第七十一話 世はままならぬもの
刀一郎が遠征より戻って一週間、特に変わったことは無くもはや日課となった道場へと続く道を歩く。
一月初頭だというのに霜が降ることもない気候には相変わらず違和感を抱くが、過ごしやすい事には変わりない。
道場へ着くと、いつも通り挨拶を交わしながら奥へと進む。
そして次良もいつも通り一番奥で一人座り瞑想していた。
恐らく一人の時はなにがしかの修練を積んでいるのだろうが、この場でそのような姿は見たことが無い。
そう考えれば強すぎるというのも問題だ。
組み手一つしようにも訓練になる者さえいないのだから。
「おお、来たな。じゃあ、行くか。」
師範代藤森に一言声を掛け、離れの建物へと向かう。
刀一郎はいつもこの時思うのだが、自分が特別扱いを受けている事実に対し何故誰も何も言わないのだろうと。
一人くらい嫉妬の炎を燃やし突っかかって来てもいいものだが、今の所それすらない。
歩きながら見渡せば、門下生それぞれがまるで自分の事しか見えていないように修練に励んでいるのだ。
(傑物が生まれる訳だな。いつかはここにいる者達からも…)
この光景は恐らく惣万流だけのものではないはずだ。
そしてその事実こそが、皇国という国の強さの土台になっているのだろう。
毎度のことながら、その向上心には関心と同時に寒気すら覚える刀一郎だった。
▽
離れで次良が叩き込むのは依然と同じく無手の型。
初手合わせから一月ほどが経過したが、今だ次良の姿を捉えられたことは無い。
それでも上達はしているようで、
「今日は【枝垂桜】って型を教える。」
そう語りかけられた刀一郎の表情には多少の困惑が見える。
触れることさえままならない現状で先に進んでもいいのかという意思表示だろう。
「いいんだよ。大体そんなん待ってたらいつになるんだっての。」
威勢のいい言葉を返したい刀一郎だったが、確かにこの男を捉える想像が出来ず、渋い表情を浮かべ飲み込む。
「お前の場合、遠方からの殺気とかには敏感みたいだからな。後は近接の捌きさえ出来れば、取り敢えずは生き残れるだろ。」
そう語った次良は、取り敢えず掛かってこいと言わんばかりに手招きをした。
ちなみに、一度だけ身を隠した次良から殺気をぶつけられたことがあり、その時の反応だけは偉く褒められたのだ。
「では、参るっ!!」
刀一郎はゆらりとした動きで距離を詰め、白鬼を抜き放つと見せかけて掌底。
そして次良はいつも通りその力を利用し重心を崩そうとしてくる。
だが、流石に何百と同じことを繰り返されれば刀一郎も学習し、力の流れを読み取り、逆らうことなく己の重心を保とうとするが、
「…ぐぅっ!!?」
その瞬間、体全体を大地に引き摺り込む様な恐ろしい重圧が圧し掛かり、刀一郎は耐えきれずに膝を着いた。
一体何が起こったのかと見やれば、腕を絡め取り固定した次良が全身を瞬間的に脱力し、その重さを腕の関節部分に一点集中させたようだ。
「正解だ。無理に逆らって体勢を保とうとすると腕が折れる。良い判断だったぞ。」
次良は一旦距離を取ると、技の説明へと入る。
「枝垂桜は様々な技に派生する。つまりは相手の重心がどこにあるかでこちらの対処も決まるという型だ。惣万流無手の基本の一つ、覚えとけ。」
詳しく聞けば、相手が後方に重心を傾ければそのまま足をすくい後頭部を地面に叩きつける。
逆ならば前方に体勢を崩し背後を取る。
そして先ほどの刀一郎の様に重心が乱れなかった場合、関節を決め、流れに逆らえば腕をへし折り、逆らわなくてもそのまま自由を奪い仕留めるという型らしい。
技ではなく型と呼ぶのはそれが起点となる一つの形であるからのようだ。
普通体格差がある相手が力を込めれば上手くはいかないはずなのだが、次良のそれは恐ろしく速い。
それこそ瞬きも許されないほどに。
どんなに筋力があろうとも、力を込めていない部分を責められればどうにもならないのだ。
そしてそれを形にしているのが次良と言う男である。
「一つ疑問に思っていることがあるのですが、師匠は何故槍を使わないのですか?」
いつの間にか師匠と呼ぶようになっていることはさておき、これは当然の疑問であろう。
この男は飽くまで槍使いとして最強と言われているのだから。
「…ああ、拗ねるんだとよ。」
言っていることの意味が分からず、刀一郎は眉間に皺をよせ再度問うた。
「天雷だよ。あれがな、勝手に自分の使い手を俺に決めてよ、他の槍使うと拗ねるらしいんだ。その癖たまにしか話もしやがらねえ。」
正直、刀一郎が思っているよりも遥かにくだらない理由だった。
とは言え、以前天雷を見た時、その内包する力は白鬼をはるかに超えるものだと感じた。
そんなとてつもない槍をこの男が振るう。
その光景を想像すると、一人で国さえ落とせるのではないかと寒気が走った。
「…振るったことはあるのですか?」
数えきれないほどやられているせいか、口調も敬語になっている。
次良は思い出す様に考え込んだ後、口を開いた。
「二回だけだな。最近だと海の向こうからの一回目の時だ。軍の準備までの時間稼ぎのつもりだったがそれだけで終わった。」
語る表情は、自らの武勇を誇っているようにはとても思えない渋顔だ。
「あのな、海の向こうにいるでかい船が振るうたびに雷に打たれて沈むんだぞ。あれのどこが『槍術』なんだよ。馬鹿にしてんのか。ありゃ武への冒涜だ。」
何でも、天雷をかざすと黒雲が空を覆い、振るうたびに雷が落ちたという。
そんな目に遭ったのにも関わらずガラリアが次々と軍を送ってきた理由は、只の嵐に巻き込まれたと思っていたことが原因らしい。
まあ、嵐を人為的に起こしているなどまともな頭を持っているなら思うまい。
これほどの強者であっても世の中ままならぬものなのかと、刀一郎は一人世の難しさを憂いた。




