進路相談という名の戦場ですわ
朝の教室は、いつもよりざわついていました。
黒板の端に書かれた文字が原因です。
「進路希望調査 提出期限:今週末」
エレナは席に着き、その文字を見上げて静かに瞬きをしました。
「……戦場ですわね」
配られた用紙を前に、クラスメイトたちは迷いなく鉛筆を動かしています。
第一志望、第二志望。
将来の話題が、当たり前のように飛び交っていました。
エレナの用紙は、白いままです。
「……選択肢が、多すぎますわ」
放課後、進路相談室。
机を挟んで座る担任の先生は、落ち着いた表情でエレナを見ていました。
「希望、書けましたか?」
「……いいえ」
正直に答えても、先生は驚きません。
「進学、留学、就職。どれも可能性としてはありますね」
「全部、別の人生ですわ」
「だから、今決めなくていいんです」
先生は資料を指でなぞりながら続けました。
「あなたは、自分で生活を管理しています。それ自体が、大きな強みです」
「強み……ですの?」
「十五歳で、一人暮らしをして、学校と仕事を両立している。
それは、どの進路でも評価されます」
褒められているはずなのに、エレナは少し居心地が悪くなりました。
「特別扱いされている気がいたしますわ」
「特別なのは事実です」
先生は穏やかに、しかしはっきり言います。
「でも、それは不利ではありません」
帰り道、エレナはその言葉を何度も思い返していました。
特別。
お嬢様。
一人暮らし。
普通、という基準が分からないまま、選ぶ未来。
夜、アパートの共有スペースで大家さんと顔を合わせます。
「進路の顔してる」
「お見通しですのね」
「選択肢、多すぎ?」
「ええ。選べませんわ」
大家さんは、あっさりと言いました。
「じゃあ、減らせばいい」
「減らす……?」
「今すぐ決めなくていいものは、今は外す。
人生の選択肢って、後から増えるから」
その言葉に、エレナの肩が少し下がりました。
部屋に戻り、進路希望用紙を机に広げます。
第一志望、第二志望。
まだ、書けません。
エレナは、そこにこう書きました。
「未定」
「……今は、これで十分ですわね」
用紙を畳み、鞄にしまいます。
進路相談は、確かに戦場でした。
けれど、戦わずに立ち止まることも、
立派な選択なのだと、エレナは知ったのでした。




