表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
納期遅れで死んだ俺、異世界では魔力の詰まりが見えるらしい 〜最弱Eランクだけど、術式を読み替えて世界の流れを変えていく〜  作者: 好山 雪
第1章 月影の森で目覚める

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/49

第46話 名前を削る記録路

王立物流院の予備審査は、双方の優劣を決める前に中止されました。


審査用の九番箱には、濁りを正常判定へ読み替える循環術式が隠されていました。


それを知りながら使用した中央核に対し、写されたリリアは自ら「保留」を記録します。


彼女の元の名前は、エマ・コール。


中央核から負荷を受けながらも、自分の記録へ署名することを選びました。


そして審査盤は、シュウたちの判断方法を王宮へ送信していました。


王立物流院の地下に残る、閉鎖予定の記録搬送路。


そこでは、記録を運ぶ前に人の名前を削る仕組みが、今も動き続けています。

第46話 名前を削る記録路


 物流院の治療室で、エマ・コールは眠っていた。


 呼吸は安定している。


 顔色も、審査室で倒れた時よりは戻っていた。


 それでも、首元には細い黒線が残っている。


 中央核との接続だ。


 完全に切れば、写された記憶が損傷するかもしれない。


 残せば、中央核から再び命令や負荷を送られる可能性がある。


 今は五つの補助石へ流れを逃がし、糸ほどの細さまで絞っていた。


「一番目、交換」


 ノア・ルミナスが言う。


 エマと同じ顔を持つ女が、濁った補助石を外す。


 本物のミラ・フォルネから借りた工具を使い、新しい石を接続した。


 手つきは速い。


 だが、工具を持つ指には力が入りすぎている。


「押し込みすぎ」


 本物のミラが横から言った。


「接触が甘いと、流れが漏れる」


「補助石の枠が歪む方が漏れる。止まるところまででいい」


「中央核の整備手順では、固定音が二回鳴るまで押す」


「その枠、中央核用じゃないから」


 写されたミラは手を止めた。


 少しだけ工具を戻す。


 枠が、かちりと一度だけ鳴った。


 測定具の針が安定する。


「……一回で足りた」


「道具が違えば、手順も変わる」


「手順書にない」


「目の前を見なさいよ」


「見ている」


「数字だけじゃなくて」


 二人は同じ顔で睨み合った。


 以前なら、少しおかしな光景だと思っただろう。


 今は、どちらが本物かというより、整備士同士が作業方法で言い争っているように見える。


「エマさんの状態は?」


 俺が聞くと、ノアは脈を取りながら答えた。


「今は安定しています。ただ、中央核からの接続が強くなれば、また同じことが起きます」


「こちらから絞っているのに?」


「向こうが押す力を強めれば、細い部分へ負荷が集まります」


 水を止めずに、細い管へ流し込むようなものだ。


 出口を小さくすれば、圧力は上がる。


「補助石は、どのくらい持ちますか」


「今の状態なら半刻ほど」


 写されたミラが答えた。


「さっきより短くなってる」


「中央からの呼び出しが強くなっているから」


「呼び出し?」


「戻れと言ってる」


「エマさんへ?」


「私にも」


 女は自分の首元へ触れた。


 まだ黒い線は出ていない。


 だが、ときおり何かを聞き取るように目を細めている。


「何が聞こえるんですか」


「作業番号。帰還経路。次の役割」


「次の役割?」


「分からない。まだ開示されていない」


 本物のミラが測定具を向ける。


「あなたもエマみたいに負荷をかけられる可能性がある」


「だから搬送路へ行く」


「治療室に残った方が安全じゃない?」


「中央核の接続を止めるなら、構造を知っている人が必要」


「構造を知っているの?」


「写された記録の中にある」


「それ、罠かもしれない」


「分かってる」


「分かってて行くの?」


 写されたミラは、眠るエマを見た。


「ここで待っていたら、また中央核に引かれる。それなら、引いている場所を確かめたい」


 自分の意思なのか。


 中央核に行くよう仕向けられているのか。


 本人にも区別できないのかもしれない。


(外から見ている俺たちが、勝手に決めていいことでもない)


「同行してください」


 俺は言った。


「シュウ」


 セリア・グランツが俺を見る。


「大丈夫です。信用し切ったわけじゃありません」


「そうじゃなくて」


 彼女の視線が俺の目元へ向く。


「シュウも行くつもり?」


「はい」


「魔流視は?」


「使いません」


「必要になったら?」


「戻ります」


「本当に?」


「昨日使ったばかりです。今、深く見れば足手まといになります」


 言葉にすると、少し悔しい。


 だが事実だった。


 目の奥の痛みは、まだ消えていない。


 普段なら感じる程度の違和感も、今日は少し強く響く。


 見る力があっても、使える状態ではない。


「今日は、記録と測定具で追います」


 セリアは俺の顔をしばらく見つめた。


「分かった」


「青い紐は?」


「つける」


「使わないと言いました」


「使わないなら、つけても困らないでしょ」


 その理屈は強い。


 結局、左手首へ青い紐を結ばれた。


     ◇


 地下搬送路へ入る前に、役割を決めた。


 先頭はセルヴィス・アルカードとセリア。


 物理的な障害や、黒環術式への対処。


 次に本物のミラと、写されたミラ。


 二人で別々に測定し、数字が一致した場所だけ作業する。


 リリア・フォルンは記録。


 王立物流院側からは、オスカー・ベルン審査官。


 白環側の立会人は、イレーネ監察官。


 カレン・ベルシアは、搬送路へ流れている市場記録や荷札を確認する。


 俺は全体の順番と、退避条件を整理する。


 ノアはエマと共に治療室へ残る。


「補助石の交換時刻は、四半刻ごとです」


 ノアが言った。


「状態が変わった場合は、連絡石を二回鳴らします」


「三回なら?」


「即時撤退してください。エマさんか、同行する方の接続が危険な状態です」


「分かりました」


「返事ではなく、撤退してください」


「はい」


「今のも返事です」


「どう答えればいいんですか」


「戻る、と言ってください」


「必ず戻ります」


 ノアはようやくうなずいた。


 リリアが記録板へ退避条件を書く。


 中央核との接続が急増。


 搬送路内の換気停止。


 白環の連絡断絶。


 黒環術式の複数同時起動。


 いずれか一つで、調査を中止する。


「一つでですか」


 イレーネが聞いた。


「以前なら、二つ以上の異常が重なるまで継続していました」


「それで戻れなくなった人はいませんか」


 イレーネは黙った。


 セルヴィスが答える。


「います」


「では、一つで戻ります」


「慎重すぎます」


 イレーネが言う。


「生きていれば、また調査できます」


 セルヴィスが静かに返した。


 以前、灯り小路の封鎖を主張した彼が使った言葉だった。


 あの時は、地区を切り離す理由として。


 今は、調査する側を戻す理由として。


 同じ言葉でも、誰へ向けるかで意味が変わる。


     ◇


 記録搬送路の入口は、審査室の床下ではなかった。


 物流院の最奥。


 古い帳簿保管庫の裏に隠されていた。


 大きな棚を動かすと、壁に丸い鉄扉が現れる。


 扉には王家の紋章と、その下に古い文字。


 ――王都記録搬送路、第五支線。


 さらに赤い塗料で。


 ――閉鎖予定。


 塗料は乾き切り、ひび割れている。


「いつから閉鎖予定なんですか」


 俺が尋ねると、オスカー審査官は古い管理票を確認した。


「十七年前です」


「オルバスが王立魔術研究局にいた頃ですね」


「時期は一致します」


 カレンが封印を調べる。


「閉鎖予定なのに、扉の油は新しいです」


 蝶番にも、鍵穴にも、最近手入れされた跡がある。


「物流院の職員が使っている?」


 セリアが聞く。


「少なくとも、正式業務では使用していません」


 オスカー審査官の声は硬い。


「管理記録は?」


 リリアが聞く。


「閉鎖申請後は、中央設備管理室へ移管されています」


「物流院では確認していない?」


「毎月、閉鎖状態に異常なしという報告を受けています」


「誰から?」


「中央設備管理室です」


「現地確認は?」


「……行っていません」


 リリアのペンが動く。


「報告者と確認者が同じ管理下にあります」


「分かっています」


「今、分かったのですか」


「はい」


 オスカー審査官は言い訳をしなかった。


「私の確認不足です」


「では、記録します」


「お願いします」


 リリアは、間違いを責めるために聞いたのではない。


 次に誰が確認するのかを残すためだ。


 セルヴィスが鉄扉へ手を当てる。


「白環の封印があります」


「閉鎖のためですか」


 イレーネが測定具を近づける。


「いいえ。内部から記録が漏れないようにする守秘封印です」


「閉じる術式ではない?」


「記録から個人情報を除去するためのものです」


 イレーネは古い紋章を見つめた。


「この搬送路は、白環も使用していました」


 全員の視線が集まる。


「知っていたんですか」


「現在の白環ではありません。旧制度時代です」


 イレーネは紋章の縁を指す。


「災害や黒環汚染の報告には、患者名、家族、住居、魔力特性が含まれます。それを王宮へ送る際、必要のない個人情報を削る仕組みがありました」


「人を守るため?」


 セリアが聞く。


「汚染者の名簿が商会や雇用主へ漏れれば、治療後も仕事へ戻れません。家族まで追い出された例もあります」


 記録から名前を消す。


 それ自体は、人を部品にするために作られたのではない。


 人を守るためだった。


「白環の術式を、黒環会が利用している?」


 俺が聞く。


「断定はできません」


 イレーネは首を横に振る。


「王宮側が、目的を変えて使用している可能性もあります」


 黒環会だけの仕業とは限らない。


 白環が作った仕組み。


 王宮が管理する道。


 黒環会の中央核。


 すべてが同じ場所で重なっている。


「開けます」


 オスカー審査官が鍵を差し込んだ。


 途中までしか回らない。


「鍵が合っていません」


「物流院の管理鍵です」


「閉鎖予定になった時、管理権限を変えられたのでは?」


 写されたミラが鉄扉の下へ工具を差し入れる。


 小さな術式板を引き出した。


「鍵穴は物流院。でも、開閉命令の入口が中央設備管理室へ変えられてる」


「外から許可が必要?」


「違う。許可されたという記録が戻れば開く」


「誰が許可するんですか」


「扉自身」


 ミラが顔をしかめた。


「さっきの九番箱と同じ。自分で問い合わせて、自分で許可を返す循環」


「常に許可済み?」


「決められた信号を入れればね」


 閉鎖状態に異常なし。


 毎月届いていた報告。


 扉が閉じているという意味ではなかった。


 許可信号が正常に循環しているという意味だったのだ。


「開け方は分かりますか」


「中央設備管理室の信号を再現できる」


 写されたミラが言う。


「中央核の記録にあるから」


「使えば、こちらが入ったことも伝わります」


 本物のミラが続ける。


「知らせずに開けるなら、時間がかかる」


「どれくらい?」


「一刻」


「補助石が持ちません」


 写されたミラが即答する。


 エマへ負荷がかかっている。


 彼女自身への呼び出しも強まっている。


「知らせた状態で入ります」


 俺は言った。


「罠がある可能性は?」


 セルヴィスが聞く。


「あります」


「それでも?」


「相手は、審査記録をもう受け取っています。俺たちが道を見つけたことも予想しているはずです」


 隠れているつもりで時間を使うより。


 入ったことを知らせた上で、戻る条件を守る。


「開けてください」


 二人のミラが、同時に術式板へ工具を当てた。


 写されたミラが中央の信号を送る。


 本物のミラが、扉の出力と戻り値を測る。


 青い光が一度。


 次に白。


 最後に、薄い黒。


 鍵が回った。


     ◇


 扉の向こうは、人が歩くための通路ではなかった。


 左右の壁を、何十本もの細い管が走っている。


 金属管。


 魔石管。


 透明なガラス管。


 中では、小さな筒が高速で行き来していた。


 紙の記録。


 記録石。


 音声板。


 搬送される物に合わせて、管が分かれている。


 中央には点検用の細い足場がある。


 人一人が歩ける程度。


「これが記録搬送路……」


 セリアが管の中を流れる筒を見る。


「荷物じゃなくて、記録を運んでるんだ」


「昔は、地上の伝令より速かったそうです」


 オスカー審査官が言う。


「雨でも、夜でも、王宮へ報告を送れる」


「今も速いですね」


 筒は途切れない。


 閉鎖予定になってから十七年。


 この道は、一度も止まっていないのかもしれない。


 リリアが管の番号を記録する。


「一番から八番は物流院。九番から十二番は市場。十三番以降は白環」


 イレーネが白環側の管へ測定札を当てる。


「現在も使用されています」


「白環本部では、この経路を把握していなかったのでは?」


「本部から送る記録は別の回線です。ですが、途中でこちらへ合流しています」


「誰が切り替えた?」


「記録がありません」


「またですか」


 セリアがため息をつく。


「今回は、本当にありません」


 イレーネの声が少し低い。


 白環自身も、自分たちの記録がどこを通っているか把握していなかった。


 通路の奥から、規則正しい音が聞こえる。


 かたん。


 しゅう。


 かたん。


 しゅう。


 何かが記録筒を開き、閉じている。


「先へ進みます」


 セルヴィスが先頭へ立つ。


 足場は滑りやすい。


 下には、黒い水ではなく、古い紙片が積もっていた。


 搬送途中で破れた記録。


 名前の一部。


 数字。


 住所。


 欠けた文章。


 拾おうとすると、リリアが止めた。


「今は触らないでください。並びに意味があるかもしれません」


「ごみじゃないんですか」


「誰かがごみと判断した記録です」


 それ自体が、何を捨てたかを示している。


     ◇


 最初の分配室には、白い環があった。


 人の背丈ほど。


 記録管から出てきた筒が、環の中央を通る。


 入る前には、患者名、住所、家族構成まで書かれている。


 環を抜けた後の記録には、区画、症状、必要物資しか残っていない。


「匿名化術式です」


 イレーネが言った。


「個人を特定できる情報だけを分離しています」


「分離した情報は、どこへ?」


 リリアが尋ねる。


 白い環の下から、細い管が別方向へ伸びていた。


「白環の保管庫へ送る設計です」


「王宮ではなく?」


「本来は」


 ミラが測定具を当てる。


「途中で分岐してる」


 床下へ向かう管。


 新しい。


 白い環で分けられた個人情報が、そのまま床下へ吸い込まれている。


「王宮中央核?」


「接続先は、たぶん」


 俺は喉の奥に嫌な苦味を感じた。


 魔流視を使わなくても分かる程度の違和感。


 青い紐が、わずかに張る。


 セリアが見ている。


「使いません」


「まだ何も言ってない」


「顔が言っていました」


「それ、私の台詞」


 代わりに二人のミラが測定具を別々の場所へ当てる。


 本物のミラは、白い環の出口。


 写されたミラは、床下の分岐。


「白環側の出口は正常」


「床下は、名前と魔力特性を送ってる」


「何のために?」


 カレンが管の封印紐を調べる。


「市場の取引印があります」


「市場が個人情報を受け取っている?」


「いいえ。これは雇用照合用の印です」


 カレンの顔が険しくなる。


「治療歴を持つ者が、どの仕事へ就いたかを照合している」


「差別を防ぐため?」


 セリアが聞く。


「本来は、治療後の復職を妨げないための制度です。商会が病歴を理由に断れば、王都へ異議を申し立てられる」


「でも、中央核がその記録を持てば?」


「誰がどこで働き、どんな魔力特性を持ち、何を恐れているかまで分かります」


 人を守るために残した記録。


 それを別の出口へ流せば、人を支配する材料になる。


「白環の術式を壊せば、個人情報は送られなくなります」


 セルヴィスが剣のような白い術式を構える。


「待ってください」


 俺は止めた。


「これを壊したら、王宮へ送る記録に患者名が残ります」


「分離前で止めればいい」


「白環本部へも、必要な危険情報が届かなくなります」


「ならば分岐だけを切ります」


 セルヴィスの判断は以前より慎重だ。


 だが、ミラが首を横に振る。


「床下の分岐を直接切ると、個人情報の出口が塞がる」


「白環保管庫へ送られるのでは?」


「そっちの管が細くされてる。全部は流せない」


 出口が二つあるように見えて、王宮側へ流れることを前提に変えられている。


 一方だけ切れば、名前の記録が白い環の中で詰まる。


 やがて環そのものが止まる。


「流す量を戻せますか」


 俺が聞く。


「白環保管庫側の管を元の太さに戻せば」


 本物のミラが壁の古い接続部を示す。


「ただし、その前に保管庫が受け取れるか確認が必要」


「本部へ連絡します」


 イレーネが連絡石を取り出す。


「保管容量を確認。いっぱいなら、別の一時保管先を用意します」


「時間は?」


「四半刻」


「その間、王宮側は?」


「流れを細くできます」


 写されたミラが工具を当てる。


「切らずに?」


「十のうち二まで。これ以上絞ると、中央核が異常を検知する」


「もう侵入は知られています」


「異常を検知したら、私への呼び出しが強くなる」


 自分の首元を押さえる。


「エマにも?」


「たぶん」


 全部を一度に止めると、人へ負荷が戻る。


 流れの切り替えを先に作る必要がある。


「二まで絞ってください」


 俺は言った。


「イレーネさんは白環本部を確認。リリアさんは、流量変更の時刻を記録。カレンさんは市場側の個人情報利用を一時停止できるか確認してください」


「セルヴィスさんとセリアは?」


「通路の前後を。中央核側から人か術式が来る可能性があります」


「シュウは?」


 セリアが聞く。


「ここにいます」


「見る?」


「見ません」


「よし」


 役割が分かれる。


 俺が見えない流れでも。


 測る者。


 記録する者。


 出口を確認する者。


 受け入れ先を作る者。


 それぞれがいれば動かせる。


     ◇


 王宮側の流れを絞った瞬間。


 写されたミラの身体が揺れた。


「大丈夫?」


 本物のミラが支える。


「呼び出しが……変わった」


「強くなった?」


「違う。命令が変わった」


「何て?」


「戻れ、じゃない」


 女の顔から血の気が引く。


「作業役割を初期化する」


「初期化?」


「ミラ・フォルネの技術記録を回収するって」


 首元へ黒い線が浮かぶ。


 審査室のエマに現れたものと同じ輪。


 連絡石が一度。


 二度。


 ノアからの警告。


「エマさんの接続も上がっています」


 リリアが時刻を記録する。


「まだ撤退条件の三回ではありません」


「二回でも危険です」


 イレーネが言う。


「ただし今戻れば、切り替え前の状態へ戻ります」


「白環本部から返事は?」


「まだです」


 写されたミラが膝をつく。


「先に私を切って」


「駄目」


 本物のミラが即答する。


「でも、エマに流れる」


「だから出口を分ける」


「補助石は?」


「持ってきてる」


 工具袋から、予備の記録石を出す。


 だが三つしかない。


 審査室では五つ使った。


「足りない」


「白環の封印石を使います」


 セルヴィスが、自分の腰から白い石を二つ外した。


 イレーネが止める。


「それは黒環術式の封鎖用です」


「流れを受けることはできます」


「白環の記録形式で固定されます」


「固定する前に外せばいい」


「時刻を誤れば、記憶ごと封じます」


「なら、時刻を記録してください」


 イレーネは一瞬だけ迷い、封印石を受け取った。


「接続から十二分以内に外します」


「お願いします」


 二人のミラが五つの石を並べる。


「入口を絞る」


「先に出口」


「分かってる」


「本当に?」


「うるさい」


 黒い線が強くなる。


 写されたミラの呼吸が乱れた。


「名前を」


 リリアが言う。


「元の名前を覚えていますか」


「分からない」


「何か残っていませんか。道具。言葉。呼ばれ方」


「中央核へ入る前の記録は、削られた」


「完全に?」


「……工具に」


 震える手で、自分の工具袋を開く。


 底板を外す。


 裏側に、小さな文字が刻まれていた。


 N・E。


「頭文字?」


 リリアが聞く。


「たぶん」


「思い当たる名前は?」


「ナ……」


 黒い輪が脈打つ。


 女が頭を押さえた。


「無理に思い出さなくていい」


 本物のミラが言う。


「でも、私の……」


「名前がなくても、今ここにいる」


「エマには、名前があった」


「あなたにもある。思い出せないだけ」


 写されたミラは、目を閉じた。


「ナディア」


 かすかな声。


「ナディア……エルク」


 黒い輪が強く締まる。


「ナディア・エルク」


 リリアが記録する。


「以前の所属は?」


「王都……中央設備管理室。見習い整備士」


「確認しました」


「まだ確認できてない」


「本人の証言として確認しました」


 リリアのペンは止まらない。


「後で違っていたら訂正します。今、書かない理由にはなりません」


「ナディア・エルク」


 本物のミラも呼ぶ。


「工具を持って」


「手が……」


「私が支える」


 二人で一本の工具を握る。


「出口、一番目」


 補助石へ灰黒色の流れが移る。


「二番目」


 白い封印石が光る。


「三番目」


 ナディアの呼吸が少し戻る。


「今、入口を絞る!」


 二人が同時に工具を回した。


 首元の黒い輪が細くなる。


 連絡石が鳴る。


 一度。


 二度目は来ない。


「エマさん側も低下しています」


 リリアが言う。


 俺は息を吐いた。


 魔流視は使っていない。


 それでも、流れをほどくことができた。


 仲間が見て。


 測って。


 記録して。


 本人が自分の名前を選んだ。


     ◇


「白環本部、受け入れ可能です」


 イレーネの連絡石へ返事が届いた。


「旧記録保管庫を再開。個人情報記録を一時保管します」


「市場側も照合を停止しました」


 カレンも答える。


「雇用確認は手作業へ切り替えます。復旧まで、治療歴を理由に雇用を停止しないよう商会連合へ通知しました」


「では、切り替えます」


 白環保管庫側の古い管を開く。


 固着していた弁を、セルヴィスとセリアが支える。


「押すだけ?」


 セリアが聞く。


「一度右へ戻してから左!」


 ミラが叫ぶ。


「地下水路と同じだね」


「古い設備は大体そう!」


 セリアが右へ少し力をかける。


 金属が鳴る。


 次に左。


 弁が動いた。


 白い環で分離された個人情報が、本来の保管庫へ流れ始める。


「流量、三」


「王宮側、二」


「保管庫側、五」


「まだ足りない」


「補助管を開きます」


 オスカー審査官が、物流院側の空き記録管を一時保管用へ切り替える。


「物流院で受け取ります。正式な移管先が決まるまで、封印保管します」


「閲覧権限は?」


 リリアが聞く。


「物流院、白環、治療師代表の三者確認」


「記録します」


 出口ができた。


「王宮側を閉じます」


 ミラとナディアが、分岐部へ工具を入れる。


 いきなり切らない。


 十から二へ。


 二から一へ。


 保管庫側の流れが詰まっていないことを確かめる。


 最後に、床下への分岐を閉じる。


 黒い線が消えた。


 白い環は止まらない。


 患者名は王宮へ送られず、白環と物流院の保管庫へ流れる。


「切り替え完了」


 リリアが時刻を書く。


 イレーネが白環の封印石を外す。


 十二分より、少し早い。


 ナディアの記憶が固定される前に外せた。


「名前は?」


 本物のミラが聞く。


「ナディア・エルク」


「道具の使い方は?」


「覚えてる」


「私の技術は?」


 ナディアは自分の手を見る。


「まだ、ある」


「なら、そのうち混ざったところを分ける」


「分けられる?」


「分からない」


 ミラは工具を拭いた。


「でも、全部私のものにする必要もないでしょ。使える技術は使って、自分で変えればいい」


「それをしたら、ミラ・フォルネではなくなる」


「最初から違う」


 きっぱりと言う。


「あなたはナディア。私と同じ工具を使える、別の整備士」


 ナディアは少し驚いた顔をした。


 やがて、ごく小さく笑う。


 同じ顔なのに、ミラとは違う笑い方だった。


     ◇


 王宮への個人情報流出は止めた。


 だが、審査記録と蒼流の判断方法はすでに送られている。


 その先を追うため、俺たちはさらに奥へ進んだ。


 第二分配室。


 こちらには白い環がない。


 代わりに、大きな灰色の処理盤が並んでいた。


 到着した記録筒が開かれる。


 紙が読み取られる。


 人名、所属、書き手の癖が削られる。


 残るのは判断だけ。


 ――危険物を保留。


 ――記録の矛盾を確認。


 ――出口を測定。


 ――地区単位で流れを分割。


「これ、昨日の審査記録です」


 リリアが言う。


 俺たちの判断が、細かく分類されている。


 誰が言ったのかは残っていない。


 どういう関係の中で判断したのかも。


 結果だけが切り出されている。


「名前を消して、役割だけを取っている」


 俺は処理盤を見る。


「匿名化の仕組みを、別の目的に使ってる」


 患者を守るために名前を消した術式。


 それを、人間から仕事だけを抜き取るために使う。


「だから、顔と役割を別の人へ載せられた」


 ナディアがつぶやく。


「中央核に必要なのは、ミラ本人じゃない。ミラの判断手順」


「でも、手順だけでは同じ仕事になりません」


 リリアが言う。


「昨日、あなたはエマさんの異常を中央核の誤差と判断しました」


 責める声ではない。


「はい」


「ミラさんなら、どうしたかは分かりません」


「絶対に止めたって言いたいけど」


 本物のミラが腕を組む。


「その時の測定値が全部正常なら、私も迷ったと思う」


「本人も、毎回同じ判断をするわけではありません」


 リリアは処理盤に並ぶ分類を見る。


「その場にいた人。前に起きた失敗。使える道具。残された時間。それらが違えば、答えも変わります」


「中央核は、それも記録しようとしてる」


 ナディアが処理盤の下を開ける。


 内部には、何百枚もの小さな役割札があった。


 上段。


 シュウ・サエキ。


 ミラ・フォルネ。


 リリア・フォルン。


 三枚は黒い印で、取得済み。


 その下。


 次の取得対象が並んでいる。


 セリア・グランツ。


 カレン・ベルシア。


 ノア・ルミナス。


 セルヴィス・アルカード。


 イレーネ。


 エルネスト・ヴァイス。


 ジノ・バレット。


 ガッシュ。


 アルメリアに残った仲間の名まであった。


「いつ記録された?」


 セリアが自分の札を取ろうとする。


「触らないで」


 ナディアが止める。


「取得前の札には、接続術式がある」


 リリアが日付を読む。


「セリアさん、カレンさん、ノアさんは昨日。セルヴィスさんとイレーネさんは、白環本部で中央浄化核を止めた時です」


「俺は何を取られる予定なんだ」


 セルヴィスが自分の札を見る。


 その下に、小さな文字。


 ――広域切断判断。


 ――命令保留への移行条件。


 ――白環強硬派への説得経路。


「切る判断だけではない」


 俺は言った。


「切らないと決めるまでの過程も取ろうとしている」


 セルヴィスの表情が硬くなる。


 白環の強みを写す。


 黒環の中央管理へ組み込む。


 蒼流の分散判断も取り込む。


 三つをつなぐのではない。


 一つの中央核へ吸収する。


 それがオルバスの考える統合なのかもしれない。


 リリアが一枚の札を見つける。


「これは……」


 ほかより大きな黒い札。


 名前は書かれていない。


 代わりに。


 ――第三環統合管理者。


 その下に、候補者。


 シュウ・サエキ。


 テオ・ラウナー。


 二つの名前が並んでいた。


「どちらかを選ぶ?」


 セリアが聞く。


 ナディアが札の術式を測る。


「違う」


「何が?」


「二人を重ねる」


 俺の背中が冷える。


「シュウの魔流視と、テオの中央核接続。両方を一つの身体へ入れる設計」


「そんなことをしたら?」


 ミラが答える。


「どっちの人格が残るか分からない」


 役割札の下で、黒い光が脈打った。


 同時に。


 治療室とつながる連絡石が三回鳴った。


 一度。


 二度。


 三度。


 即時撤退の合図。


「エマさんか、ナディアさんの接続に異常!」


 リリアが叫ぶ。


「戻ります!」


 俺は即座に答えた。


 今度は、返事だけではない。


 役割札へ手を出さない。


 王宮へ続く出口も追わない。


 全員で来た道を戻る。


 調べたいことは残っている。


 第三環統合管理者。


 俺とテオを重ねる術式。


 次の取得対象。


 それでも、戻る条件は先に決めた。


 都合が悪くなった時だけ変えるなら、条件ではない。


「セリア、後ろ!」


「任せて!」


「二人のミラはナディアの接続を確認!」


「走りながらは無理!」


「止まれる場所まで運びます!」


「カレンさん、保管庫側の流れは?」


「安定しています!」


「セルヴィス、入口を確保!」


「分かった!」


 足場を走る。


 記録筒が、頭上を高速で通り過ぎていく。


 王宮への個人情報の流れは止めた。


 だが中央核は、別の線からエマを引こうとしている。


 俺たちが見つけたからではない。


 処理盤に残された役割札を、中央核が回収しようとしているのかもしれない。


 通路の奥で、黒い警告灯が点いた。


 白い環が回転を始める。


 名前を削るための術式。


 その光が、こちらへ向かって広がってくる。


「急げ!」


 オスカー審査官が叫ぶ。


「匿名化術式が、通路全体を洗浄しようとしています!」


「洗浄されたら?」


 セリアが聞く。


 イレーネが答えた。


「この中で記録された名前が、すべて消えます」


 壁の管理票。


 リリアが書いた調査記録。


 そして、中央核と接続されたナディアの名前。


 せっかく取り戻したものを、また削ろうとしている。


 俺たちは記録搬送路を走った。


 名前を残すために。


 誰かの役割ではなく。


 その人自身が選んだ記録を、地上まで持ち帰るために。

第46話を読んでいただきありがとうございます。


今回は、王立物流院の地下に残る記録搬送路へ入りました。


この搬送路は、白環が患者や家族を差別から守るため、王宮へ送る記録から不要な個人情報を除く仕組みとして使われていました。


名前を消すこと自体が、最初から悪意によって作られたわけではありません。


しかし王宮中央核へ非正規の分岐が追加され、患者名、魔力特性、復職先などの情報が別の目的に利用されていました。


シュウたちは白環の匿名化術式そのものを壊さず、本来の保管庫を再開してから王宮側への分岐を閉じています。


止める前に、正しい出口を作る。


今回も、切断ではなく流れの切り替えによって対処しました。


また、写されたミラの元の名前は、ナディア・エルク。


王都中央設備管理室の見習い整備士だった彼女は、中央核から役割を回収されそうになりながらも、自分の名前を思い出しました。


本物のミラと同じ技術を持っていても、同じ人間ではありません。


これからはナディア自身の判断と技術として、少しずつ分け直していくことになります。


搬送路の奥では、シュウ、ミラ、リリア以外の仲間たちも取得対象として記録されていました。


さらに中央核は、シュウの魔流視とテオの中央核接続を一つの身体へ重ね、「第三環統合管理者」を作ろうとしています。


その直後、エマの異常を示す撤退信号と、通路全体の匿名化術式が作動しました。


次回は、名前と調査記録を消そうとする白い洗浄術式から逃れながら、エマとナディアの接続を守ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ