それぞれの胸の内ですわ
夜の車内は、昼間よりもずっと静かでした。
街灯の光が、窓の外をゆっくりと流れていきます。
後部座席に並んで座る九条院 恒一と雅は、しばらく言葉を交わさずにおりました。
それは気まずさではなく、互いに考えを整理するための沈黙ですわ。
助手席の鷹宮は、前方を見つめたまま、姿勢を崩しません。
けれど、その背中には、いつもよりわずかな緊張がありました。
「……想像していたよりも、ずっと」
最初に口を開いたのは、雅でした。
声は小さく、震えを含んでいます。
「ずっと、きちんと暮らしていましたわね」
その言葉に、車内の空気が少しだけ緩みます。
「豪華ではない。
楽でもない。
けれど――」
言葉を探すように、雅は一度視線を落としました。
「逃げていない」
その続きを、父が静かに引き取ります。
「それが、何よりだ」
短い言葉でしたが、そこには強い確信がありました。
鷹宮は、バックミラー越しに二人の様子を確認し、淡々と報告します。
「生活は簡素です。
ですが、破綻はしておりません。
学業も、労働も、どちらも継続できております」
その言葉に、雅はほっとしたように息を吐きました。
「……そう。
それなら……」
言いかけて、言葉を飲み込みます。
「迎えに行きたい、と?」
父は責めることなく、問いかけました。
雅は一瞬、唇を噛みしめてから、素直に頷きます。
「ええ。
抱きしめて、『よく頑張りましたわね』って……
そう言ってしまいたかった」
母として、ごく自然な感情ですわ。
しかし、父は首を横に振ります。
「それは、今ではない」
冷たく聞こえるかもしれない。
けれど、その声には揺るぎがありませんでした。
「自分で立ち、自分で続けている最中だ。
そこへ“戻る場所”を見せるのは、違う」
雅は、しばらく黙って考え込みました。
そして、小さく笑います。
「……あなたは、いつもそうですわね」
「間違っているか?」
「いいえ。
だからこそ、信じられるのですわ」
その会話を聞きながら、鷹宮は静かに目を伏せます。
「お嬢様は……
誇りを、手放してはおられません」
ぽつりと漏れたその言葉は、執事としてではなく、
一人の大人としての実感でした。
別の場所では、メイドの雪乃が一人、窓辺に立っていました。
ホテルの部屋。
灯りを落とした室内。
スマートフォンの画面には、今日撮ることのなかった写真。
撮ってはいけないと思ったから、撮らなかった写真。
「……強く、なられましたね」
そう呟いた瞬間、涙が一粒、頬を伝いました。
守る役目。
支える役目。
そのどちらも、今は“しない”という選択。
それが、こんなにも苦しいものだとは。
「それでも……」
雪乃は目元を拭い、背筋を伸ばします。
「エレナ様が選ばれた道ですもの」
同じ夜。
同じ時間。
それぞれが、同じ背中を思い浮かべていました。
声をかけない。
手を出さない。
それでも、確かに“親”であり、“家族”であるということを胸に抱いて。




