第14話 偽りの封印紐
灯り小路の街灯柱から見つかった記録石と金属札。
そこに残されていたのは、人々の暮らしを観察対象として扱う冷たい記録でした。
黒環会という名を知ったばかりのシュウたちは、補助環の流れを逆にたどり始めます。
偽装された封印紐、消された注文書、脅された職人。
そして、前回エルネストから名前だけを聞いた白環の守り手が、
ついにシュウたちの前に姿を現します。
アルメリア支部の調査室には、前日よりも多くの証拠品が並べられていた。
焦げた補助環。
灰黒色に濁った魔石。
偽装された封印紐。
灯り小路の街灯柱から取り出された記録石。
そして、「V・G 検分済」と刻まれた小さな金属札。
机の上だけを見れば、壊れた魔道具の残骸にしか見えない。
だが、今の俺には、それが一つの流れの痕跡に見えていた。
(不良品の山じゃない。これは、どこから来て、どこへ流されたかを示す手がかりだ)
前世で生産管理をしていた時も、似たようなことがあった。
現場で不良が見つかる。
検査で止まる。
客先から問い合わせが入る。
その時、目の前の不良品だけを見ていても原因には届かない。
いつ作られたのか。
どのロットか。
誰が加工したのか。
どの工程を通ったのか。
材料はどこから来たのか。
流れを逆にたどる。
それをしなければ、また同じ不良が出る。
リリア・フォルンは、調査室の中央に記録紙を何枚も並べていた。
組合の依頼記録。
古道具市の出店許可一覧。
灯り小路の住民証言。
ラドム・ヴェイルの失効した商人証。
リリアはそれらを一列に並べると、静かにペンを走らせた。
カリ、カリ、カリ。
依頼日。
搬入時刻。
証言者の名前。
ペン先が紙の上を滑り、ある一点で止まる。
「……ここだけ、時間が合いませんね」
リリアがつぶやいた。
その声は小さい。
だが、調査室の全員が顔を上げた。
「何が違うんですか?」
俺が聞くと、リリアは一枚の依頼記録を指で押さえた。
「ラドムが灯り小路に入った日は、住民証言では三回です。ですが、組合の荷運び依頼では、もう一件、灯り小路近くへ荷が運ばれています」
「ラドム本人じゃなくて?」
「はい。名義はロウ・ヴェイル。おそらく偽名でしょう」
セリア・グランツが顔をしかめた。
「ヴェイルって、ラドムと同じじゃない。雑すぎない?」
「雑ですが、低額依頼では照合が甘くなります」
リリアは淡々と言った。
「特に灯り小路周辺は、正規商人があまり入りたがりません。依頼を受ける者も限られます。だから、多少不自然な名前でも通ってしまう」
入りたがらない場所。
確認が甘くなる場所。
人手も記録も薄くなる場所。
そこに、濁った流れは入り込む。
カレン・ベルシアは、机の端で二本の封印紐を見比べていた。
一つはベルシア商会の本物。
もう一つは、ラドムの荷車から見つかった偽物。
彼女は帳簿を開き、封印紐の結び目を指でなぞった。
「この荷は、見かけ上はベルシア商会の流れに乗ったように偽装されています」
「そこまで似ているんですか?」
俺が聞くと、カレンは薄く微笑んだ。
「外から見れば、かなり似ています。ですが、本物は結び目の芯に青糸を一本入れます。これは外側だけ似せたもの。芯の糸がありません」
ジノ・バレットが身を乗り出した。
「そんな細かいところまで見るのかよ。俺なら絶対気づかねえぞ」
「気づかれないように作っているのです」
カレンの声は柔らかかった。
しかし、目は笑っていなかった。
「商売は、金だけでは続きません。信用で続くものです。その信用を利用して、危険な品を流された」
カレンは封印紐を布の上に置いた。
「これは、商会への喧嘩でもあります」
ミラ・フォルネは、記録石に細い銀の測定具を当てていた。
工具箱はすでに開かれている。
魔石の入口。
変換部。
出口。
彼女は順番を崩さず、一つずつ確認していた。
「入口は記録用。変換部は簡易。出口は……違う、ここじゃない」
工具の先が、記録石の裏側で止まる。
「ここ。流れが削れてる」
「削れてる?」
セリアが聞いた。
「使用量だけじゃない。周囲の人の魔力反応まで拾ってる。弱った時間帯、回復までの間隔、近くにいた人数。全部ではないけど、断片的に残ってる」
ミラは測定具を机に置いた。
「これ、灯り用魔道具の性能試験じゃない。人を使った耐久試験よ」
調査室が静まり返った。
ジノの顔から軽さが消える。
「……俺の母ちゃん、あの道を通ってたんだよ」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
ジノの母、エレナ。
病気がちで、灯り小路近くの薬師へ通っている。
妹のミナも、買い物であの道を通ることがある。
ジノは無理に笑おうとした。
だが、口元だけが引きつっていた。
「いや、まあ、平気だって。俺、危ない場所から逃げるのだけは得意だし。母ちゃんもミナも、次から近づけねえようにする」
言葉が早い。
怖い時のジノだ。
俺は机の上の補助環を見下ろした。
(人の暮らしの中に仕掛けている。井戸、薬師、街灯、通路。全部、生活の流れだ)
黒環会。
昨日初めて聞いた名前。
だが、たった一日で、その名は俺の中に重く沈んでいた。
エルネスト・ヴァイスは腕を組んだまま、低く言った。
「偽の封印紐を作れる工房は限られる。カレン、見当はつくか」
「三つほど」
カレンがすぐに答える。
「一つはベルシア商会と直接取引があります。危険を冒す理由が薄い。一つは三か月前に廃業しています。残る一つは、南市の裏通りにあるルベン紐工房です」
「ルベン紐工房……」
リリアが別の紙を取り出した。
「最近、資金繰りが悪化しています。納税記録に遅れがありますね」
俺はその言葉に引っかかった。
資金繰りが厳しい。
正規の仕事が少ない。
そこへ、割のいい仕事が来る。
用途は知らされない。
もしくは、知っていても断れない。
(また、弱いところに濁った流れが入り込んでいる)
エルネストは重い息を吐いた。
「行くなら慎重に行け。職人が黒環会そのものとは限らん。脅されている可能性もある」
セリアが剣の柄に手を置いた。
「脅されているなら、助ければいい」
「助けるには、まず話を聞く必要があります」
リリアが静かに言った。
「いきなり踏み込めば、証言が消えます」
セリアは少しだけ気まずそうに視線をそらした。
「……分かってる」
その時、調査室の扉がノックもなく開いた。
入ってきたのは、白い外套をまとった男だった。
長い銀髪を後ろで束ね、首元には白い環の紋章。
整った顔立ちだが、目は冷たい。
人を見ているというより、汚染範囲を測っているような目だった。
「アルメリア支部長、エルネスト・ヴァイス殿」
男は部屋の中央へ進み、淡々と名乗った。
「白環の守り手、セルヴィス・アルカードです」
白環の守り手。
昨日、エルネストから聞いたばかりの名前だった。
黒い流れを封じる者たち。
だが、必ずしも人を救うとは限らない者たち。
その意味が、セルヴィスの目を見た瞬間、少しだけ分かった気がした。
エルネストの表情が険しくなる。
「来るのが早いな、セルヴィス」
「黒い流れの兆候が確認された以上、遅いくらいです」
セルヴィスは机の上に並ぶ補助環を見た。
続いて、灯り小路の地図へ視線を落とす。
「灯り小路。実証区二番。黒環会の術式が複数確認されていると聞いています」
「調査中だ」
「調査では遅い」
セルヴィスは即座に言った。
「汚染された流れは広がる前に断つべきです。灯り小路を一時封鎖し、物資と人の出入りを制限します」
「待ってください」
俺は思わず声を出していた。
セルヴィスの視線がこちらへ向く。
「あなたが、魔力の詰まりを見るEランクですね」
「シュウ・サエキです」
「では、あなたにも同行してもらいます。黒い流れを見分ける鍵として有用です」
有用。
その言い方に、胸の奥がざらついた。
「灯り小路を封鎖するって、そこに住んでいる人たちはどうなるんですか」
「最低限の支援物資は送ります」
「仕事は? 薬は? 家族の移動は? 今日の日銭で食べ物を買う人もいる」
「一時的な犠牲で、街全体を守れるなら合理的です」
セリアが一歩前へ出た。
「犠牲って言い方、やめなさいよ」
「感情で判断する場面ではありません」
セルヴィスは静かに返した。
「黒環会は、人の生活の隙間から流れ込む。ならば、隙間ごと塞ぐ必要がある」
理屈は分かる。
感染を止める。
火災の延焼を防ぐ。
不良品の流出を止める。
そういう判断が必要な時もある。
でも。
(止めることだけを優先すると、流れの中にいる人間が見えなくなる)
前世でも、何度も見た。
現場を止めろ。
納期は守れ。
原因は後で調べろ。
負荷がかかる人間のことは、数字の外へ押し出される。
その結果、誰かが壊れる。
俺は、それで死んだ。
「封鎖する前に、流れを追わせてください」
俺は言った。
「偽の封印紐を作った工房が分かりかけています。そこから補助環の流通経路に届くかもしれません」
「危険です」
「封鎖だけでは、作っている側も運んでいる側も逃げます。灯り小路だけを切り離しても、次の地区に流れるだけです」
セルヴィスは黙った。
その沈黙は、迷いではなかった。
俺が使えるかどうかを測っている沈黙だった。
「あなたは黒い流れを見えるそうですね」
「常に見えるわけじゃありません」
「ならば、必要な時に見ればいい」
簡単に言う。
まるで魔道具の出力を上げるように。
俺の目の奥には、昨日の痛みがまだ残っている。
深く見れば、頭痛も吐き気も来る。
それを説明しても、この男には「必要な負荷」として処理されるだけだろう。
エルネストが低い声で割って入った。
「セルヴィス。シュウは支部預かりの新人だ。白環が勝手に連れていくことは許さん」
「黒環術式に関わる異能者です。白環の管理下に置くべきです」
「管理、ね」
エルネストの声がさらに低くなる。
「人を鍵だの管理だのと言う癖は、相変わらずだな」
「あなたは甘い。だから黒環会に隙を与える」
「お前は切りすぎる。だから救える人間まで落とす」
二人の間に、見えない火花が散った。
白環の守り手は、黒環会と戦う者たち。
そのはずなのに、安心できない。
黒い濁りを止めるために、白い輪で締め上げる。
その中で苦しむ人の声は、届きにくい。
リリアが静かに口を開いた。
「セルヴィス様。灯り小路を即時封鎖する場合、組合記録上、最低でも二十七件の依頼が停止します。薬師への通院記録が五件。日雇い運搬の契約が十二件。共同井戸の管理当番が三件」
リリアは帳簿を三冊並べた。
ペン先が、時刻と名前を順番になぞっていく。
「封鎖による二次被害の記録も、白環の判断資料として提出いたします」
セルヴィスがリリアを見る。
「記録職員にしては、よく口が回りますね」
「記録職員ですので」
短い返答だった。
少し怖い。
カレンも一歩前に出る。
帳簿を閉じ、偽の封印紐を指で押さえた。
「ベルシア商会は、灯り小路への生活物資供給を一時的に増やせます。ただし封鎖ではなく、管理通行にしてください。荷の出入りを記録し、危険な補助環を検査する形です」
ミラも工具を持ち上げた。
「簡易検査具なら作れる。全部を完全には弾けないけど、濁りの強いものは判別できるわ」
ジノが早口で続ける。
「俺、灯り小路の道なら分かる。抜け道も、子どもが遊ぶ場所も、変な荷物が置かれやすい場所も。そういうの、地図だけじゃ分かんねえだろ」
セルヴィスは、順番に全員を見た。
最後に俺を見る。
「即時封鎖の代替案、ということですか」
「はい」
俺はうなずいた。
「止めるだけじゃなく、詰まりを見つけて、流れを作り直します」
セルヴィスはしばらく黙っていた。
やがて、白い外套の袖を揺らし、背を向ける。
「猶予は一日です」
「一日……?」
「明日の夕刻までに、補助環の流通経路に関する確実な証拠を示してください。示せない場合、灯り小路は白環の管理封鎖下に置きます」
セリアが何か言いかけた。
俺は手で制した。
一日。
短い。
けれど、ゼロではない。
「分かりました」
俺は答えた。
「必ず証拠を出します」
セルヴィスは扉の前で足を止めた。
「黒環会は、あなたが思うほど浅い相手ではありません。流れを覗き込むなら、流れに覗き返される覚悟を持ちなさい」
それだけ言って、セルヴィスは調査室を出ていった。
扉が閉まる。
部屋に重い沈黙が残った。
ジノが小さく息を吐いた。
「何だよ、あいつ。味方なのに全然安心できねえ」
「味方というより、別の流れです」
カレンが言った。
「黒環会は濁った流れを利用する。白環は濁った流れを断ち切る。どちらも目的はあります。ただ、その流れの中にいる人間を、同じ重さで見ているとは限りません」
俺はうなずいた。
黒環会は人を実験材料にする。
白環は人を汚染範囲として扱う。
どちらにも理屈がある。
でも、その理屈だけに乗れば、灯り小路の人たちはまた置き去りになる。
「ルベン紐工房へ行きましょう」
俺は言った。
「明日の夕刻までに、流通経路を掴む」
◇
南市の裏通りは、昼下がりでも人通りが少なかった。
表通りの古道具市とは違い、こちらは職人の工房や小さな倉庫が並んでいる。
鉄を打つ音。
木を削る匂い。
干された革紐。
古い木箱。
その中に、色あせた看板があった。
――ルベン紐工房。
扉は半分閉まっている。
中から作業音はしない。
カレンが扉を軽く叩いた。
「ベルシア商会のカレン・ベルシアです。ルベン親方はいらっしゃいますか」
返事はなかった。
ジノが周囲を見回す。
いつもより早口になる。
「裏口あるぜ。あっちの路地、足跡が新しい。あと、表の道に荷車の跡。嫌な感じしかしねえんだけど」
「逃げた?」
セリアが剣の柄に手をかける。
俺は扉の隙間から中を覗いた。
薄暗い工房。
作業台。
紐を撚る小型の道具。
床に落ちた繊維くず。
そして、どこか焦げたような匂い。
胸の奥に、引っかかりが生まれる。
まだ見えてはいない。
ただ、空気が重い。
(何か、詰まっている)
俺は息を細く吐いた。
扉を見るのではなく、その奥にある流れを探す。
視界の焦点を、ほんの少しだけずらす。
魔力の入口と出口を探す。
(流れを見ろ)
次の瞬間、工房の輪郭が少し薄れた。
作業台の下。
床板の隙間。
そこに、灰黒色の細い線が浮かび上がった。
ただし、奥まで追おうとした瞬間、目の奥がずきりと痛む。
(深く見るな。昨日の反動が残ってる)
俺はすぐに視界を戻した。
「作業台の下に何かある。濁った流れがそこで切れてる」
ミラが工具箱を開いた。
細い銀の棒を取り出し、作業台の下へ差し込む。
「感覚で分かる、だけじゃ困るんだけど……今回は場所まで言ってるから許す」
「助かる」
「入口は……紙? いや、焦げ跡ね。変換部はない。これは術式じゃなくて、燃やされた記録の残り」
ミラが床下から、小さな紙束の燃え残りを引き出した。
リリアがすぐに手袋をはめる。
焦げた紙を慎重に広げ、読める文字を拾っていく。
「注文書の一部です」
リリアのペンが紙の余白を滑る。
「封印紐、黒灰二百本。納入先、雨樋倉庫。受取、G商会代理」
「雨樋倉庫?」
俺が聞くと、ジノがすぐに反応した。
「東の水路沿いにある古い倉庫だ。雨の日になると屋根から水が滝みたいに落ちるから、そう呼ばれてる。逃げ道は三つ。いや、裏の水路を入れたら四つ」
「よく知ってるな」
「逃げ道の話なら任せろって」
少しだけ得意げに言ったが、声はまだ早い。
怖いのだろう。
でも、逃げていない。
カレンは焦げた注文書を見つめた。
「G商会代理……グレイムの頭文字でしょうね。ただ、これだけでは本人には届きません」
「でも、流れの先は見えた」
俺は言った。
「雨樋倉庫だ」
その時、奥の部屋から小さな物音がした。
セリアがすぐに前へ出る。
短く息を吸い、足裏で床を掴む。
剣を握り直し、腰を少し沈める。
だが、踏み込みすぎない。
昨日、街灯柱の前で学んだように。
「誰かいる」
セリアが低く言った。
俺たちは奥の小部屋へ向かった。
そこには、年老いた男が座り込んでいた。
白髪混じりの髪。
震える手。
腕には、薄い黒い痣のようなものが浮かんでいる。
男は俺たちを見るなり、怯えたように肩を震わせた。
「違う……わしは知らん。何も知らん」
カレンが膝をつき、声を和らげる。
「ルベン親方ですね。ベルシア商会のカレンです。あなたを責めに来たのではありません」
「知らんと言っている!」
ルベンは叫んだ。
「頼まれただけだ。紐を作れと。荷札に使うだけだと。黒い輪のことなど、わしは……」
そこで言葉が切れた。
知っている。
少なくとも、何かがおかしいとは気づいていた。
リリアは声を荒げなかった。
ただ、帳簿と焦げた注文書を並べ、ペン先で時系列を追う。
「ルベン親方。三日前に黒灰の封印紐二百本を受注。昨日、灯り小路で同じ撚りの封印紐が確認されています。今夜、雨樋倉庫へ納入予定。ここまでは記録と現物で確認できます」
ルベンの顔が青ざめる。
「誰に頼まれましたか」
「言えん」
「脅されていますか」
ルベンは唇を噛んだ。
その沈黙が答えだった。
ミラがルベンの腕を見る。
測定具を当てると、黒い痣の周囲に薄い灰色の光がにじんだ。
「黒輪術式の拘束痕ね」
「拘束痕?」
セリアが眉をひそめる。
「契約を破ったり、情報を漏らしたりすると痛みが走る術式。簡易型だけど、年寄りにはきつい」
セリアの目が鋭くなる。
「最低……」
ルベンは震える手で腕を押さえた。
「孫がいるんだ。西区の奉公先に……あの男は、孫の名前まで知っていた」
部屋の空気が変わった。
ルベンは加害側に関わった。
それは消えない。
けれど、ただの悪人ではない。
弱みを握られ、流れに巻き込まれた職人だ。
(ここで責めるだけなら簡単だ。でも、それでは流れは止まらない)
俺はできるだけ落ち着いた声で言った。
「ルベンさん。今夜、雨樋倉庫に何が運ばれるんですか」
ルベンは目を見開いた。
「なぜ、それを……」
「注文書が残っていました」
ルベンは顔を伏せる。
「黒灰の封印紐だけではない。補助環の新しい型が来る」
「新しい型?」
ミラが反応した。
「灯り用ではない。人の魔力の流れを測るための輪だと聞いた。わしは紐だけを作った。だが、あの男が言っていた」
「何て?」
俺が聞くと、ルベンは恐る恐る答えた。
「次は、動く者で試す、と」
背筋が冷えた。
動く者。
街灯ではない。
井戸でもない。
人そのもの。
その時、工房の外で小さな鈴の音が鳴った。
チリン。
ルベンの顔から血の気が引く。
「来た……」
ジノが窓から外を覗いた。
「黒い手袋の男が二人。あと荷車。表の道を塞いでる。やばいやばいやばい、これ絶対まともな訪問じゃねえ」
セリアが剣を抜く。
「迎え撃つ」
「待って」
俺は止めた。
視界の端に、嫌な揺らぎが走った。
半自動的に、灰黒色の線がちらつく。
強い異常。
黒輪術式だ。
「正面は囮かもしれない。ルベンさんを連れて裏口へ」
「裏は狭いぞ」
ジノが早口で言う。
「右に木箱、左は行き止まり。屋根は無理。水路側なら抜けられるけど、ルベンのじいさんにはきつい」
「なら、空き地へ。住民側の路地には逃がさない」
「分かった!」
ミラがルベンの腕に測定具を当てた。
「拘束痕を弱める。完全解除は無理。でも痛みを鈍らせるくらいならできる」
カレンは短い伝令を書き、小鳥型の連絡具を飛ばした。
「孫の奉公先を確認します。ベルシア商会の者を保護に向かわせます」
リリアは燃え残りの注文書を封筒に入れた。
「証拠は確保しました」
セリアは扉の前に立った。
右足が床を噛む。
肩の力を抜き、剣を握り直す。
青い魔力が足から腰へ、肩から腕へ、そして剣へ薄く流れた。
「時間を稼ぐ」
「踏み込みすぎるなよ」
俺が言うと、セリアは少しだけ笑った。
「分かってる。今日は、止まることも覚えてる」
黒い手袋の男たちが、工房の扉を乱暴に開けた。
「ルベン親方。納期遅れは困りますね」
丁寧な声だった。
だが、目は笑っていない。
「それと、不要な客がいるようだ」
セリアが前へ出る。
「不要かどうかは、こっちが決める」
男の一人が黒い小環を取り出した。
灰黒色の光が床へにじむ。
俺の視界が一瞬だけ揺れた。
危険だ。
あれは補助環ではない。
人の動きを縛るための術式だ。
「セリア、足元!」
「分かった!」
黒い光が床を走る。
セリアは踏み込みかけた足を止め、半歩だけ横へずれた。
床板が黒く焦げる。
もし踏み込んでいれば、足を取られていた。
セリアは剣を横へ払った。
「守り払い!」
剣身に走った薄い光が、黒い術式の進路を逸らす。
弾かれた光が壁に当たり、焦げた匂いが広がった。
その隙に、ジノがルベンの腕を引く。
「じいさん、こっち! 足元、板が浮いてるから気をつけろ! いや俺が怖いから急いで!」
ジノは叫びながら、横の木箱を蹴った。
倒れた木箱が、黒い手袋の男の進路を塞ぐ。
「今のは作戦! たぶん!」
「たぶんを作戦にしないで!」
ミラが叫びながら、ルベンを支える。
カレンは入口の荷札を素早く確認していた。
「この荷車、北倉庫の印を偽装しています。ですが、封印紐は南市のもの。帳簿と合いません」
リリアが即座に記録する。
「荷車一台。偽装印あり。黒手袋の男二名。ルベン親方への接触を確認」
こんな状況でも、記録を止めない。
少し怖い。
だが、頼もしい。
黒い手袋の男が、俺を見た。
「お前が、流れを見るEランクか」
背中が冷える。
「ヴァルド様が興味を持たれている」
「こっちは持たれたくない」
「そう言うな。貧しい地区に灯りを与える計画だ。理解ある協力者は歓迎される」
「人を実験台にする計画の間違いだろ」
男は笑った。
「実験なくして改善はない」
その言葉に、頭の奥が冷たくなった。
改善。
その言葉を、そんなふうに使うな。
「改善っていうのは、現場の人間を潰して数字を取ることじゃない」
俺は言った。
「流れの中で苦しむ人を減らすためにやるものだ」
男の笑みが消える。
「きれいごとだな」
「そうかもな」
俺は一歩下がる。
「でも、きれいごとを現場に落とし込むのが、生産管理の仕事だったんだよ」
意味は伝わっていないだろう。
それでいい。
セリアがもう一度、剣を構えた。
短く息を吸う。
足裏で床を掴む。
今度は踏み込みすぎない。
「風切り!」
横薙ぎの一撃が、男の手元を打った。
刃ではなく、剣の腹。
黒い小環が弾かれ、床を転がる。
「今!」
俺たちは裏口から工房を抜けた。
◇
夕暮れの路地を抜け、空き地までたどり着いた時、ルベンは肩で息をしていた。
ミラが拘束痕を確認する。
「痛みは?」
「少し……ましだ」
ルベンは震える声で答えた。
カレンの小鳥型連絡具が戻ってくる。
彼女の手の上で、小さな羽が静かに畳まれた。
「孫の奉公先は確認できました。ベルシア商会の者が保護に向かっています」
ルベンの目に涙が浮かんだ。
「本当か……?」
「はい。だから、話してください。雨樋倉庫で、誰に渡す予定でしたか」
ルベンは震える手で胸元を握った。
「名は知らん。ただ、黒い手袋の男が言っていた。今夜、二つ月が重なる頃、G商会代理が受け取ると」
「二つ月が重なる頃……」
ジノが空を見上げた。
「あと三時間くらいだな」
リリアは燃え残りの注文書を確認する。
「これだけでも封印紐の偽装証拠になります。ですが、ヴァルド・グレイム本人まで届くには弱い」
カレンがうなずく。
「雨樋倉庫で受け渡しを押さえれば、流通経路を一段上まで追えます」
ミラは記録石を握りしめた。
「新型補助環があるなら、術式の癖も取れる。どの工房系統か分かるかもしれない」
セリアが俺を見る。
「行くんだよね?」
俺は空を見上げた。
夕暮れの色が、赤から紫へ変わり始めている。
黒環会の荷が動く。
白環は封鎖を待っている。
灯り小路の人たちは、今日も弱い灯りの下で暮らしている。
(止めるだけじゃない。切り離すだけでもない。流れを追って、詰まりをほどく)
俺はうなずいた。
「雨樋倉庫へ行こう」
その時、遠くの大通りを白い外套の一団が歩いていくのが見えた。
白環の守り手たちだ。
その中心に、セルヴィス・アルカードがいる。
彼はこちらを見ていない。
だが、その進む方向は灯り小路だった。
猶予は一日。
そう言ったはずだ。
だが、白い流れはもう動き始めている。
黒い流れを止めるために。
灯り小路を、輪の外へ押し出すために。
俺は拳を握った。
(黒環会も、白環も、勝手に人の流れを決めるな)
雨樋倉庫の方角に、灰黒色の雲が低く垂れていた。
その下で、次の実証が始まろうとしている。
第14話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、偽装された封印紐から黒環会の流通経路へ近づく調査回でした。
ルベン紐工房の親方は、危険な品の流れに関わってしまった人物です。
ただし、家族を脅され、弱い立場を利用された職人でもあります。
そして、白環の守り手セルヴィス・アルカードが本格的に登場しました。
黒環会を止めようとする一方で、灯り小路を切り離すという冷たい判断を選ぼうとしています。
次回は、雨樋倉庫での受け渡しを追い、
黒環会の新型補助環とヴァルド・グレイムの流れにさらに近づいていきます。




