第二十七話 伽耶の宝物1
これはまだ伊邪那村の原型が出来るずっと前のお話。
その集落は住民百人程度の小さな集まりだった。
海も近い為、漁に出る者と畑を耕す者がそれぞれの収穫物を分け合って過ごす、そんな生活。
毎日が平和であり、人によっては退屈とも感じていただろう。
そんな集落に、ある日突然大きな事件が起こる。
事の始まりは、漁に出ていた男が抱き抱えてきた子供。
それだけならどこかの村か集落で流されたのだろうということになったのだが、問題はその容姿だった。
「何だこの子供は…鬼の子でねえが?」
「不吉だな。何が悪いごど起ごらねばいいどもな。」
実りし麦の髪色に、海を映したような瞳の色。
そして身に付けている衣服も、見たことのないほど見事な装飾がなされている。
詳しい話を聞けば、子供はそのまま打ち上げられていたわけではない様だ。
大人数人が乗れるかという小さな船に、布でくるまれた何かがあり、その布をめくると幼子がいたとのこと。
幼子の周りには食料の残骸や水が入っていたであろう器もあり、それなりの時間海を漂っていたことが伺える。
男の抱える子供のあまりに違いすぎるその容姿に、集落の皆が恐れおののいた。
しかし、そんな男たちを一瞥して歩み寄る女が一人。
「角などありませんよ?ただの子供です。臆病者達に任せてはおけませんね。取り敢えず私が面倒を見ましょう。」
そう声を上げたのは、この集落の中でも取り分け気難しいと評判の女、伽耶だ。
その様な女でも人並みに思いを寄せる男がおり、かつては所帯を持ったことがある。
だが、その連れ合いも不治の病にかかり、早くに別離することとなった。
「あらあら、随分と痩せこけていますね。まずは水を持ってきなさい……貴方に言っているのです、早くなさい。」
その鋭い視線に怯んだ観衆の一人は慌てたように駆け出す。
伽耶は走り去る背を一瞥すると、幼子の体を調べた。
水状便の症状がないか、吐いた形跡はないかを調べたのである。
そして持ってきた水を軽く礼を告げ取り上げると、口に含んだ。
伽耶はその幼子を見た時に分かっていたのだ。
最早自らの力では飲み込むことも出来ないだろうと。
その経験上、下痢や嘔吐をしている者に只の水を無理やり飲ませると駄目だということも知っていた。
ゆっくりと少量ずつ流し込むと、こくりと幼子の喉が鳴る。
「取り敢えず家で休ませます……まさか、この様な幼子に怯える男などここにはいないでしょうね?」
観衆をねめつけると、伽耶はそう語り自宅へと足を向けた。
ただでさえ目立つ子を慮って服も周りと同じものに着替えさせると、数刻後、子供は目を覚まし何かを伽耶に訴えかけてくる。
しかし、己には全く解することが出来ない。
その事実に絶望したような顔をして、わんわんと泣き出す子供に伽耶は手を焼いた。
▽▽
子供は大変聡明であった。
最初は分からぬ何かを発するだけだったが、季節が一回りする頃には意思の疎通に何の障害もなくなっていた。
いつまでも名がないのでは不便だと、【阿斗里】と名付けた。
この地方では、落ち着きのない子供を鳥にちなんでよくそう呼ぶのだ。
取り敢えずにつけた名だったが、本人がいたく気に入ったため正式な名として定着した。
「伽耶、あれは何?」
「あれは羽虫だね。」
「じゃあ、あれは何?」
「あれも羽虫だね。」
「全部羽虫じゃつまんないよ。名前つけようよ。」
子供とは好奇心の強いものであるが、阿斗里はそれに輪をかけてわんぱくな子供だった。
それまでは適当な名称に終始していたものに、どんどん命名するのが特に好きだった。
そしてある時、何かに気付いた様だ。
「伽耶、これは何ていうの?」
そう問い掛ける阿斗里の手には丸型の輝く何か。
最初から阿斗里が持っていたものである。
問われた所で、伽耶にはそれが何なのか分からなかった。
眉をひそめ、応えてあげたいが応えてやれないもどかしさに襲われる。
「これが無いと皆困るよっ。これが無いとっ。」
伽耶には、何かを懇願するような阿斗里の頭をそっと撫で、宥めることしかできなかった。
▽▽▽▽
それから一度季節が廻ったある日、阿斗里の運命を変える出会いがあった。
浜に一隻の小舟が来航し、そこから男がやってきたのだ。
皺が目立ち始めた年の頃である男は、自らを鉄志と名乗った。
「弥奈!会いに行こうよ!きっと面白いから!」
好奇心が人一倍強い阿斗里は、仲の良い弥奈を連れさっそく会いに行くことにした。
「叔父さん、どこから来たの?…都?それどこにあるの?どうやって行ける?これある?」
「うるせえガキだな。ほぉ…異人か。都は遠いからお前じゃ無理だ。なんだそりゃ?見ねえ金子だな。材質は…金かよっ。」
「キンス?…金子?これあるの!?」
「阿斗里君っ、叔父ちゃん怒ってるからもう止めよ?ね?」
しかし、一度火が付いた阿斗里は弥奈の静止など何のその、お構いなく畳みかける。
「都に行けばこれ使える?色んなものと交換できる?これ以外にもある?」
「だからそんな貨幣はねえっつんてんだろっ。」
「貨幣?金子とは違う?」
「同じだよっ。ああ~~っ、面倒なガキに絡まれやがったぞこりゃ…」
自宅に帰った阿斗里は興奮冷めやらず伽耶に告げる。
「伽耶!やっぱりあるって、これ!金子!貨幣!これあげる!一杯交換できるよ!」
「そ、そうかい?よく分からないけど、有難くもらっておくよ。」
伽耶は理解してはいなかったが、阿斗里の喜びようを見ているだけで幸せな気持ちになった。
そこから何だかんだと鉄志を仲間に引き込み、貨幣を作り流通することを目指したのだ。
鉄志の知識や鉱物の加工法、そしてそれを為す器具、それらはこの辺り一帯の常識を塗り替えるものであった。
最初は死んだ様な目をしていた鉄志だが、阿斗里の熱に当てられたか、次第に光を取り戻していく。
「鉄志!農具作って!後、斧とかも!」
「さんを付けろやクソガキ!ああ、分かったよ。作ってやる。材料かき集めてこい!」
そして作った農具をもって辺りの集落や村を練り歩き、一度使わせてみると誰もがこぞってそれを欲しがった。
その道中、村の荒くれ者として煙たがられていた都留岐と出会い、何度も話すうちにその壮大さに完全に参ってしまい、阿斗里と共に歩むこととなったのである。
阿斗里、伽耶、鉄志、都留岐という何とも奇妙な面子で荷車を引いての旅路だった。
「これ以外の物じゃ交換しないよ。貨幣って言うんだよ。」
そう言って回ると、最初はその容姿から訝し気にするものの、手にした道具の素晴らしさの前には言葉を失い、噂を聞き付けた集落や村から様々なものを持って阿斗里のもとへやってきた。
それらを貨幣もどきと交換し、その者たちは真っ直ぐ鉄志のもとへ行くのだ。
集落の皆は、また何かおかしなことを阿斗里が始めたくらいにしか思わなかったが、性能が評判を呼び驚くほど目まぐるしく世界が変わっていった。
一度便利な物を手にした人間は、中々元の生活には戻れないのである。
気付いた時には、その流れはもう誰にも止められないほど大きな渦になっていた。
阿斗里を中心として。
「伽耶!見て見て、今日は三十人も来たよ!」
「そうかい。良かったね。」
伽耶は阿斗里が新しい事を始める時、一度も反対したことは無かった。
この子供が自分には見ることの出来ない、何か大きなものを見ていることを感じ取っていたからだ。
時には人に迷惑をかけることもあり、阿斗里の知らない所で頭を下げに行ったりもした。
人に頭を下げることが嫌いな性格であったが、可愛い息子の為と思えば苦ではない。
誰が何と言おうとも、伽耶は間違いなく母であった。




