第二十九話 別れの準備
あくる日、阿斗里の姿は一軒の店舗にあった。
その店先の看板を見れば【天元堂】と書かれている。
現在の村の識字率は増加の一途をたどっており、読める者もかなり増えてきた。
学び舎もすべての区にあるもの合計で十か所設置され、老若男女問うことなく受け入れている。
その全ての費用は村が負担する形で。
「天元さん、弱った人間が元気になれる薬草などないですかね?」
「元気になれると言われましても・・。」
いつもは理路整然と言葉を告げる阿斗里が、らしくもない曖昧なことを言う。
天元は言わんとしていることが理解できず、只々困惑していた。
「薬は個人の症状に合わせて煎じるものなので、詳しい話を聞いても宜しいですか?」
阿斗里は、その言葉で初めて自らの勇み足に気付いた。
コホンと軽く咳払いをした後、訪ねてきた理由を述べる。
「なるほど、伽耶さんが…しかしそれは……」
天元は察してしまった。
それは天寿を全うしようとしているのだろうと。
だが、祈るような表情で自らを見る阿斗里にそれを伝えることは出来ず、取り敢えずと煎じた。
そして阿斗里は、本来ならばこのような時間を取ることも出来ない程忙しい身の上、受け取り代金を支払うと足早に駆けていく。
その後ろ姿を眺め、これから青年が迎えるであろう別れの時を思い、天元は一人心を痛めるのだった。
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その夜、作業も一段落付いた頃、
「伽耶、最近疲れが顔に出てるよ?これ天元さんに煎じてもらったから飲んでよ。」
そう言われた伽耶は、すっと弥奈に視線を向けた。
視線を向けられた弥奈はびくっと体を震わせた後、素知らぬ顔で役場の片付けをしている。
「誰から何を言われたのかは存じませんが、この通り元気であります。」
「まあまあそう言わないでさ、せっかくもらってきたんだから。結構高かったんだよ?」
もらってくれないなら捨てると、まるで子供の様な事を言う我が子に折れ、伽耶はそれを衣嚢へとしまうのだった。
阿斗里は聡明な男である。
本当は分かっていた。
分かっていたのだ。
これはどうしようもない事で、誰にでも訪れることで、それが自分にもやってきただけのことだと。
だが、実際にその時が来ると、どんなに頭が理解しても、心がそれを飲み込んではくれない。
だからこそ、無駄だと知りつつもこんなことをしてしまう。
長になった時、強くなると誓ったはずの自分の弱さに、阿斗里は向き合うことが出来なかった。
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「全く、まだまだ子供だね……全く。」
伽耶は帰り着くと独り言ちる。
辛いであろう感情を隠して微笑を向けてくる我が子を思いながら。
そして考えた。
自分亡き後、あの子を支える者がいるかと。
「愚問でしたね。もうあの子には支えてくれる者達がいる。それこそ私など及びもつかないほどに。」
瞳を閉じた伽耶の瞼には、我が子を慕って集まった沢山の仲間が映っていた。
▽▽▽▽
それから十日ほど経ったある日、
「…阿斗里、私があなたを手伝えるのは今日までです。」
それは突然の言葉だった。
阿斗里は言葉の意味を飲み込めず、問い質す。
「…時々、どうしても気が抜けてしまうのです。これ以上は迷惑になるだけでしょう。」
それは、阿斗里も弥奈も気付いていた。
時折声を掛けても反応しない時があり、終始体を重そうにしている。
阿斗里は下唇を噛んだ。
「うん。分かったよ。明日からゆっくり休んで。」
▽▽
翌日から、弥奈を世話役につけ、阿斗里は変わらず自らの仕事に専念していた。
最初は渋っていた伽耶も、弥奈の涙ながらの訴えには折れるよりなかったのだ。
そうして寝込んでいても、決して静かというわけではなく、
「伽耶の婆さん、何だい俺より早く逝っちまう気かよ?」
偶に鉄志がやってきて、そんな憎まれ口を叩いた。
「伽耶殿、聞いていたよりお元気そうで何より。」
都留岐もやってきて、思い出話に花を咲かせたりもした。
天元も三日に一度は加減を見に訪れて、話を咲かせていた。
彼ら以外にも、同じ集落からやってきた者や、こちらにやってきてから縁が出来た者等がひっきりなしに訪ねてくる。
「全く、ゆっくり休む暇もないですね。」
そう語る伽耶の表情は緩んでいた。
それを眺める弥奈も嬉しそうだった。
▽▽▽▽
数日後、刀一郎も伽耶の自宅を訪れることにした。
それほど接することは多くなかったにせよ、存在の大きさは肌で感じることが出来る。
だからこそ、今会っておかなくてはならないと感じたのだ。
「し、失礼する。伽耶殿、お加減は如何か?」
「刀一郎殿ですか。見ての通りピンピンしていますよ。」
布団から上体を持ち上げたその姿は、知っている頃より明らかに痩せこけていた。
死期を悟らせるには充分なほどに。
だが、表情は刀一郎が知っている伽耶より幾分か柔らかい気もした。
「刀一郎殿、あの子は貴方を頼りにしております。どうか…」
何を語るべきかと会話の糸口を探っていると、伽耶はそう言って深々と頭を下げた。
一方刀一郎はいきなりそんなことをされたものであるから、どうしていいか分からない。
「あ、頭をお上げくだされ。わ、私に出来ることであれば全身全霊、力になる所存であります。」
戸惑いから変な口調になってしまい、伽耶と弥奈の明るい声が響いた。
その顔からは以前の気難しい老婆の姿は消えていた。
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吐く息が白くなり、冬の到来を告げる。
チラチラと雪が舞い散るとても寒い日だった。
そんな一日が始まろうという早朝、この村を成り立ちから支え続けた一人の女が、天寿を全うし帰らぬ人となった。




