このままでいいのかしら
朝、エレナはカーテンを開け、差し込む光を眩しそうに見つめました。
特別な出来事のない朝。
最近では、それが当たり前になっています。
「……落ち着きましたわね」
生活は回っていました。
学校へ行き、バイトをし、家に帰る。
食事をして、眠る。
困っていない。
追い詰められてもいない。
それなのに。
「……不安ですわ」
言葉にした瞬間、自分でも驚きました。
学校の帰り道。
同級生たちが進路の話をしているのが耳に入ります。
「高校どうする?」
「推薦とか考えてる?」
エレナは、その輪の外を歩きながら、
心の中で同じ問いを反芻していました。
高校。
その先。
そのまた先。
「……考えたことが、ありませんでしたわね」
今までは、
「生きること」
「続けること」
で精一杯でした。
未来は、
いつも後回しにされてきたのです。
放課後、まんぷく亭。
忙しさが落ち着いた時間帯、
エレナはカウンターを拭きながら、ぼんやりしていました。
「珍しいね、考え事?」
山田さんの声に、はっとします。
「……ええ。少々」
「疲れた?」
「いいえ。むしろ、その逆ですわ」
「逆?」
エレナは、言葉を探しました。
「今の生活は、問題なく続いておりますの。
だからこそ……このままで、よろしいのかと」
山田さんは、ふっと息を吐きます。
「贅沢な悩み、って言われそう?」
「ええ」
「でもさ」
山田さんは、カウンターに肘をつきました。
「考えられる余裕ができたってことじゃない?」
エレナは、動きを止めます。
「余裕……」
「前は、そんなこと考える暇なかったでしょ」
確かに、その通りでした。
「生活が安定したから、
次のことが気になるようになったんだよ」
その言葉は、責めるでも、急かすでもありませんでした。
夜。
アパートの廊下で、大家さんと顔を合わせます。
「今日は静かだね」
「ええ。頭の中が、少し騒がしいですが」
大家さんは笑いました。
「それはいいことだ」
「……そうですの?」
「生き延びる段階を越えた証拠」
エレナは、その言葉をゆっくり噛みしめます。
「まだ答えは出ていませんの」
「出さなくていい」
大家さんは、あっさりと言いました。
「十五歳でしょ。
考え始めただけで十分」
部屋に戻り、
エレナは机に向かいました。
ノートを開き、
何も書かれていないページを見つめます。
「将来」
そう書こうとして、手が止まりました。
代わりに、こう書きます。
「今の生活は、続いている」
それだけ。
けれど、その一行が、
以前よりずっと重く、意味のあるものに感じられました。
「……このままでいいのかしら」
答えは、まだありません。
けれど。
「考えられるわたくしでいること自体が、
前に進んでいる証ですわね」
エレナは、そう呟いて、
ノートを閉じました。
灯りを消す前、
窓の外を見て、静かに息を整えます。
「未来は……急ぎませんわ」
そうして、
エレナは今日を終えました。




