第六十三話 井の中の蛙
「陛下に名をもらう…とは?」
刀一郎は語られた言葉の真意が分からず問い掛ける。
「うん?そのままの意味だよ。陛下に面通しして姓を授けてもらおうってんだ。」
再度はっきりと告げられても、刀一郎にはその真意が分からなかった。
う~んと唸りながら考え込んでいる姿を見て、次良はめんどくさそうに続ける。
「いやな、陛下がよ、お前に会いたがってるんだと。だからついでに苗字もらってこい。」
「しかし…だな。一応客将扱いなのだろう?それはまずいのでは…」
「え?お前本当に自分の事客将だとか思ってんの?」
語る次良の表情は心底呆れたものだった。
刀一郎の扱いを考えれば確かにおかしなことだらけだが、貝塚からそう言われたこともありすんなり受け入れていたのだ。
だが、どうやらこの反応を見る限りそうとも言えないらしい。
「まあ、お前を呼んだってのは確かに俺なんだがよ、頼まれたってのが本当の所なんだよ。」
「頼まれた?いったい誰に…」
「それは内緒だ。色々あんだよ。色々な。」
次良はこうして話していてもどうにも要領の得ない言葉に終始する。
だが、問い詰めたところで話すこともないだろうと、刀一郎は早々に諦めた。
自分を呼んだのが誰であるのか知りたいとは思ったが、今すぐ知らなければならない事とも思えなかったからだ。
「それで、陛下とは天津乃宮様の事でよろしいか?」
「ああ、お前が良いってんなら、俺から貝塚に話し通しとくぞ。」
次良はそう語った後、話は終わりだと言わんばかりに腰を上げる。
そして機を見計らったように一人の男が刀一郎に声を掛けた。
「父上、話は終わりましたか?なら、刀一郎殿とお手合わせを願いたいのですが。」
「ん?ああ、どうする?そういえば紹介してなかったな。息子の聡一だ。」
刀一郎は軽く会釈をしながら、声を掛けてきた聡一なる男を見やる。
その姿は次良をそのまま若くしたような出で立ちに、足元まで隠れた袴姿。
印象としては、緩い父とは違いかなり生真面目な感じを受ける。
「申し訳ありません。まだ名乗っていませんでした。惣万聡一と申します。刀一郎殿は父からも相当な手練れと聞き及んでおり、興味を持っておりました。」
「悪いな、こいつ固いだろ?これでも一応皇宮前奉行所の長やってんだぜ?今日は非番なんだってよ。」
「何と、それは凄い。」
その役職がどれほどのものなのか刀一郎にはよく分からなかったが、適当に相槌を打ったようだ。
こういう所、結構適当な男である。
そしてお互いの自己紹介が終わった後、二人はお互いの得物を持ち向き合った。
勿論、得物とは木剣と槍を模した木の棒である。
「よし、じゃあ、始めろ。」
そんな簡単な号令と共に試合は開始される。
二人を眺める次良の目は、先ほどの飄々とした男のそれではなく、間違いなく武人の目だった。
聡一の構えは至と通じる所があり、体中から余計な力を抜いたような柔らかさを感じる左構え。
一方刀一郎は、いつも通り刀身が体の中心に重なるような正眼の構え。
「ふっ!!」
早速斬り込んでいったのは刀一郎。
惣万流は後の先を取るのが上手い。
それが何度も至と手を合わせた刀一郎の印象だった。
だが、さばききれない速度での連撃を浴びせれば崩せてきた経験がある。
少なくとも至はそうだった。
流れるような体の使い方で凌ぐ聡一と、反撃を許さない勢いの刀一郎。
門下生たちも食い入り見守る中、二人の攻防が激しさを増していく。
「ふんっ!!…はぁっ!!」
カンッカンッという木がぶつかる乾いた音だけが響く中、刀一郎は劣勢を感じていた。
至にも通用した自分の猛攻が、いつまで経っても聡一を崩せる気配さえ見えてこないのだ。
その表情を見るに、余裕があるわけではないはずなのに、それでもだ。
このままではいつか差し込まれてしまうのではないか。
そんな迷いが隙を生んだか、斬り上げた瞬間を皮一枚見切られ足元をすくわれる。
そして体勢を整える時間を与えてはもらえず、そのまま得物を首筋にピタリと突き付けられた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、一本ですね。」
「う、うむ。俺の負けだな。見事な手前であった。」
刀一郎は自分がいかに井の中の蛙であったのかを悟った。
同時に自分が戦ってこれたのは、単に白鬼が凄かっただけではないのかと思ってしまう。
「お前はまるで獣だな。まあ、だからこそ伸びしろがあるともいえるが。」
刀一郎の感情が沈んでいくのを見計らってか、次良が貶しているのか褒めているのかどっちとも取れる言葉を投げかける。
だが、伸びしろがあると聞いては黙ってはいられぬ刀一郎。
次良に向き直ると、勢いよく告げた。
「次良殿、俺を弟子にしてくれっ!」
告げられた次良は視線を彷徨わせ何かを考えている。
そして溜息をついてから答えた。
「表の看板見たのか?ここは槍術の道場だぞ?」
「それでも構わぬ!俺はもっと強くなりたいのだ!」
「…分かった分かった。一月百蒼だぞ。」
意外に安いなと思いながら刀一郎は頷いた。
「後、お前無職だろ?軍の手伝いの仕事、時々持って来てやるよ。修行にもなるしな。」
何となく都合よく使われている気もしないではない刀一郎だったが、確かに生業は持たねばならないと思いそれにも同意した。
道場に通うのは後日と相成り、取り敢えずその日は帰路に着いた。
その途中、何となく川を眺めたくなり、渡しの船が行き交う川辺に座る。
「どうした兄ちゃん?何か飛込でもしそうな顔してるぞ。」
声を掛けてきたのは虫網を持った変な老人だった。
「まあ、人生色々ある。めげずに生きろや。若えんだからよ。」
その老人は一言そう語った後、笑いながら去っていく。
基本的には単純な刀一郎は、それもそうかと思い、ころっと気分を変え家路へと急いだのだった。




