劇はそこまでにしてコーヒータイムにしよー」
まどかが毎度の如く苦笑交じりで呼びかけて、ようやく全員がテーブルを囲んで席についた。
「じゃあ今後の予定だけど――と言ってみても、とにかく不動あざみが現れるのをここでひたすら待つのみなんだけれど……」
と、まどか。
「朝までここに居るんですかぁ?」
と、質問をしたのは乙葉だ。
「不動あざみが差し迫った状況じゃない限り。真夜中の霧の町での行動はなるべく避けたいでしょ、乙葉ちゃんも」
「で、ですね……」
「ところで先輩、あとで体育館を見に行ってもいいですか?」
椿が律儀に挙手をしてまどかを見た。
出会った当初の頃はなかなか感情の読み取れない無表情だと思っていたが、今はそうでもない。彼女が何か企んでいる時にはその黒目勝ちな瞳を見ればわかる。秘めた意思が瞳の奥で微かに揺らめいている。
「どうして?」
「たぶん霧の発生当初にここの体育館は地域住民の避難先に指定されていたと思います。上手くいけばその時役場が用意した避難物資がまだ残っている可能性が……」
「さすがね椿ちゃん」
まどかは素直に感心して、目の前に居る終末マニアの後輩を頼もしげに見つめた。姫も「おおっ」と頷き、乙葉に至っては「食料がっ、食料がっ」と先走って興奮している。
「じゃあみんなで体育館に行きませんかぁ。もし沢山残っていたら運ぶの大変ですよぉ!」
すでに乙葉はその気になっていて腕まくりをして気合い十分だ。しかし椿がぽつりと、
「でも避難していた人たちが無事だったとは思えない。もしかしたら死体の山があるかもしれない……」
と、呟くと一気に顔が青ざめて意気消沈してしまう。
「そ、そんな……」
「体育館はすぐそこだし私一人で見てくるのはダメですか?」
「うーん……」
椿の問いかけにまどかは腕を組んで黙り込む。「この間のDQN軍団のこともあるし……」
「じゃあ私が椿と一緒に行って来るわ。まどか先輩はさっきの排水溝で結構疲れてるんでしょ?」
「そうね。そうしてくれると助かる」
姫の提案にまどかがほっとしたように頷く。そしてすぐ真顔になると「でも絶対無茶しちゃダメだよ」と中二コンビの顔を順に見て念を押す。
「はいはい、了解でーす」
と、姫はまどかの心配などどこ吹く風でまるでピクニックにでも出掛けるように軽いノリで返事をすると、椿と連れ立って職員室を後にした。
第一さくら寮の留守を任せられたレオは、正門にバリケード代わりに駐車してあるスクールバスのなかでまったりと過ごしていた。
まどかたちを見送ってから今日は一日中ずっとバスの中で何をするわけでもなく、シートを倒してごろごろとしていた。
思えばここへ辿り着くまでは空き家や乗り捨てられた車の中で夜を過ごし、いつゾンビに襲われるかわからない状況のなかでなかなか寝付けない夜が続いていた。
その極限状況と比べればここは天国だった。
寮の塀にはドーマンセーマンが貼られているのでザコのゾンビは近付くことも出来ないし、万が一高レベルのゾンビに敷地内に侵入されたとしても、スクールバスの中に居れば間違っても突然背後から襲われるようなこともない。
その安心感から今日は久しぶりに深い眠りを味わい全身の筋肉がとろける様にリラックスしていた。
「じゃあひとっ風呂浴びてくっかな」
レオは大きなアクビをしながら木刀を手にしてスクールバスを降りる。
まどかの好意でドラム缶風呂の使用は許されている。後輩たちはそれを聞いてブーブーと文句を垂れていたが知ったことではない。最高責任者の寮長がいいと言っているのだから気にする必要はない。
ドラム缶風呂は寮の横手にあり、本来ならば中庭からそこへ直接行くには机を積んだバリケードが邪魔しているのだが、既にバリケードの一部を崩して中庭から行き来できるようにしてある。
「ああ、ありがてえよ。久しぶりの風呂だよー」
レオは鼻歌を口ずさみながら井戸に設置してある手動ポンプを押してドラム缶に水を貯めていく。
その手がふと止まった。
レオは息を殺して、立てかけてある木刀に手を伸ばす。
そして寮の壁伝いに忍び足で中庭へと向かった。
つい今しがた確かに誰かが中庭の砂利の上を歩く音が聞こえたのだ。
しかし中庭には相変わらず霧が充満していて視界が悪い。
「おいおい、留守中に面倒事はゴメンだぜ……」
しかしそのセリフとは裏腹にレオの口許は嬉しそうにニヤついている。それはある種の強がりなのか。
レオは寮の壁を背にして、木刀を上段に構えて壁伝いに玄関を目指す。
もし霧の中からゾンビが突進してきても即座にスチール鋼が仕込んである木刀を脳天に叩き込んでやるつもりだったが、何事もなく玄関へと辿り着いた。
レオは中庭を覆いつくす霧の塊から視線を逸らさず、後ろ手に玄関のドアノブを探した。
まどかたちが出発する時に「第一さくら寮は男子禁制だから」と強く念を押されて、レオが勝手に中へ入り込まないように施錠してある。
その施錠してある筈のドアが知らぬ間に開いていることに気付いて、レオの全身に寒気が走った。
しかもただ開錠しているだけではない。
ドアノブ自体がないのだ。
「マジかよ……!」
レオは思わず振り返って、ドアを見て愕然とした。ドアノブは明らかに何か強い力で引きちぎられていたからだ。
レオはそっとドアを開ける。
その瞬間、白い閃光が目の前を駆け抜けたかと思うと右頬に微かな痛みが走った。
それがドアの向こうから繰り出された何者かの貫手と確認する間もなく、レオは咄嗟に上半身を捻って貫手を交わすと同時に木刀を叩き込んでいた。
しかし手応えはない。空振りだ。
「こん畜生があっ!」
レオはドアを蹴り飛ばし、前転して三和土へ転がり込む。
何者かはレオの侵入と同時に背後へ大きく跳躍して間合いを取った。
その何者かの姿を見てレオは絶句していた。その姿が余りにも異様だったからだ。
「な、何者だ、てめえ……!」
その何者かは女性のような華奢な体つきに黒のビジネススーツを着ていた。髪は肩まで伸びていて後ろで緩く結んである。体つきや髪型で女性のように見えたが、核心が持てないのは肝心の顔が見えないからだ。
なんとその何者かはステンレス製の銀の鎖を頭部に何重にも巻きつけていて顔を覆い隠していたのだ。辛うじて両目の部分だけ微かに隙間が設けられているものの、鼻も口も鎖に覆われていて性別を判断するのは困難だ。
そしてそれだけでも異様なのに、顔面を覆う鎖には所々に南京錠がぶら下がっていて、異様さを際立てている。
その南京錠は鎖のズレを防ぐ為のものなのか、他者に鎖を剥ぎ取られないためのものなのか。
どちらにせよ、今目の前にいる性別もわからない鎖で顔を隠す何者かは普通でないことは確かだ。
「なんにせよ、留守を預かった以上てめえを黙って帰す訳にはいかねえな……!」
レオは上段の構えのまま一気に間合いを詰める。
そしてスチール鋼仕込みの木刀が鎖の何者かの脳天に吸い込まれる。
いや、鎖の者は振り下ろされた木刀をすんでの所で半身を逸らしてかわすと同時に右手刀で叩き落す。
レオの両手に電流が駆け抜けたような強烈な痺れが襲い、思わず木刀を離してしまう。
鎖の者はその隙をついてレオの両肩に手を掛けると、そのままレオを踏み台にして伸身宙返りで飛び越えていく。
「――そうはさせるかっての!」
レオは床に落ちる寸前だった木刀の切っ先をつま先で蹴り上げて再度両手に戻すと、自分の頭上を飛び越えていこうとしている鎖の何者かの顔面を目掛けて木刀を突き上げた。
レオの両肩にずっしりと重みが圧し掛かる。何者かは木刀の突きを避けるためにレオの両肩を押して飛ぼうとしたのだ。
鎖の者の華奢な体が一気にレオの体から離れていく。木刀の切っ先はあと少しの所まで迫りながらもわずかに届かずに空を突き刺す。
いや――
「まだだ!」
レオは木刀の柄元にあるスイッチを押す。それは木刀の剣先に仕込んであるスチール鋼の解除ボタンだった。木刀の内部にはスチール鋼と共に強化スプリングが仕込んであり、ボタンを押すと同時にロックが解除されてスチール鋼が切っ先から飛び出すように仕組んであったのだ。
しかもスチール鋼の先端はディスクグラインダーで鋭利に削ってある。
レオがこの終末世界をたった一人で生き抜いてこれた理由の一つが、この自家製パイルバンカーを仕込んだ特殊木刀だった。
木刀の切っ先から空気を切り裂いて勢いよく飛び出した三十センチほどのスチール鋼は、見事に鎖の者の額を打ち抜いていた。
空中で鎖の者の頭部が後ろに直角に折れ曲がる。
そして三和土に叩きつけられるように落下する。
しかし頭部に幾重にも巻きつけてある鎖がスチール鋼を防いだのか、何事もなかったようにすっと立ち上がると踵を返して中庭の霧の中へと消えていく。
レオはしばしの間中庭の霧を見つめていたが、ふと我に返って
「たく、何者なんだよあの変態野郎は……」
と、安堵の息を吐いた。
そして自分の両手が微かに震えていることに気付いて舌打ちをする。
「ああ、くそっ女子寮の留守番なんざ、楽勝だと思ったのによお……」
頭をボリボリと掻きながらスクールバスへ戻ろうとして、足元に一枚の紙片が落ちていることに気がつく。
その紙片を手に取ったレオの顔色が変わった。
「ああ、ほんと面倒くせえ。留守番だけしてりゃいいはずだったのに留守番してる場合じゃねえ、くそったれが……!」