第六十四話 武を極めし者
「刀一郎さん、道場通うの?」
今日も今日とて、刀一郎は隣の竹本家で朝食をご馳走になっている。
断ろうとは思っている様だが、その空気を察するたび胡蝶が悲しそうな顔をするのでそのままずるずると引き摺られてしまうのだろう。
もしかしたらそれは演技かもしれないと分かっているのにもかかわらずだ。
「へぇ、惣万流か~。私は小瀬川流なんだ。まあ、庶民は殆どそうなんだけどね。」
聞けば、流派それぞれに色があり、それを修めている者達も毛色が違うのだという。
数多く流派はあるが、その中でも大きく分ければ三大名門と呼ばれるものがあるらしい。
その一つ惣万流は、相手を制することを旨としており、治安を守る者達がよく通っている様だ。
そして九条流、こちらは例え得物を失おうとも敵を殺傷することを旨とする様で、軍属に好まれている。
最後に小瀬川流であるが、この流派が門下生という意味では一番多いとのこと。
基本を貴ぶ流派であり、教える型や技、それら全てが人を選ばず使える為、庶民は迷ったら取り敢えず小瀬川流となるらしい。
「おお、忘れておった。胡蝶に土産を買ってきたのだ。」
そういえばと、刀一郎は懐から先日買った笄なる装飾品を取り出す。
褐色色で半透明のそれは、人の目を引きつける美しさを感じた。
「うわぁ、鼈甲の笄だ!結構高かったでしょ?」
値段を告げるのは野暮だと思い、刀一郎はそれほどでもないと返す。
胡蝶は渡された笄を嬉しそうに眺めた後、早速結った髪へと差し込んだ。
そして似合うかと告げるように、笑みを浮かべながら舞う。
「刀一郎さん、こんな高いものを胡蝶にあげて良いのかい?」
横で見ていた伊兵衛は軽い笑みを浮かべながら刀一郎に語る。
その意味合いとしては、他に送る相手はいないのかと聞いているのだろう。
当然そんな相手などいない刀一郎のこと、問題ないと伝えると両親揃って丁寧に礼を返されるのだった。
▽
朝食を終えた後、刀一郎は道場へと足を向ける。
服は店で買った袴に着替えており、その面持ちは多少の緊張が見て取れるようだ。
道場へは自宅から歩いてもそれほどの距離は無い為、通い続けるという面でもいい立地だろう。
「頼もうっ!」
必要ないかとも思ったが、刀一郎は一応門の前で声を掛けた。
すると、少し笑みを浮かべた門下生がどうぞどうぞと中へ案内してくれる。
奥へ進むと次良が初めて会った黒装束姿で出迎えた。
「ああ、来たか。じゃあ、こっちだ。付いて来い。」
道場は師範代なる者に任せるらしく、一言二言交わし歩き出した。
どこへ行くのかと思いつつも、刀一郎もその後に続いていく。
そして辿り着いたのは道場脇にある小さな一室。
「お前はその剣からは離れられねえし、離れようとする必要もねえ。」
その言葉はまるで刀一郎の胸の内を覗き込んだように正確だった。
白鬼に頼ることなく強くなりたい。
そんなことを思ってしまっていたのだ。
「だから、槍術の基本は教えるが、体得してもらうのは無手の型、そして受けの技術だ。・・・構えろ。」
次良はそう告げると、あっという間に懐に潜り込んでおり、刀一郎の体は宙を舞っている。
「お前は言葉で教えても理解できる感じじゃねえからな。こうやって体に覚えさせていく。」
そして、何度も何度も投げ飛ばされ当て身を受けるうちに、刀一郎は少しずつその感覚を掴んでいく。
気付けば上手く受け身を取り、背中から落ちることは少なくなっていた。
自分の上達を感じてきたか、その顔には笑みすら浮かんでいる。
「白鬼を抜いてもいいぞ…いや、抜け。」
次良が語るその言葉には有無を言わせぬ迫力があった。
流される様に抜き放ち構えるも、間合いは既に次良のもの。
柄を持つ手を握られたと思いきや、次の瞬間には景色が歪んだ。
「はぁ…素直なのは良いが、敵の言葉に一々反応するな。」
刀一郎は立とうと藻掻くが、世界がぐるぐると回り立ち上がることが出来ない。
そうしている最中にも次良の講釈は続く。
「体に無駄な力が入りすぎだ。それだと簡単に転がせる。」
何とか立ちあがった刀一郎はまだ負けていないと白鬼を中段に構える。
「熱くなるのは馬鹿のすることだ。命のやり取りに起承転結はいらねえ。淀みなく動け。」
一体いつの間にそうなったのかもわからぬまま、白鬼が手から零れ落ちていた。
次良の動きは、まさに宙を漂う綿毛そのもの。
手を伸ばせば陽炎の様に躱され、届く距離にいながら、掴もうとすればひらひらゆらゆらと漂い続ける。
そして、その姿を一瞬でも視界から外せばまたも世界が反転した。
結局この日、刀一郎はその身に触れることさえ出来ず、修行を終えることとなる。
「良い感じだ。やはり才はあるようだな。俺がいる時は次も同じことをやる。また来い。」
横になり大きく呼吸を繰り返す刀一郎をよそに、次良は飄々とした顔で語ると道場へと戻っていった。
その後ろ姿を眺めながら湧き上がる感情は、何故か喜びが勝っていた。




