幕引
それから、しばらく経って――。
地球は少なくとも一度太陽の周囲を公転した。その間、その表面では実に沢山のことが起きたが、今回の物語の顛末に関わりない部分については割愛させていただこう。
全ての物語にとって必要なように、この物語にも幕引きが必要である。
そしてそれを担う一人の少女、いつかあの巨大なフェスティバルで最も勇敢な行動を実現した少女の話をしよう。
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CJはすっかり学校の人気者になっていた。
「ねえねえ、あそこで手挙げたの、恐くなかった?」
「ブログ、次はいつ更新するの?」
「デートしようよ、美味しいアイスを知ってるんだ」
そんな風にひっきりになしにクラスにやってきては声を掛ける者が後を絶たなかったので、そのうちにビリーがCJへの接触を制限するようになった。
「ねえ、この子は私の親友で、貴方たちのつまんない暇つぶしじゃないわけ。わかる?」
こうなると集まっていた連中も面白くなさそうに散っていく。CJはビリーに何度も礼を言ったが、その必要はないとビリーは言った。
「だって私たち、友達だしさ」
よく晴れた日だった。もう秋が近づいてきている。
あのフェスから随分時間が経って、まるで全部嘘だったみたいに、何もかも消えてなくなった。
コールド・リップスは偽者だったということが明らかになった。
本物を名乗る三人組が登場して、今でもメディアを騒がせている。
でも彼らの歌も踊りも、CJが知っているあの「コールド・リップス」にはまるで及ばなかった。
そして、あのフェス以降、あの三人はすっかり姿を消してしまって、誰一人その行方がつかめていないという事だった。
(もしかして全部夢だったのかも)
そう、CJは何度も思った。事実、全て台本どおりに進んだことだったと主張するコメンテーターも多かった。結局、全部ショーだったのかもしれない、と。
そんなことをCJは考えていたところ、ビリーからたしなめられた。
「ちょっと、そんな暗い顔してちゃだめだよ」
「ああ、うん、ごめんごめん」
「せっかく良いニュースがあったのに、何をそんなに暗い顔してるの」
(良いニュース? 何か良いことがあったのかな?)
CJは「コールド・リップス」について考えていたといった。
すると、ビリーが血相を変えて、CJの腕を掴んで引っ張り始めた。
「ちょ、ちょっと!」
ビリーはクラスをいくつも横切った後、カフェスペースにおいてあるマガジンラックから薄いタブロイド誌を取り上げた。
「あのね、せめてファンならもっとちゃんと情報を追いかけなさいよ」
それを押し付けられて、CJは面食らいながら、受け取った。
そして、表紙を見て、心臓が止まりそうなくらい驚いた。
そこには、髪を下ろして微笑んでいるローズの姿があったのだ。
CJはどうしてだか、こみ上げる涙を抑えきれなかった。うめき声が喉の奥から溢れて来る。
「ちょ、ちょっと、そんな騒がないでよ!」
せっかく人だかりを巻いたところだったのに、また二人は注目を浴び始めた。
「こっち見ないで! CJ、どうしたのよ?」
だがビリーは理解している。この内気な親友が、ここまでひとつのことに熱を上げることなどなかったから、それが突然消えてしまったときの寂しさといえば、途方もないものだったろう、と。
CJは慟哭に近い涙を流し続ける。悲しさや嬉しさを通り越した、春に降る温かい柔らかい雨のように、その涙は彼女の頬を濡らした。
どうしてだか、CJは、ローズが死んでしまったのだと思っていたのだ。
だから、ずっと考えないようにしてきた。
あのローズとの出来事すら、辛い記憶になってしまうのが恐かった。
そうして固く閉ざした彼女の最も大事なドアを、ローズの穏やかな表情がこじ開けた。
では諸君!
彼女たちが一向に開かない、その紙面を我々がかわりに覗き込んで、それをこの物語のラストとかえよう。
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【特報:スクープ!あの伝説のユニット「コールド・リップス」の接触に成功!】
今回、本誌はどんな他社が持ち得ない最高のスクープを手にした!
掲題から期待に満ち満ちている読者には、その期待を一切裏切らない記事となっていることを固く約束しよう。
最早、音楽ファンのみならず全世界のエンターテインメントファンに知らぬもののない、恐るべき影響力を持って消えた三人組の少女――「コールド・リップス」。
フェスティバル出演の配信中に配信者が何度も切り替わる、ステージに何者かがいたずらを仕掛けた、ステージに軍が攻撃を仕掛けた、正体不明の生物を倒したなど、どこからどこまで本当なのか全く分からない噂ばかりが彼女たちの不在中に盛んに話題となった。
しかしその勘繰りも一旦、本日で終わりということになるだろう。
接触に成功したのは、我々の誇る有能なスタッフ、ネリー・シンプソンだ。
ネリーはある取材のために国外を訪れていたのだが、そこで「コールド・リップス」に酷似した三人組と、そのマネージャーおよびプロデューサーと思われる男女を見つけ、接触した。
ネリーは彼女たちがコールド・リップスであることを確認し、粘り強く交渉を続けて本誌への一問一答の掲載許可、及び彼女たちの近影の撮影に成功した!
この偉大なる仕事に感謝し、我々もまた歴史の目撃者として、この記事の情報をじっくりと堪能することとしよう。
(以下、記者ネリー・シンプソン記)
――インタビューに答えてくれて、ありがとう。早速ですが、現在は、音楽活動をされていますか?
ローズ:ええ、今でも三人で精力的にレコーディングを行っているわ。ただ、名義の問題でステージに戻るのはもう少し先になるわね。
――それは、例の「本物のコールド・リップス」騒動のせいで?
ローズ:そうね、正直に白状しなければならないけど、彼女たちの言っていることは本当よ。無名の私たちがステージに上がるときに、彼女たちの名前を騙ったのは事実なの。
――なんと。ではどこからが貴方がたの功績なのでしょうか?
ローズ:それは正直、ご想像にお任せしたいわ。映像やファンがようく知っていることで、私たちは結局、ファンのみんなが支えることでしか立てない、そういうアイコンなのだからね。
――なるほど。それでは、今後は名義を変えて活動されるのでしょうか?
ローズ:そうね――
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ローズはこの質問にしばらく間を取った。
ネリーは、まずい質問をぶつけたら一環の終わりだと、緊張の胃痛をこらえながら自分に言い聞かせていた。
だから、ローズの次の返答のせいで、一瞬だが恐ろしい絶望感に襲われた。
「ちょっとここから先、貴方には分からない箇所は記事化しないで頂戴」
ネリーは一瞬固まり、しかしそれが「上手くオフレコにしろ」という信頼に満ちたものであったので、なんとか気を持ち直した。
そもそもここは、あるホテルが開催していたステーキ料理のイベントで、そもそも彼女の仕事とは縁もゆかりもない場である。
そこへ、自分が食べていた「豊後牛」というちょっと珍しい日本の品種の肉にローズが興味を示したのが事の発端だ。
「貴方は後悔をしたことがある?」
突然、切り返すようなローズの問いかけに、ネリーは言葉を詰まらせた。
後悔?
毎日しているような気もするし、全くしてこなかったかもしれない。
「正直に言って、よく分かりません」
「正直で良いわ」
ローズは少し機嫌を良くして、大きな豊後牛の塊を口に含んだ。大きな一口だった。租借は早く、嚥下もすぐだった。
「私はね、思ったよりも多くの後悔を抱えて生きているの。なぜあんなことをしたのか、なぜあれがあのとき出来なかったのか――そんな後悔を山ほど抱えて生きてきたわ」
ネリーはその言葉を必死でメモに取った。今時古臭い、紙とペンだった。ローズはそれを見て、少しだけ微笑んだ。
「でもね、こうも思うの――そうして誤って来たからこそ、今がある。こんな素敵な今がね。ひどいことは本当に山ほどあったし、そのたびに自分を悔いたわ――でもその度に、『あの誤りがあったからこそこんな最高の今がある』と、胸を張っていえるように走り続けたわ」
ネリーは言葉の意味が良くわからなかったが、少しずつ、それがローズのパーソナルな振り返りになってきていることに気付いた。
「そう、だからこそ私はそうして誤りや絶望やどうしようもない瞬間を愛するわ――だから私たちのことを、GITS(能無し)と呼んで頂戴」
向こうから、皿に大盛りの肉を乗せたシャムロックと、ほどほどに乗せた四十二番と、ほんの少し乗せたサクラが歩いてきた。楽しそうに何かを話している。
ローズは少しだけ思案して、そして「ふっ」と笑った。
「そう、私たちはGITS(能無し)だわ。でもね、私たちはいつだって、最高に楽しんできた。だから、私たちを正式に呼ぶ時にはこういって頂戴」
ローズがまた肉をフォークに取った。
ローズはたっぷりと間を取って、ネリーはごくりと唾を飲んだ。
そして、こう告げる。
「最高に楽しむ役立たず――Girls In The Showtime――ってね」
<第一幕 完>
どうもありがとうございました。