EP 2
悪徳弁護士との契約――地獄へ行く覚悟と、神を欺くリーガル・ハック
ポポロ村は、深い夜の静寂に包まれていた。
村の中心部に設えられた、アバロン公爵家管轄の領主代行兼・特命最高法務執行官の仮設執務室。その窓からは、深夜にもかかわらず、青白い魔導ランプの光が漏れ出ている。
龍魔呂は、愛用のレザーブーツの足音を殺しながら、その重厚なオーク材の扉の前に立った。
彼の纏う空気は、昼間に小料理屋のカウンターで見せる穏やかな青年のそれではない。深い闇の底から這い出たような、血と硝煙の匂いを微かに漂わせた、暗殺者『DEATH4』の気配だった。
小さく息を吐き、ノックをしようと手を上げた、その時。
「——開いているわよ。入りなさい」
扉の向こうから、冷たく透き通るような女の声が響いた。
龍魔呂はわずかに目を細め、静かに扉を押し開けた。
室内は、壁一面に分厚い六法全書や過去の判例集、魔導バインダーが整然と並べられ、チリ一つ落ちていない完璧な空間だった。
その中央のデスクに座っていたのは、ミッドナイトブルーの細身のパンツスーツに身を包んだ、ルナミス帝国が誇る天才弁護士——リベラ・ゴルド。
彼女は手元の書類から視線を上げることなく、魔導ペンを走らせ続けていた。
そして、傍らに置かれた純金製の煙管(無臭タイプ)を指先でクルリと回し、優雅に唇へと運ぶ。
「夜分遅くに申し訳ない。……リベラ先生」
龍魔呂はデスクから数歩離れた位置で立ち止まり、深く頭を下げた。
彼の口から出た『先生』という呼称。それは、彼が今、彼女をただの貴族令嬢としてではなく、世界の理不尽と戦うための『法律の専門家』として頼ってきたことの証だった。
リベラは魔導ペンを置き、ふぅ……と見えない紫煙を吐き出した。
そして、氷のように冷徹な、しかしどこか見透かすような鋭い視線を龍魔呂へと向けた。
「……雷帝神ユイから、大体の話は聞いているわ」
リベラはデスクの引き出しから、一冊の薄黒いファイルを取り出し、バンッ!と机の上に投げ出した。
そこには、裏社会で噂される『死を呼ぶ四番(DEATH4)』の数々の凶行と、殺害された悪党たちのリストが記されていた。
「龍魔呂。……あんた、人を沢山殺したね」
リベラの声は、感情を一切交えない、事実のみを突きつける刃のようだった。
「法務官の立場から言わせてもらえば、あんたのやった事は正当防衛の範疇をとうに超えている。いかに相手が外道であったとしても、あんたは私刑を執行しすぎた。……法治国家において、あんたは日の目を歩く事は許されない」
重く、冷酷な宣告。
普通なら、その圧倒的な威圧感と正論の前に、罪の意識で押し潰されるだろう。
しかし、龍魔呂は表情一つ変えなかった。
彼は自らの手がどれほど血に染まっているか、自分がどれほど深い罪を背負っているかなど、とっくの昔に理解している。
「……分かってます。俺が許される人間じゃないことくらい」
龍魔呂は、血が滲むほど強く拳を握りしめた。
彼の脳裏に、幼い弟・ユウの笑顔が浮かぶ。
奴隷闘技場の薄暗い牢獄で、「兄ちゃん、ごめんね」と呟きながら冷たくなっていった、あの小さな身体。
「だけど……ユウは……」
龍魔呂の口から、血を吐くような悲痛な声が漏れた。
彼の足元から、微かに禍々しい『赤黒い闘気』が立ち昇りかけるが、彼はそれを強靭な精神力で強引に抑え込んだ。
「あいつは、親より先に死んだっていうだけで……賽の河原で、終わりのない苦しみを受けている! 俺が地獄に落ちるのは当然だ。どんな責め苦でも受けてやる! だが、あいつが……罪のないユウが苦しみ続けるシステムなんて、俺は絶対に認めない……!」
龍魔呂の瞳に宿る、狂気と隣り合わせの深い愛。
弟を救うためなら、自らの魂が永遠に消滅しようとも構わないという、完全な自己犠牲の覚悟。
その悲痛な叫びを真正面から受け止めたリベラは、目を伏せ、小さく鼻で笑った。
「……親より先に死んだ子供が、地獄で石を積まされる。……本当に、ふざけたルールよね」
リベラは純金製の煙管をデスクに置き、立ち上がった。
彼女の前世——悪人専門の弁護士であり、元レディース総長として裏社会の修羅場を潜り抜けてきた彼女の記憶が、激しく疼いていた。
「子供が親より先に死ぬなんて、大半は親の責任か、世界の環境のせいよ。それを子供自身の罪として裁くなんて、司法の基本原則(自己責任の原則)から完全に逸脱している。……そんなもの、神々が定めた『バグ』以外の何物でもないわ」
リベラの言葉に、龍魔呂はハッと顔を上げた。
彼女の瞳には、冷徹な法務官の奥底に燃える、理不尽な権力に対する強烈な怒りが宿っていた。
「リベラ先生……」
「勘違いしないで。私はあんたの過去の殺人を許したわけじゃない」
リベラは龍魔呂の目の前まで歩み寄り、ヒールを鳴らしてピタリと止まった。
そして、彼の鋭い視線を正面から見据え、試すように問いかけた。
「あんた、本当に地獄に行く覚悟はあるか?」
それは、ただの脅しではない。
地獄へ生身で乗り込むということは、神の定めた死生観の法則を物理的に破壊することを意味する。失敗すれば、肉体も魂も文字通り『消滅』する、後戻りのきかない地獄道だ。
しかし。
龍魔呂の返答に、一秒の躊躇いもなかった。
「有ります」
静かに、だが鋼のように硬い意志。
彼の手は、懐に収められた真鍮製のオイルライターを強く握りしめていた。
その一切のブレがない覚悟を見て、リベラの唇に、最高に美しく、そして獰猛な『悪徳弁護士』の笑みが浮かんだ。
「……いいでしょう。その依頼、私が引き受けたわ」
リベラはクルリと背を向け、デスクから一枚の書類を引き抜いた。
「世界のルールを司る調停者、聖獣機神ガオガオン。彼らは無慈悲に世界の法則を維持しているけれど、彼らもまた『ルール(法)』に縛られた存在よ。法があるなら、必ず穴(抜け道)がある。
……賽の河原という理不尽な刑罰システムが、『生命尊厳と平和に対する罪』に違反しているという論法で、私が奴らを完膚なきまでに論破して、地獄のゲートを開くための『法的黙認』を勝ち取ってあげる」
神を論破し、世界の法則をハッキングする。
あまりにもスケールの大きすぎる『リーガル・ハック』の宣言に、龍魔呂は息を呑んだ。
「俺は……何をすればいい」
「簡単なことよ」
リベラは不敵に笑い、龍魔呂を振り返った。
「地獄のゲートを開き、あんたが力尽くでユウ君の魂を奪還したとしても、そのままでは現世に定着させることはできない。……死んだという『事実』そのものを消し去る必要があるわ」
「歴史の……書き換え」
「ええ。それを可能にするのは、この世界でただ一人。時間を操る権能を持つ、始祖竜クロノだけ」
リベラは一枚の写真を龍魔呂に差し出した。
そこに写っていたのは、ルナミス帝国のファミレス『ルナキン』の前で、専用の巨大な配達バッグを背負い、疲れ切った顔でジオ・リザードに跨っている男——ルナ・イーツの配達員として日銭を稼いでいる、コテコテの関西弁を話す男『ロード』だった。
「じゃあ、この配達員のお兄さん……ロードを説得して来なさい」
リベラは煙管を再び手に取り、パチンとウインクをした。
「そうしたら、私がガオガオンを論破して来てやるわ」
その言葉は、絶望の淵に立っていた龍魔呂にとって、一筋の、しかし絶対的な『蜘蛛の糸』だった。
神と地獄を相手に回す、前代未聞の因果改変計画。
法務の天才が理論を構築し、暗殺者(龍魔呂)が物理で壁を破壊し、そして始祖竜が時間を巻き戻す。
「……感謝する、リベラ先生」
龍魔呂は深く、もう一度頭を下げた。
「礼はユウ君を連れて帰ってきてから言いなさい。……さあ、急ぎなさい。ルナ・イーツの深夜の配達シフトが終わる前に、あの関西弁のトカゲを絶対に捕まえるのよ」
「ああ。必ず連れてくる」
龍魔呂は踵を返し、執務室の重厚な扉を開けた。
外の夜風は冷たかったが、彼の心の中で燃える炎は、かつてないほどに熱く、そして澄み切っていた。
——カチッ。
無意識のうちに、真鍮製のライターの蓋を弾く。
それはもはや、死を呼ぶための合図ではない。愛する弟を取り戻すための、反逆の狼煙だった。
龍魔呂は闇夜に溶け込むように、ポポロ村の路地へと歩みを進めていった。




