第九十七話 難儀な性格
都を出て早百数十日余りが経過しようとしている。
年越しを船の上で過ごすという得難い経験もあった。
日々の修練には途中からアーロンとその部下も参加し、寒空の中熱気の籠った声が甲板に響いた。
航海は予定より少し遅れがでている様だが、誤差の範疇だと船長青井は語る。
そして今、本航海では二度目となる嵐を前に、再度立ち往生を余儀なくさせられていた。
以前もそうだったのだが、こういう場合の船内は慌ただしくなる。
沖村以下船員達は、船に損傷が無いかを確認するため走り回り、風力に合わせて広げる帆の枚数も調整する。
船長青井は一番重要である現在地の確認に神経を注いでいるらしい。
何でも詳しい場所の確認方法がない現状、一度大きく流されてしまえば目的地への到着は困難になるとのこと。
そんな独特な緊張感が張りつめる船内であるが、別段やることが無い者達もいる。
「嵐というのはどうにも暇なものだ。甲板に出て修練を積むわけにもいかぬし。」
『こうして暇を持て余せることが皆の苦労の結晶であると理解しているのか?』
「…それは分かっているのだが、専門外の者が手を出せば邪魔なだけであろう?」
『まあ、そうだな。では、私とチェスとやらをやってみるか?』
部屋はそれなりに大きく揺れているのだが、流石に百日以上もここで過ごしていれば慣れるもので、今では気にもしていない様だ。
そして白姫の意外な提案を受け、刀一郎は盤を借りる為アレクシアの部屋を訪ねることにした。
「アレクシア、居るか?」
戸を叩くと、中から顔を出したのはアーロンだった。
室内に入ると、そこには丁度チェスを嗜んでいる者の姿が目に入る。
「アレクシアとクライヴが対局しているのか。珍しいな。」
「クライヴもツヨイ。ソレナリ。」
始めはてっきり接待の様な対局かと思った刀一郎だったが、二人の表情は真剣そのもの。
だが、どうやら勝負は終盤らしく、アレクシアが差した所でクライヴが己の敗北を宣言した。
「あ、トイチロ、へへへ、勝ったよ。」
刀一郎は嬉しそうに戦勝報告をしてくるアレクシアを撫でると、訪れた理由を説明した。
「えっ!?カミサマ、チェスやるの?私がやりたいっ。」
『いいぞ娘、相手をしてやろう。刀一郎、私の指示通り駒を動かせ。間違えるなよ?』
白姫は神の威厳などには特にこだわりはないらしく、基本的に自分が気に入った者となら意思の疎通をする。
頭の中に声が響くという現象に最初は驚いていた一行だったが、今ではすっかりそれにも慣れたようだ。
そして嬉しそうにアレクシアが駒を並べ、神と人の対局が始まった。
刀一郎は、白姫の性格について一つ確信していることがある。
それは負けず嫌いだということだ。
何故そう思うかと言われれば、勝負事となった途端明らかに気配が変わるのだから馬鹿でも分かろう。
差そうと思えばいつでも対局できる環境だったのにも関わらず、今まで傍観を決め込んできたのはその性格のせいだろう。
つまり、
(確実に勝てる算段が付くまで傍観していたのだろうな…全く、黒とは別の意味で難儀な神だ。)
『聞こえておるぞ。当然であろう、敗北は恥だ。いつでも次があるなどと思っていれば駄目になっていくぞ?』
静かな怒りを秘めた声色が頭に響き、慌てた刀一郎は動かす駒を間違えてしまった。
『な、なにをやっておるっ…くっ…まあいい。立て直しは可能だ。』
幸い、この一手が勝負を決めるほどの影響を及ぼすことは無く、ほっと胸を撫で下ろしながら刀一郎は盤に手を伸ばす。
盤面は進み、一進一退という駆け引きが続く中、遂に勝負はつき、
「負けた~。カミサマ強いね~。」
『娘、其方も大したものであった。誇るがよい。』
内心、負けたら自分のせいではないかと思っていた刀一郎は、安堵からほっとため息をついた。
その後、クライヴとアーロンも対局したが、白姫の全勝でこの日は幕を閉じたのだった。
▽▽
二日後、無事嵐を乗り切った皇海龍は快晴と風向きにも恵まれ、一路最後の寄港所へと漕ぎ出す。
その寄港所はロメル領アラマン諸島にあるイオリア島と呼ばれる場所にあるらしい。
ここまで来ればロメル本島は目と鼻の先であり、十日も海路を進めばたどり着けるとのこと。
そして都を出発して百七十六日目、辿り着いたその地は肌寒くはあるものの極寒と言う程ではない気候の地。
「おお、町があるではないか。凄いな、今までの港とはまるで違う規模だ。」
イオリア島が見えてくると、船員の何人かに倣い刀一郎も遠見の筒を覗き込む。
覗いた先にある港は、今までの様な取り敢えず作っただけというものではなく、しっかりと一つの町として機能しているようだ。
そうして眺めているとアレクシアも甲板にやってきて、同じように隣に立って眺め出す。
「イオリアはね、歴史ある場所、領主も王族の人。」
王族と言えば、アレクシアにとっては親戚にあたるはずだが、妙に他人行儀な響きがした。
しかし、以前白姫に釘を刺されたこともあり、刀一郎はそれ以上言及することも無く、近づいてくる街並みをただ眺めていた。
「石造りの建物ばかりだな…おっ、向こうの大きな建物が領主とやらの住む屋敷か?」
「うん。【バイロン・ビショップ】凄く偉い人だよ。」
語る表情からは別段何かを感じ取ることは出来なかったが、少しだけ淀んだ色の感情が見て取れた気がした。
『偉い人…か。良い人ではないのかもしれんな。』
そんな白姫のつぶやきを聞きながら、面倒なことが起きなければいいなと思う刀一郎だった。




